今、声をあげれば変えられる
今、世界中で猛威を奮っているコロナウイルスは、ここ日本においても東京を中心に、その拡大は収まるところを知らない。
そのような現在、世界では主に G7と呼ばれる先進諸国やニュージーランド、台湾などでは市民の外出を原則として禁じ、感染拡大を阻止しようと試み、一定の成果を収めつつある国もある。
( この点において、ベストな対応を取っている国の共通点は「女性がリーダー」であるということにも注目しておきたい。https://hontounikachinoarumonowa.com/2020/04/14/コロナにベストな対応を行っている国の共通点は/ )
いわゆる「ロックダウン」といわれるものであるが、これを行政がおこなう際、絶対的に必要とされる措置は「補償」である。
様々な報道に触れれば、ロックダウンを行っている国では、その補償はしっかりと充てられていることが良く分かるのだが、さて、日本はどうであろう。
先週より緊急事態宣言が出され、該当する都府県では、自粛や休業の「要請」が出されている。
この「要請」というのがポイントだが、これはあくまでも要請であって「命令」ではない。
そのような法的な話をすると長くなってしまうので、この辺りまでとするが、実際に東京では警察が街を回り、警棒を手にした状態で出歩く市民に注意を呼びかけている状況でもあり、
要請は単に要請という「お願い」の域を超えてしまい、それがまるで命令かのような振る舞いが権力側からもなされ、また、市民側も素直にそう捉えてしまう者も出てきてしまうために、それにより行き過ぎた「同調圧力」のようなものが生まれてくるのも、この (特に) 日本社会ではよく起こり得えてしまう現象ではないだろうか。
"「緊急事態宣言出ているのに営業」腹立てドア破壊したとして男逮捕"
https://news.livedoor.com/article/detail/18094375/
日本に駐留しているCNNのリポーターによる報道では、緊急事態宣言がなされているにもかかわらず、何故、人が出歩いているのかといったものがあり、そこで言われていることは「補償」がないからだと「分かりやすい」ことも言われている。
https://twitter.com/reiwawakamono/status/1248486691762868225?s=21
市民の権利及び行動の制限 = 補償等の措置
といった、権力側が市民の人権を制限する「お願い」をする際に、それを補うものを充てることは、近代国家において「当たり前」になされるべきことである。
https://twitter.com/chooselifepj/status/1248068453249871872?s=21
その当たり前のことがなされていない日本の措置を、諸外国からは恐らく首を傾げながら見られていることであろう。
このようなことを考える時、この度の政府による措置は、国家による基本的人権の尊重や、憲法における生存権を全うすることを「無視」している行為といえよう。
しかし、国が国の保身に走り「国民を」守らずとも、国が「国自体を」守るためにするべきことをシンプルに考えれば、国民の生活の安定を守ることは、国を守ることに繋がるのではないか。
以下に簡単な図式を書いてみたい。
【今、ケチって補償をしない】
働かざるをえなく人が動く、感染拡大、死亡者増、企業等破綻、失業者増、納税者減、その回復の為の税支出拡大。
【今、借金をしてでも補償をする】
働く必要がなくなり人が動かない、感染最小限、死亡者最小限、企業や国民の安定、納税者の確保。先の納税の安定。
このように考えてみれば、どちらの行為が国の未来に、よりリスクを負わせることになるか分かるのではと思う。
財源の源は税金、税金の源は国民の労働力である。
それを国は理解すべきだが、無能というべきか、「今」をケチることしか考えていない。
長く書いてしまったが、ここから結論としたものに触れていこうと思う。
この事態における、余りにも国民を舐めきった国のこの行為は、わたし達の平素からの政治との向き合い方が大いに関係していると言わざるを得ない。
それは「無関心」である。
選挙の度に投票を呼びかけるも、その率は半数を満たない。
投票における票のその多くは組織票である。
もし、その一票に国民が「実際に持ち得ている本当の力」を与えることが出来ていたならば、政治家は国民の力を恐れ、今般のような振る舞いは絶対に出来ないはずだ。
なぜ、欧州をはじめ、先進諸国では国民に自粛を求める際に、真っ先に補償を充てているのか。
それは権力者が国民を恐れているからではないだろうか。
( そもそも、それに限らず、上で述べた国を守る為には国民を守らなければならないといったことも、重々に理解していてのことでもあろう )
また、選挙だけではなく、政府が国民にとって問題のあることをしようとした時には、必ずデモが起きる。
2018年11月から行われている ( 現在も継続中!) 、フランスにおける「黄色いベスト運動」
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/黄色いベスト運動
などによる、その規模の大きさから見ても分かるように、欧州などの「民意」は恐るべきものがある。
ところが、日本は?である。
民主主義国における、国民が持つ尊い権利をのうのうと捨て去り、無関心であるが為に、権力から舐め切られた結果が「これ」なのである。
( 香港では、普通選挙での投票の権利を求め、若者が命を賭して闘っているというのに、日本のそれは何と情けないことであろうか。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/2019年-2020年香港民主化デモ )
( もし、これ↓を、欧州のリーダーがやってしまえば、政治生命はおろか、その命すら危うくなるのではないか。
https://www.instagram.com/p/B-3CgfcD3Xy/?igshid=q6eg907byl4c
日本人の頭は、政治家も含め、相当ボケてしまっているようだ。)
いい加減、わたし達は気付かなければならない。
無関心であったことへの反省から、権利を享受するためにすべきこととは何かを。
それは正しく「声を上げる」こと、である。
現在の外出が難しい状況下、よりネットを駆使して声をあげることが盛り上がりつつある。
ツイッターやフェイスブックも良いが、この事態においては、
"ご意見募集(首相官邸に対するご意見・ご感想)| ご意見・ご感想 | 首相官邸ホームページ"
https://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken_ssl.html
に、直接意見を申し出ることが盛んになっている。
また、国がやらねば自治にと、各地方自治のホームページへ意見を寄せることも良いだろう。
最後に、ひとつの素晴らしい事例を紹介して、このブログを締めくくりたいと思う。
"茨城の全県立校、一転休校に 高校生がスト、反発強まり転換"
https://www.47news.jp/national/new_type_pneumonia/4713993.html
結果はでる。
声を上げることは、決して無駄ではないのだ。
さぁ、この事態、あなたはどうしますか?
相も変わらず無関心を貫き、実際に被害を被った時には、単に不平不満を漏らすことだけに終始するのか。
それとも、これ以上権力に舐められないように行動を起こすのか。
ならば、それはいつか。
働く場を失い、収入が途絶えてから?
ウイルスに、感染してしまってから?
近しい誰かが死んでしまってから?
あなた自身が死んでから?
「今」しかないでしょ?