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わたしのたった6ヶ月の社会人生活

以前のnoteでも書いたように、新卒で入社した会社を6ヶ月で退社し、現在は無職。お恥ずかしい話、ニート生活を送っています。

過去を振り返っても、変わることのない現実。だから、意味のないことかもしれないけど、わたしはこの出来事を意味あるものにしたいと思ったからこの出来事と最後に1回だけ向き合うことにします。



時は遡り、今年の4月1日。
大学4年生のときに内定をいただいた、地元のメーカーの総合職として就職しました。

コロナの影響を受け、入社式は中止。いきなり、オリエンテーション、研修がスタートしていきました。あのときは、社会人としてがんばろうと張り切っていたと思います。


わたしの入社した会社は2ヶ月間の研修の後、各部署に配属されます。研修は、現場での研修と座学などの研修を高卒の同期とともに受けました。大学で、知識を蓄えていたわけでもなかったので、新しいことばかり、覚えることばかりで、研修をこなしていくことが精一杯でした。


なんとか、研修を乗り越え、配属される日が近づいていきました。いくつかの部署から適所と思われた部署を人事から言い渡され、配属という流れでした。わたしが人事の方から言い渡された部署は、わたしが望んでいた部署でした。その部署の方達は優しい人ばかりで、自分の性格に合っていたように思えたからです。この部署のみなさんのため、精一杯がんばっていこうと、この時もまた張り切っていました。

それから、配属先での業務が始まりました。基本的な事務作業を教えていただき、それをこなしていきました。しかし、だんだんと専門的な内容を教えていただくようになりました。そして、専門的な内容を使う業務へと変わっていきました。なにもかもよく分からない状態が続いていきました。分からないのに分からないと聞けない、分からないことが何か分からない、分からないのは自分の知識が追いついていないからだと、自分を責める日々でした。

誰かに相談しても、「分からないなら、聞かないとそのまま過ぎてしまうだけだよ」と言われるだけ。分からないことが分かっていたら、聞いているよ~とまたどうしたら良いのか分からない状態。
こんな状態がずっと続き、家に帰ると泣きわめき、会社での出来事を聞いてもらう日々。こんなことしていても、何のためにもならないと思っていたし、社会人にもなって泣きわめくなんて恥ずかしい話だと今になったら思えますが、そのときはどうすることもできませんでした。

ある日仕事から帰ってくるなり、また会社での出来事を話していたとき、
「もう、その仕事はできないと、仕事辞めるつもりでいいなさい。」
と、両親にきっぱりと言われました。できるならばこの仕事もこの会社も辞めたいと思ったけど、本当にそれでいいのだろうか。大学を卒業させてもらったのに、こんなことで辞めてしまっていいのだろうか。と、また新たな悩みに頭を悩ませましたが、このままではよく分からないまま時間だけが過ぎてしまうと思い、次の日に自分の気持ちを伝える決心をしました。

次の日の朝、、、
人事の方に「ちやさん、痩せた?しっかりご飯食べてる?」と聞かれました。正直、配属されてからしばらく経ったときから、ご飯が食べられなくなってしまいました。栄養不足になってしまうので、朝、昼とプロテインを飲んでいましたが、それ以外はなにも食べられませんでした。(なぜか、夜ご飯では固形物を食べられました。)
痩せたことに気づいて、声をかけてくださっただけなのに、その瞬間、涙が流れてしまいました。人事の方が心配し、別室で自分の気持ちを全て伝えました。
すると、業務内容を変えましょうという話になりました。わがままなことを言っているのは分かっていたけど、これで、よく分からない時間とは解放されると思うと少しだけ気分が軽くなりました。

それからは、今までの業務とは違った、業務内容になったのですが、またよく分からないという感情になりました。やらなければいけないことは分かっているのにどうしたらいいのか分からなくなってしまいました。

自分ががんばればがんばるほど部署の人の首を絞めてしまうことに気づきました。なぜか、部署内の人、他部署の人、いろいろな人の間で板挟みになってしまいました。
配属されたとき、部署の人のためにがんばろうと意気込んでいたのに、どうしてこんなことになっているのだろうと、さらに落ち込みました。結局、部署の人になにも還元できていないと。

これは、もしかしたらわたしの思い過ごしなのかもしれないけど、そう感じてしまったのです。

そう思ったら、次の日から会社に行けなくなってしまいました。
今までは、あと1日がんばれば、お休みだからがんばろうなんて思って会社に向かえていたのですが、あの日だけはどうしても身体が動かなくなってしまいました。

それから、精神科医に行くことにしました。しかし、予約が一週間後にしかとれず、それまで会社を休ませていただくことにしました。休んでいる間、布団に潜りながら、いろんなことを考えていました。
他にも方法はあったのかな、こうならないためにわたしはきっと何かできたんだろうな、どうしてこんなことになってしまったのかなって。

そんなこといろいろ考えていたら一週間が経ち、精神科医に行く日になりました。
先生とお話をし、診断は適応障害でした。
「見ず知らずの人に泣きながら話すのは異常ですよ。適応障害なので1か月ほど休職しましょう。」と。
その言葉を聞いたとたん安心しました。わたしもう会社に行かなくていいのだ。あの辛い状況に耐えなくていいのだと。

この診断を受け、家に帰ってからまたいろいろなことを考えました。結局、休職を勧められましたが、休職しても同じ職場に戻ることは想像することができなかったのでそのまま、退職してしまいました。

これが、わたしの6か月の社会人生活です。
人生って何が起こるか分かりませんね。どちらかというとどんなことにも真面目に取り組んできた人間だったのですが、こんなことになってしまうなんて。


しかし、「こんなこと」からも得たこと、気づかされたこともあったんです。
素敵な人たちに出会うことができたことです。こんな新人のわたしにも気にかけてくださる人が何人もいらっしゃったんです。わたしが同じ立場だったら同じことができるか不安になるくらい、優しくしてくださりました。
今までには出会ったことがなかった素敵な人に出会うことができました。もし、あの会社に入社していなかったら出会えなかったので、この出会いがわたしがあの会社に入社した意味だと信じています。


退職してから約1か月。違う会社に就職してたらな~って思うこともありますが、きっと順風満帆な生活を送っていたら、気づけなかったことがたくさんありました。
だから、この経験は自分にとってプラスになったのです。無理矢理感はありますが、これでよかったのです。
暗いトンネルを1人で歩いてましたが、そのトンネルを抜け、少しずつ明るい光が見えてきました。今はそんな気持ちです。
食欲も今までのように戻り、精神的にも少しずつ落ち着いてきています。

正直、将来のことを考えたら不安になります。あのまま、我慢して仕事を続けた方がよかったのではないかと。
しかし、今冷静に振り返ってみても、続けられるわけないと思います。だから退職するしかなかったのです。
ここまできたら、この結末にも納得ができます。だから、クヨクヨしていても意味がないので前を向いて進んでいくしかないです。
もう23歳と思うことも多かったですが、最近はまだ23歳!なんだってできるんじゃないかと思ってしまいます。これくらい軽い気持ちで生きていくのももしかしたらいいのかもしれない。わたしは1人で生き急いでしまったのだ。



振り返ってみたら、とても長くなってしまいました。
もし、ここまで読んでくださった方がいたら、、ありがとうございます。
同じように悩んでいる人がいたら、こんな人もいるのだとなんらかの形でプラスの存在になったらいいなと思います。
自分の思うままに文章を書いてしまったので内容はぐちゃぐちゃだけど自分の気持ちはスッキリしました。

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