見出し画像

思い出のシャルル・ド・ゴール空港

もう20年ほど前の話だが10月に仕事でヨーロッパに出かけた。行き先は
ロンドンとパリ、それからイタリアのフィレンツェ。

ロンドンとパリは、まさしく今風に言うのであれば道路特定財源をおそらくは使っての仕事。当時のJHから依頼された仕事だった。

どんな仕事かと言えば、環状道路の(工事についての)理解促進を図る
もの。ところでみなさんが暮らしている地域には環状道路、と呼ばれる
ものはありますか?この環状道路というのは、実は大都会を抱えた地域に
多くつくられる。

なぜ、つくるか?それは都心を避けて目的地に行くことができるから。
つまり都心の交通ラッシュを減少させることができるわけだ。環状道路に
入り、そのままリング上の道路を通行して、向かうべく方角の角度になったらこんどはその方向へ進む道路に入る。このサークルを大・中・小とつくっていけば、スムーズに目的地に行ける、というわけである。

都心が混むことは当然のことなので、車の通行量が減ればそれ以上の
交通渋滞にはならない。また渋滞時の排出ガスを減らすことができる。
ま、そんなこんなで当時私の暮らす中部地区でも、JHでは環状道路を整備
しようとしていた。これは全く持ってごもっともであるからして、個人的
にも反対する由はない。

でもって、そういった環状道路の果たす役割は、ヨーロッパの都会を
例に出せば、一般の方々にも分かってもらえるのでは?…という狙いで環状
道路の映像をわれわれが撮影してくることになったわけだ。特にロンドンや
パリにある環状道路は大いに活用され、毎日の暮らしの中で重要な役割を
果たしているので、撮影するには絶好だろうと。そして撮影し編集された
映像は、JHのパビリオンで見てもらおう!と。


先ずは名古屋空港から成田空港へ。成田空港からANAでロンドンのヒースロー空港に飛んだ。今回は私の家内もアシスタントで同行してもらった。なにせ、しっかりしていて頼もしい。地図を見てのナビもうまい。映像プロダクションの優秀なPMのように役に立つからだ。

ヒースローから電車に乗ってロンドン市内へ向かう。ふたりで重いスーツ
ケースを運んで、こうして遠く離れた国に来るといやが上にも結束が固くなる。よし、がんばるぞ!みたいな気分になってくる。何だか江戸の敵をロンドンで!みたいな不思議な高揚感…。って別に戦いに来たわけではないのに。

ロンドンの宿はホルボーン駅近くのボニントンホテル。ピカデリーサーカスにも近くて立地はまぁまぁだ。毎度のことで予算は厳しいので当然、高級ホテルではない。その昔?バブル全盛の頃はみんな海外ロケにビジネスクラスで出かけ、高級ホテルに滞在していた。私は当時マネージャー職だったので、そういったロケには部下が行っていた。いやはやニューオリンズだの、ロサンジェルスだの、オーストラリアだの…。ジェットヘリで撮影して、ああしてこうして…。

チェックインしたのは午後6時くらいだったので、夕食に出かけることにした。以前にも何度か行ったことがある不思議な回転寿司「YO-SUSHI」に行った。ロックががんがんかかっていて、相変わらずだった。しかし行き着くまでには何度か迷ってしまった。ロンドンにはそれまでにも7〜8回は来ているのに、なぜか街の記憶は曖昧で、それなりにいつも迷ってしまう。明日からはいよいよ仕事だ。    


翌日はロンドン市内を撮影した。カメラマンとは現地集合になっていて、
前日に打ち合わせをすましておいた。10月のはじめだったので、もう
ロンドンはけっこう寒くなっていた。その肌寒いロンドン市内を今は無き
2階建てロンドンバスの2階(屋根のない方です)から撮影した。撮影
そのものは難しいものではない。ひたすらクルマが行き交う街の中を
撮るだけのこと。スタッフも私たち二人とカメラマン、その助手の4人。
夕方に無事終了。

夜は大好きなオペラ座の怪人を全員で観に行った。私は基本的に劇場窓口で
買うことにしている。いい席があるかどうかは運次第だが、日本から予約
して行ってもそれは同じだし、何せ自分の都合のいい日時に行ける。今までに5回ほどロンドンで見たが、うち1回だけJCBカードで予約したが、その
メリットは感じられなかった。この時は2階席だったが、その2年後にロン
ドンに行った際に取れた席は、正面前列から5列目ほどが取れた。何度か
行って、いろいろな席から観たが、それはそれで面白いものだ。

例えばオープニングのシャンデリアが上がっていくシーン、あるいは怪人が
ステージのセットの上から現れる時など、1階正面、2階右側、1階左奥など、当たり前だが観る角度によって見えてくる世界が違う。これはこれで楽しいものだ。席によっては多少の死角も当然あるが、それもまた気にしない。

また、この劇場(ハーマジェスティックシアター)の雰囲気や、休憩時間の
バーの様子を心に刻むことも、私にとっては重要なことなのだ。バルコニーのあるこぢんまりした劇場。その空間の中で演じられる英語圏の素晴らしい芸術に触れる、その時間…。私にミュージカルの楽しさを教えてくれたK君に感謝。(実はその時、家内は疲れて爆睡していた。ま、これもまたありということで…)

次の日はレンタカーを借りて、いよいよ環状線を通行しての撮影。ドライバーは私だ。あらかじめ日本で国際免許を交付しておいてもらったのだ。運転にはそれなりに自信があるし、イギリスは左側通行なので気が楽だと考えた。久々のマニュアル車だったが、すこぶるスムーズに運転しながらの撮影となった。

行く先はロンドン万博の水晶宮で有名なパクストンの設計した温室があるキューガーデンズだ。その後に映画、炎のランナーで主人公が母校の回廊を走るシーンが撮影されたイートン校のあるウインザーに行く予定だった。そしてこれも無事撮影終了。ロンドン分の撮影は終わった。

次の日はお休み。ということでロンドン市内を家内とぶらぶらして過ごした。私はロンドンに行くと必ずハロッズのフードフロアに寄って、そこのオイスターバーに入ることにしている。そして、大好きな牡蠣やサーモンをグラスワインと楽しむことにしている。私はグルメでも何でもないので、確かなことはよく分からないが、ヨーロッパの牡蠣はおいしく感じる。(あくまでも個人的な感想です)ヨードというのか、石灰分というのか、シングルモルトウイスキーを飲むとよく感じる、独特のスモーキーさやフレーバーが舌に広がる。

サーモンも好感の持てる脂がのっていて、舌触りがいい。もちろんノルウェイ産のおそらくいいサーモンなのだろうから当たり前なのかもしれない。それに、牡蠣にしてもサーモンにしてもランクがあるので、せっかくの機会にケチるのはいやなのでそこそこのランクのものを注文するからかもしれない。よく牡蠣にはシャブリ、と言われるのだが、私はシャブリはどうも歯がきしきしするように思えるので、あまり好きではない。むしろアルザスの白が好きなので、自分の好みに近い白ワインを頼んでいる。

ロンドンに着いて5日目の明日はユーロスターでパリに移動。男文化の街、ロンドンから、女文化の街パリへ。ロンドン好きと言いながら、実は私はパリもかなり好きなのだ。


ユーロスターでパリに移動する。何回か乗ってはいるユーロスターだが、この仕事の次にヨーロッパに来て乗った時に、実は私は失敗を犯してしまう。
みなさん、この高速度鉄道はもちろん日本の新幹線と同じようなもの、だと
思い込んでいませんか?いえ、私は思い込んでいましたとも。それでテーブルの上に飲み物を載せていた。

するとカーブに差し掛かって車両が傾いた!案の定、テーブルの上に載っていた飲み物(確か、ペットボトルのオレンジーナ)が床に転げ落ちてしまった…。日本の新幹線は、多分あまりカーブがない。あったとしても緩やかな曲線を通行していく。翻ってユーロスターは、そこそこのスピードのまま、それなりの角度のあるカーブを走る。当然車両は傾く。テーブル上のものは転落する。さすが日本の新幹線はすごいなー!などと思いながら、ジュースを拾った。

さて、パリに着いたのでホテルにチェックインに向かう。パリではこの季節(9月)いろいろなイベントがあってホテルが満杯だったので、押さえるのにはけっこう苦労した。やっとこさ押さえたホテルは、それでもサン・ジェルマン・デ・プレ。ブティックがたくさんあって華やかなエリア。モンパルナス駅にも近くてすこぶる便利だ。ホテルの名前は「ロワイヤル・サン・ジェルマン」。いかにも名前は高級だが、屋根裏部屋のような狭い部屋だった。もちろん本当に小さなホテルで、でもそれはそれで十分である。

パリに着いた日は以前紹介されて知り合いになっていた日本人の方と会った。オペラ座でピアノを弾いている女性の方で、この方に通訳をお願いして、ボーイフレンドがドライバーを担当してくれる。スタッフはこれで6人になった。夕食はみんないっしょに「ミラマ」で中華料理を食べた。この店は玉村豊男さんの著書で知って、以前にも何回か来たことがある店。和やかに時間を過ごし、明日の予定を確認して別れた。明日はシャンティイ、ヴェルサイユへ行く。

翌日、環状線を走行して目的地までの過程をビデオカメラで撮影した。何の問題もなく、その日の仕事は終わった。通訳をしてくれているピアニストの女性と、そのボーイフレンド、そして私たち夫婦の4人で夕食をした。彼女のおすすめのレストランは素敵な店だった。いろいろな話を聞き、そして話し、楽しい時間を過ごした。この日は日曜日だった。次の日はオフ。なぜなら、私の家内が仕事の都合で日本に帰らなくてはならないからだ。

彼女が乗る予定の成田便は、なかなか搭乗手続きが始まらなかった。けれども出発予定時刻は変わっていない。つまり飛行機のトラブルではなく、空港側の何か問題らしかった。どういうことなんだろう?というちょっとした苛立ちと、だったらいっそのこと乗り遅れてしまった方がいいのに、という微妙な気持ちで私たちは空港の長椅子に座っていた。

その数時間前、私たちはサン・ジェルマン・デ・プレにあるAigleにいた。その日のパリは雨が降っていた。そのせいなのか、家内は茶色と黒の長靴を欲しがっていた。私はフードが付いている防寒ジャケットを買おうか買うまいか悩んでいた。

ここに来るまでに、いろいろな店のウィンドウをのぞきながらぶらぶらとこの界隈を歩いた。彼女はJM Westonのかわいいローファーを見つけ、ずいぶん悩んだが買わなかった。

結局Aigleでも何も買わないまま、デ・プレ教会のそばにある日本のアパレルメーカーが経営している蕎麦屋に入った。値段の高さと量の少なさをふたりで毒づきながら蕎麦を食べた。食事の後、彼女のスーツケースを取りにホテルに戻った。

大きな銀色のスーツケースは、今回の旅のために新たに買いそろえたRimowaだ。それまではひとつしかなかった大型のRimowaは、これでふたつになった。そして、そのひとつだけを持って、ふたりでRERに乗った。威勢よく蕎麦屋の悪口を言っていたふたりは無口になっていた。行く先はもちろん、シャルル・ド・ゴール空港。

私はこのままパリに残り、明日市内を撮影したら翌々日の夕方にはフィレンツェ行きの飛行機に乗る。そして、別件の仕事をしてくる予定だ。だから、彼女はひとりで今日、パリから日本へ帰る。

搭乗手続き開始のアナウンスが入った。もうフライト時刻まで15分ほどしかない。多くの人が待っていたのでなかなかチェックインができない。時間はとうとう残り5分ほどになってしまった。これって間に合うのかよ?本当に定刻に出発するのかよ?そんなことを思いながら、列の最後尾に並んだ彼女を見ていた。そしていよいよ彼女の順番がやってきた。チケットを係に渡し、私を見て軽く手を振った。

ガラス張りの壁の向こうに、何度も立ち止まりこちらに手を振る彼女がいた。その姿は少しずつ小さくなっていった。そして、見えなくなった。私は初めて経験する感情に驚いていた。日本を出る時には、最後までいっしょに行動できなくて残念だね、というくらいにしか考えていなかったことが、実はこれほど切ないことだとは想像もしていなかったのだ。

空港からの帰り、RERの車中では、立ち止まって手を振る彼女の姿が、頭から消えなかった。モンパルナス駅に着き、そして私は再び雨の中を歩いてAigleに行った。まだ営業時間内だった。ふたりで店内を見て回った通りの順路で、改めて防寒ジャケットが置いてあるコーナーへ行った。「いいじゃない、フードも付いているし」。お昼にこの場所で彼女が言った言葉を思い出しながら、私はその防寒着を買った。             
          

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?