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わたしを変えてくれた海鮮食堂

あなたはどんな性格ですか?と聞かれたら迷わずコミュ障ですと答えていた高校生のわたし。

わたしは大学入学するまで本当にコミュ障で、人見知りをしてしまってなかなか誰かと上手く話すことができなかった。長いつきあいの友だちとは何も気にせずに話すことができるけれど、初対面の人とは自分から話しかけることもできず、人前で話すことなんて億劫でしかなかった。

そんなわたしも大学入学と同時にバイトをスタートした。これは、大学生になったらバイトができるという固定概念にとらわれただけで、なんとなく始めようと思った。

数ある求人をしているお店の中から、近所の海鮮食堂でバイトしようと決意した。サイトには期限の切れた求人情報しかなかったけれど、なぜかお店に電話までしてバイトを募集していないか問い合わせの電話をした。今思うとなかなか図々しい行動だ。

しかし、わたしのバイト先はここしかないと本能的に感じて惹かれたのだと思う。

快く受け入れてくださり、面接を経て合格。

わたしの海鮮食堂でのバイトがスタートした。

初めての出勤日のことはあまり覚えていないけれど、右も左も分からないまま言われるがまま、はたらいた。

コミュ障を発動し、従業員の方やお客さんとはぎこちない会話になってしまう。バイト先の方はベテランのわたしより年の上の方ばかりだった。学生は数人。シフトによっては学生はわたしだけのときさえある。

なかなか雰囲気になじめず、はたらくってこんなに大変なのか、辞めたいなと思いながらバイトを続けた。失敗ばかりだし、自分がなにをしないといないのか分からず、コミュ障だからなかなか聞くこともできず、あまりアルバイトが楽しいと思えることがなかった。しかし、海鮮食堂を本当に辞めることはなかった。

今思うと何がきっかけだったのか全く思い出すことができないけれど、ある時を境に従業員の方やお客さんとフレンドリーに話せるようになった。

「コレ持ってきますね」とか「2番お伺いします」とか自然に従業員の方とコミュニケーションができたり、失敗したときに「そんないつまでもクヨクヨしない」と慰めてくれたり、常連さんが顔を覚えてくださって「久しぶりだね」と声をかけてくれたり。楽しいこともおもしろいこともあり笑顔が増えたと感じていた。

次のバイトは誰と会えるかなと考えたり、あの常連さんは次いつ来てくれるのかなと考えたり。早くバイトに行きたいと思うことさえあった。

コミュ障だったわたしは海鮮食堂のアルバイトを通して、知らぬ間にコミュ障を脱却し、誰かとのコミュニケーションを楽しみにしていた。

海鮮食堂の従業員の方がみんな素敵な人だったから、わたしは変われたのかなっ思う。年齢も性格もさまざまな人が一緒になってはたらくあの空間でわたしは人と関わるのが好きな人に成長することができた。

大学を卒業するタイミングと同時に海鮮食堂のバイトを辞めた。4年間全うしたのだ。

「アルバイトを始めたときは大丈夫かと心配していたけどすっかりベテランになったね」よくしてくれた従業員の方が最後そう声をかけてくれた。

この4年間様々な人と出会い、関わることで、自分を変えることができた。自分でも高校卒業した時の自分と比べると明るく笑顔が増えた人間に変わったと思う。

あの時図々しく海鮮食堂に電話をしてよかった。笑顔で4年間のバイト生活を終えることができたのだから。

今でも海鮮食堂でまたはたらきたいと思う。

はたらくことで笑顔になれることを教えてくれた全ての方にただただ感謝の気持ちで一杯です。


#はたらいて笑顔になれた瞬間

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