
都市伝説解体センター あなたもきっとこのゲームに「解体」される
「都市伝説解体センター」は、墓場文庫制作、集英社ゲームズより発売された推理アドベンチャーである。
ひょんなことから動画チャンネル「都市伝説解体センター」の制作メンバー及び調査員になった主人公福来あざみが、様々な都市伝説を調査し「解体」する。
※これ以降、物語の核心部に言及します。
本記事を読まれる際は、「必ずゲームをクリアして」からお読みください。

1.強烈なまでのカタルシス
本作は、ゲーム部分だけ切り取ってみるとかなりありふれた推理ゲームだ。
気になる部分をクリックし、時々メガネをかけることで見える影を追いかけながら、起きたことを紐解いていく。
存在しえない、ありえないはずの都市伝説の中身を見ていくという独自性はあるものの、推理ゲームとしてはかなり平々凡々としたものである。
第一話で「パパ活」や「SNSの裏側」など、現代的なテーマを扱いリアリティを与えている点は独創的だと思ったが、そういったことは「プリコラージュ」などでも扱われているし、あまり新鮮だとも思わなかった。
最終話付近までは多少謎を残しつつも、単発で区切られる都市伝説の数々を現実に落とし込んで文字通り「解体」する、そういったゲームだと思っていた。

…結果はどうだ。
そうした話自体が全部最後のテーマと叙述トリックの起爆剤になっていたわけだ。
最後のテーマは「SNSの情報流出」によるパニック。
そして叙述トリックは「すべてが歩の手のひらの上だった」という真実。
最後の最後で全部ひっくり返してしまうようなぶっ飛び加減は、この作品でしか味わえない衝撃だ。
この「騙された!」という驚きこそ、このゲームのカタルシスである。
これがとんでもなく気持ちが良い。

しかし、このカタルシスを経過してじっくり考えてみると、本作は結構シンプルな作りだ。
ようは単なる「叙述トリック」なのである。
推理小説ではよくあるテクニックであり、好みはあるものの実際に起こったことを分析してみると実はそこまで意外性に富んだものでもない。
主人公が実は犯人だった、なんて展開はこの手のジャンルではよくあるわけで、本作がそこで唯一無二とは言えないのだ。
では、なぜあそこまでのカタルシスと騙された気持ちよさを感じたのか。
それは、本作がそこに至るまで「恐ろしいほど丁寧に布石を敷いている」という点にある。
そして、そこには「難易度の低さ」と「福来あざみというキャラクター」という、二つの丁寧な積み重ねがある。

2.あえて落とされた難易度
本作最終版のカタルシス。
そのカタルシスに到達するまでに敷き詰められた要素が、本作の「謎解きの難易度の低さ」だ。

本作は、推理ゲームの割にはかなり難易度が低い。
総当たりで何とかなる仮説、そもそも4択から選べてしまう特定や解体のシーン。
調査時も総当たりで色々なものを見ていけばおのずとストーリーが進むようになっており、実はあまり考えなくてもゲームが進む。
ストーリー側もそこまで難解なものがなく、解体された都市伝説の展開もある程度予想がついてしまう。
例えば2話の「ブラッディメアリー」は明らかに関わりがないのに会話できるキャラがいるし、3話の「異界」も突如として消えるキャラがいる。
疑念が多少残るものの、ある程度の犯人像と展開が読めるような作りをしているために、プレイヤーも間口が広く入りやすい。
開発陣のXを見ると「クリアしてもらうために謎解きを楽にした」と言われている。
友達の友達から聞いたんだけど…
— 墓場文庫🪦都市伝説解体センター👁和階堂真の事件簿 (@hakababunko) February 20, 2025
都市伝説解体センターって、最近ゲームやらなくなった人や、ゲームが難しいって感じる人に
もう一度ゲームをクリアする体験の面白さを感じてもうらうことを目指して作ってるらしい…
だから難易度とか色々優しいらしいですよ…
でも…クリアしたら呪■■▒▒
…が、最後まで遊んでみると、自分は「この難易度の低ささえも、最後のカタルシスの布石なのではないか」と思ってしまった。
というのも、謎解きをするうえで総当たりが通用したりすることで、プレイヤーが考える部分があまり多くないのだ。
そのため、色々考えながら進めていても予想の範疇に話が落ち着き、遊んでいてストーリーの流れや雰囲気に乗りやすい構造になっている。
何よりその謎が解体時の選択肢で示されることが多く、謎を解く際には「こいつが都市伝説の元凶だ」とある程度分かりきっている状態に持っていかれるため、驚きや意外性が少ない。

そして、それは最後の解体であざみが到達した真実にも当てはまる。
如月努の弟の正体はセンター長。
全ての謎を解体した瞬間でも、プレイヤーはその流れに身を任せられる。
だからこそ、最後の最後で「自分が予想もしなかった真実」が明かされたとき、プレイヤーは驚かされるのだ。
今まで解体してきた自分の推理が、見事にひっくり返されるから。
自分の自信が「解体」される無力感と衝撃は、まさに唯一無二の魅力である。

3.「福来あざみ」
また、このカタルシスの布石として、「福来あざみ」というキャラクターの存在も欠かせないものになっている。
あざみは基本とても純粋なキャラだ。
廻屋のうさんくささから逃げられなくなったとはいえすぐに信じてしまうし、ジャスミンとの掛け合いでも純粋で箱入り娘のような世間への疎さを示す。
特に第一話のSNS調査で、誹謗中傷を受ける友人美央のために自分が声をあげようとするところは、純粋さが最もよく表れている。
その純粋さや世間への疎さは、プレイヤーがかなり共感しやすく彼女と同じ立場に立っていると考えやすい。
メタ的な視点で見れば、彼女が主人公で操作キャラなのだから、プレイヤーも自然に彼女と同じ目線でゲームを進めていく。

さらに、あざみを信用する理由として、「周りに信用できる人間が一切いない」という点がある。
あざみの周りにはセンターの仲間をはじめとして、様々な人が登場する。
しかし、彼らはみんながみんな腹に一物を抱えているような、怪しいキャラなのだ。
廻屋センター長はオカルトマニアでおかしな部分がある、というのは言うまでもなく。
3話のオカルトツアーにいた面々も、オカルトマニアに怪しげなライター、ぶっきらぼうな若者など、変なメンツが多かった。

そして、まじめな人ほど裏に一物を抱えていることを、一話の美央と栄子が早々に証明している。
美央はパパ活の過去があり、栄子は真っ黒もいいとこの悪徳商売の女だった。
まじめそう、優しそうというイメージの裏に信用できない「裏の顔」があったことを、ゲームが早々に伝えてくるため、誰もかれも信用できない構造が早々に出来上がっている。
2話のヒナタ、3話の野村朋子も比較的真面目だったりお淑やかなイメージがあるため、行動とのギャップに大きな差異がある。
頼みの綱のジャスミンも、中盤から富入と電話するシーンが入ることで、「スパイなんじゃ…?」という想像が出来てしまう。
どんなに真面目そうに見えても、どれだけ近くにいても、周りの人間には信用できない「裏の顔」があるのだ。
本作はそれを、あざみ以外の全ての人物に用意している。

…そう、あざみ以外に。
だからこそ、あざみの純粋さが際立つのだ。
そして、際立った純粋さがあるからこそ、プレイヤーは無意識に、「あざみは信用できる」と思い込んでしまう。
主人公だから、周りがえげつないから、彼女だけはずっと笑顔で推理しているから…。
こうした信用への「積み重ね」が最後の最後に裏切られることで、恐ろしいほどのインパクトを生み出している。

そして、信用されなかった部分が徐々に明らかになるにつれて、あざみの成長は進んでいく。
ジャスミンの正体が明かされて別れを告げられてもめげることなく動きまわり、世間に批判されても富入の力を借りて行動し続けた。
最終的には、あざみが廻屋の力を借りることなく、イルミナカード行方不明事件や如月努との関連性などを導き出し、廻屋自身の謎も自分で解体してしまう。
自身の力で解体を成し遂げたことで、プレイヤーのあざみへの信用度は頂点に達する。
そして、その後に全てを裏切られる。
この信用の積み重ねも相まって、驚きとカタルシスに襲われるのだろう。

4.「ありがち」なカタルシスの帰着
ここまでカタルシスに至るまでの過程を話してきたが、実際にエンディングを迎える時の展開も改めて解釈したい。
本作のエンディングは、最後の最後に廻屋=あざみであることで、プレイヤー含め全員が彼女の手のひらで踊らされていた、という結末になる。
ここまで、その布石の丁寧さと驚きの理由を紐解いてきたが、それをすべて語ったうえでも、実はこのエンディングは「ありがち」だ。
どれだけ布石を丁寧に用意しても、展開としては「驚き」として変わりないからだ。
推理ゲームの過去作を辿ってみると、ファミコン時代の「ポートピア連続殺人事件」や「ファミコン探偵俱楽部」が同ジャンルとして挙げられるが、これは2作とも「意外な人物が真犯人でした」という点では帰着が同じである。
結局、このゲームは最初に言った通り「ありがち」なのだ。

しかし、この作品はその「ありがち」な古典的要素で構成されているにもかかわらず、恐ろしいほどの衝撃をプレイヤーに与えるラストを迎える。
それは何より、本作の丁寧さがプレイヤーの信用度を底上げしているからだろう。
10時間程度のプレイ時間の中で、簡単な推理と予想の範囲を超えない犯人像、キャラクターの輪郭の不透明さでプレイヤーに世界観を理解させたことで、最後にそれをぶっ壊して全部あざみにぶつけたことこそが、勢いの良さとカタルシスを生み出すのだろう。
何より、メタフィクションなど現代の手法でプレイヤーに意外性を与えるのではなく、古典的な方法で作品を面白い帰着に落としたことに、正統派な推理ゲームへの面白さの再解釈を感じた。
トレンドのメタフィクションを扱わず、直球勝負で語られる本作の面白さは、今だからこそ輝いて見える。

また、これは古典性とは関係ないのだが、本作のテーマソング「奇々解体」への気づきも重要なポイントだったと思う。
本作は、各章クリア時にボーカル入りのテーマソング「奇々解体」が流れる。
最初はセリフ音声がないのにボーカルソングを使ってくるという意外性に驚かされ、各章が流れるごとにその曲の雰囲気を楽しんでいた。
中盤は曲が流れるという「お約束」として認識し、この曲を楽しんでいた。
しかし、エンディング直前に流れたこの曲は、歌詞の意味があまりにも廻谷の思考と行動にリンクしていることに気づかされた。
そして何より、「一体どこで間違えた?」という歌詞は、グレートリセットを止められなかったプレイヤーの感情に恐ろしいほどにリンクする。
流れるムービーのタイミングも完璧に噛み合っており、演出含めたセンスに脱帽した。

…ともかく、この古典的なアプローチが再解釈されるというのは、改めて考えてみても面白いものだと思った。
「パラノマサイト」「春ゆきてレトロチカ」など古典的な推理アドベンチャーの傑作はどんどん出ているが、その中でも古典的なのに驚きを与えてくる本作は、新しい推理ゲームの可能性を提示した傑作だろう。
特に、古典的アドベンチャーにメタフィクションを織り交ぜた「パラノマサイト」と比較してみると、古典を追求した本作は対極の位置にあるような作品だ。
こうして新しい解釈や方法で推理ゲームがどんどん面白くなっていくのは、一プレイヤーとしてワクワクが止まらない。
5.真犯人
最後に、本作最大の事件の犯人「世間」を、本作の社会的テーマも含めて確認する。
本作の中心となる「上野天誅事件」の犯人は、公的に見れば「ソサエティ5」というYoutuberグループだ。
彼らは野村を殺害し、如月に罪を転嫁した実行犯である。
しかし、如月はソサエティ5によって自殺したわけではない。
悪人を作りたかった世間の誹謗中傷に、家族が巻き込まれかけたことによって、彼は自殺を選択した。
だからこそ、兄の復讐を考えた歩は、天誅事件の犯人であるソサエティ5だけではなく、それ以上の悪意を持った「世間」を犯人として、グレートリセットを実行した。
グレートリセットは全員の個人情報の流出であり、全てのデータがハッカーのプログラムによってSNS上にアップロードされるというものだった。
社会は混乱を極め、エンディング後でも後遺症となる連鎖的犯罪は起こり続けている。

実際、本作はソサエティ5メンバーが巻き込まれる事件の途中でも、SNS調査で世間の悪意を嫌というほどに見せつけられる。
第一話からパパ活していた美央への誹謗中傷は悪意を極めている。
また、彼女をかばおうとして発言したあざみの投稿にも噛みつき、反抗的な意見が寄せられた。
ソサエティ5のメンバーにもきな臭い噂が流れていたり、意味もなく誹謗中傷を投げかけたりと、彼らは容赦がない。
まるで周辺にいる有名人はいくら殴ってもいいというような、言葉の暴力性に満ち溢れた悪意は、奇妙なほどにリアルで、それでいて棘がある。
そして、その悪意をあざみとジャスミンという純粋な眼から見つめることで、「SNSの人間はより悪い」という印象をプレイヤーに与える。

ただ、こうしたSNSの悪意という社会的テーマは、前述したとおり「プリコラージュ」などでも語られているものだ。
しかし、本作はそれとは決定的にリアリティが違う。
なぜなら、彼らには「匿名の盾」があるからだ。
彼らは、匿名だから何を言っても大丈夫だと思い込んでいる。
それがたとえ真実を超えていて憶測だろうが、個人の属性を切り取ってその属性に該当する人々全員に対する偏った意見であろうが、彼らには関係ない。
ちょっとした鬱憤晴らしに、彼らは人を言葉で殴っている。
彼らにとって語られる存在は単なるネタであり、それがなんであろうと殴れればどうでもいい。
本作は、そうした人々の話題との無関係性や、拡大解釈や偏った考え方の押し付けが極端なまでに悪意をもって語られる。

…ところで、本作は「都市伝説を解体するゲーム」だ。
「都市伝説」とは姿形が存在しない、人々の噂話が作り出す虚像のようなものである。
本作はそれを解体することで実体化させ、本当は何が起こっているのかを暴いてきた。
一見ありえないことが起こっている都市伝説も、本作は全て科学的な論拠や犯人がいる事件として暴かれた。
つまり、都市伝説というものは単に曖昧なものが認知によって歪んだだけとも言える。

ならば、本作でよく語られるSNSの悪意も、実態である本人が見えない曖昧な存在、つまり「都市伝説」ではなかろうか?
そして、本作のグレートリセットとは、SNSのコメントによる悪意や様々な情報、つまり「都市伝説」を文字通り「解体(=流出)」することではないのだろうか。
歩が最後に起こした世間への復讐こそ、曖昧な憶測や必要のない誹謗中傷の「都市伝説」を「解体」した、事件への報復だったのだろう。
廻屋の残す「こんな恐ろしい怪奇現象が他にありますか?」という言葉こそ、本作のグレートリセット、最大の解体の意味合いが如実に表れている。
そして何より、歩自身がこの復讐に対して世直しなんて気持ちが微塵もなく、兄を殺した言葉に対する復讐心だけで行ったという狂気性が、社会の混乱という形で描かれている。

そして、何より自分が注目したいのが、この都市伝説や人々の感情が実体化するという流れが、オカルティズムとリンクしている点だ。
オカルト研究家だった如月努、オカルトマニアの藤原など、都市伝説を扱うためか本作にはオカルトに関係する人物が多数登場する。
その中でも洗脳され狂った人物は「ジマー」となり、ダークウェブ上で会話したりグレートリセットに希望を見出したりする。
そして、最後にはノストラダムスの大予言のような形で、グレートリセットが宣言される。
…ある種、ジマーとグレートリセットには90年代のオカルトブームのような、不思議な熱狂観があるのだ。
これは、「ペルソナ2罪」などで語られたオカルティズムにかなり近いものがある。
もっとも、ペルソナ2は噂が本当に真実となっており、ファンタジーの域を出なかったのに対し、本作はオカルティズムを現実的に解釈し続けたという点で、決定的な違いがあるのだが…。

SNSの伝播によって、人々は簡単に発言する機会を得た。
そして、彼らは簡単に語れるからこそ真実にたどり着くことが難しくなり、嘘に踊らされたり、自分で嘘を作り上げたりするようになった。
本作は、90年代のオカルティズムとは決定的に違う点として、「SNSがあることで人々がお互いを騙しあい、思ってもないような嘘や暴言ですら容易に吐ける」環境がある。
そんな中でオカルティズムとリセット、あられもない噂が広がっていったら…。
ある種、現代社会というものはオカルトよりも怖いものかもしれない。
何より、自分も情報流出したら不利になりかねないというような、共感の感情があることが怖い。
自分もSNSやネット上ではろくでもないのだ。
それが漏れ出るグレートリセットなど、永遠に来ないことを願うばかりだ。

凄まじく強烈で、全てが最後のために作られたかのような、あまりにも完成されたゲーム。
冗長な中盤ですら最後への布石だったとすら思わせるような本作に、最後はただただ驚くばかりだった。
本当に、素晴らしいゲームだった。
願わくば、またこうした奇跡のような推理アドベンチャーに出会いたい。
「ようこそ、都市伝説解体センターへ」

©Hakababunko / SHUEISHA, SHUEISHA GAMES