「共通の趣味を持つ人」を見つけるという果てしなく苦痛をともなういともたやすく行われるえげつない行為( Dirty Deeds that "finding a person who shares a hobby" Done Dirt Cheap)
こんなツイートを見かけた。
「そもそも共通の趣味を持ってる人がいないから、
他人としゃべれない。」
うんうん。とても気持ちはよくわかる。
アベンジャーズしってるのかなこの人、ブラック・ウィドウのエロさとスカーレット・ヨハンソンのエロさをこの人と語り合えるだろうか???などなど
めちゃくちゃ不安になりますよね。
ただ
「共通の趣味」を相手と親密になるかどうかの判断基準にすると、
交遊関係の幅に自らリミットをかけるようなもの
なので、
とてつもなくもったいない
ことになるのでは?とおもいます。
そもそも、「趣味」が合う人などそうそういません。
完璧に一致する人なんていません。
私だってそうです。
私の趣味は読書・音楽きき・ゲームですが、
そのカテゴリ1つ1つをとっても、趣味が完全に重なる人はそうそういません。自分の好きなアーティストをとっても、一部友人と共通したり、語り合えるアーティストがいるももの、完璧に自分のしってるアーティストすべてを100%語り合えるような人はそうそういません。AURORAの素晴らしさだったり、人間椅子の「地獄」ついてる曲多すぎ問題だったり、オープンワールドゲームでファストトラベル一切禁止プレイの面白さなどについて、自分の心のなかではおもっていることですが、残念ながらそのことについて話し合えるような人はそうそういない。
なにがいいたいかというと
「趣味」はそうそうシンプルなものではない。
めちゃくちゃ複雑。十人十色超えて千人千色。
だから、
「趣味が合うかどうか」
を「相手と親密になるかどうか」
の判断基準にすると、悲惨なことになるかもよ。
具体的にいうと、新しい友達ができにくくなるかもよ。
そもそもですが、
趣味が合わなくても、ふつうに他人と仲良くできるぜ?
ということはいいたい。
最近、インターンシップで同世代の学生と話すことがありましたが、彼は米津げんしの話を出してきました。
しょうじき、米津は1mmほど興味もないし、曲をまともにきいたこともない。レモンやパプリカを栽培しながらそれにまつわる曲を作っている農家で、最近感電してしまったことぐらいしか知識がない。
でも、合わせた。てきとーにね。
べつにいいんですよ。会話なんててきとーで。
大事なのは、雑談においては「楽しさ」「気持ち」「ニュアンス」が
伝わればいいわけ。だから、変に真面目にしゃべろうとしなくていい。
ここで、
「うわーこいつ米津の話してきやがった。趣味合わねえな。」
とおもってしまうと、相手と自分の間に「壁」ができます。
この壁がなかなかにやっかいで、一度できてしまうと相手と親密になれる
確率はとてつもなく低くなります。
「共通の趣味」を探そうというスタンスは、こうした
「仲良くなるポテンシャルを持つひと」と親密になる可能性を
排除してしまう。とてつもなくもったいないことなのではないかな。
そして、もうひとついいたい。
共通の趣味を探そうとしすぎると、
めちゃくちゃナイーヴになる。
極端になると、「おれの好きなコンテンツの世界」と
「他人が好きな俺には理解できないコンテンツの世界」
に、ベルリンの壁、万里の長城並みの分厚い壁がきづかれます。
そうすると、
「わたしvsそれ以外」
という構図ができてしまいます。
このスタンスは、自分の世界がなければなにかを産み出せないアーティストの方などでは必須の要素となります。ですが、ふつうの人ならここまで排他的にならなくてもいいのでは???もっとオープンになっていいのでは???
私自信は、この「壁」を極力無くそうと日々心がけています。
だから、自分の好きなもの、アメコミとAURORAとビジネス書はとことんコンテンツにふれつつ、それと同時に友人や周りの人のすきなコンテンツにたいしても、子供のようなピュアさで興味をもっていろいろ触れていくわけです。
その結果、V系アーティストやアジアンカフージェネレーション、ヨルシカなどといった、自分の趣味の世界だけにとじこもっていただけでは出会えなかったような素晴らしいコンテンツに出会うこともできた。世界が広がった。
だから、
自分には「共通の趣味」という概念がそもそもないんだと思う。
「共通の趣味」という言葉が前提にしているのは、さきほどいった
わたしvsわたし以外
の対立構造。すべてが異質なもので、自分とは相容れないものである。
だから、ほかの人が好きなものにたいしてナイーヴな見方をしてしまう。
私にはそういう考えがまったくないですね。はい。
とある友人の例なのですが、彼のスタンスがとても素晴らしいので
匿名で紹介します。
友人はカラオケで歌うとき、他人の歌う曲のレパートリーをとことん自分のレパートリーへ吸収していっているそうです。その結果、自分がカラオケで歌う曲は周りの友人たちが過去に歌ってきた曲のハイブリッドみたいな感じになっているそう。
この話をいまおもいだしましたが、面白いですよね。
壁がまったくない。わたし=わたし以外という構図です。
常に新しい刺激を受け入れて、
知らないコンテンツに常に触れていく。
さすがにカラオケのレパートリーをすべて他人チョイスするのは難しいとおもいますが、私はこの友人のスタンスに学んでいきたいですね。
まとめ
「共通の趣味」を探すのはやめよう。
なぜならば、自分以外のものがすべて異質になるから。
「共通の趣味」を他人と親密になるための
ファクターにするのもひかえたほうがいい。
なぜならば、共通項を見いだせる確率は
とてつもなく低いのだから。
とあるツイートとそのリプライをみていて、「共通の趣味」にこだわりすぎるあまりめちゃくちゃナイーヴになってしまっているひとがいた。
この記事を読んでくれた方には、ぜひともそんな悲しいもののみかたにならないよう願っている。私自身もきをつけていきたい。カラオケハイブリッド友人に学びたい。
美川