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The Cosmic Wheel Sisterhood 選択の運命の織りなすままに

※本記事では「The Cosmic Wheel Sisterhood」の重大なネタバレ、及び「真・女神転生」「真・女神転生Ⅴ」の一部ネタバレが含まれます。
予めご了承ください。

「The Cosmic Wheel Sisterhood」は、Deconstructeamが開発したインディーゲームである。
主人公のタロットによる占いと多数の選択から、ストーリーが変化するアドベンチャーゲームだ。


1.選択の重みと選挙

本作は、至極簡単に言ってしまえば「選択の重みを伝える」ことに重点が置かれている。
具体的には、タロットによる占いで、その人の未来さえも操作してしまうというものだ。
主人公がタロットを見たいものに置いてみれば、その結果が複数表示される。
その中で、自分が選びたいと思う選択肢を選ぶことができる。
その選択は、運命を変える程の絶大な効果をもって、主人公の周りにいる人物の未来を変えてしまう。
その選択が導く結果によって、未来はいかようにも変わっていく。
そして、プレイヤーがその選択の重みを知るのはストーリー中盤以降になってからだ。

ストーリー中盤で、魔女たちの共同体「コヴン」を指揮していた人物「エイダーナ」が死亡する。
その際、彼女の体は主人公フォルトゥーナのもとを訪れ、タロットが「未来を読んでいる」のではなく、「現実を描いている」ことを伝える。
タロットの結果は生み出されたものだというのだ。
フォルトゥーナはひどく狼狽するものの、監禁された小惑星でゆっくりと時間を過ごす。

しかし、その時間は長くなかった。
友人であるダリアとジャスミンがフォルトゥーナのもとを訪れ、いなくなったコヴンの長の座を求めて選挙に立候補するという。
二人の意見はまったく正反対だった。
ジャスミンは、元老院的長寿の数人による審判、禁忌となる魔法との接触の禁止、下位種族にあたる人間の統治、そして魔女たちの自由の信頼を述べた。
ダリアは、全員平等主義のもと、審判に対する全体投票制度、教育による禁忌への理解と自由の提供、人間との関係断絶、魔法税による資源収集と管理を述べた。

フォルトゥーナは、当初彼女たちの思想を応援するものの、姉であるパトリスの訪問によって方針を変え、自らも長に立候補することで情勢を変えようとしていく。
プレイヤーは、フォルトゥーナの求める理想の統治像(マニフェスト)を組み立て、友人らの助けも借りながら、選挙に臨むことになる。
このマニフェストには、ジャスミンやダリアの思想を入れてもいいし、フォルトゥーナが考えた第三の選択肢を入れても良い。
もちろん、今のまま、エイダーナの行っていた統治を入れてもいい。
オリジナルの考えをゲームに反映させ、選挙に臨んでいく。

2.政治的選択と「真・女神転生シリーズ」

このゲームは、「選挙」「政治」「女性社会」という点でポリティカルな要素を多様に含んでいる。
妙に人間味のあるキャラクター達が織りなしていることもこのゲームの主張を助長するように見えるが、それ以上に自分が選択することを「キャラたちの未来を変える」という個人的な部分を超えて、「共同体の未来を形作る」という集団での部分に見つめなおしている点が、ポリティカルな部分として映るのだろう。

さて、このゲームのポリティカルな選択は、「真・女神転生シリーズ」に通じるところがある。
初代「真・女神転生」では、法による徹底した中央集権社会(ロウ)か、混沌による自由な個人主義社会(カオス)か、それとも人間中心の中庸の共同体社会(ニュートラル)か、プレイヤーが行動を通じて選択することになる。
そこには選択肢という甘えなどはなく、プレイヤーが行ってきた行動が如実に影響を与え、自分の思想がある種「選ばされる」という無情さ、そして選ばされた思想に抗えなくなることで、諦観しその選択肢の力に飲まれていく様を、私は過去記事で紹介した。

最新作「真・女神転生Ⅴ」においても、主題がより政治的かつ投票することへの重要性を問うような内容に変化したものの、プレイヤーがどのような立場を取るか選択することができ、それによって未来が変化する。
シンプルにマルチエンディングといえばそれまでなのだが、プレイヤーの選択が政治的である点や、選ばされる選択肢が共同体や世界そのものを変えてしまうほどの意味づけを持っている点は、普通のマルチエンディングゲームと比べると決定的な差がある。

このようなポリティカルな部分は、両者に共通するものだ。
しかし、違う点も存在する。
まず、「選択する」と「選択される」という、能動性の違いだ。
「真・女神転生」は、ゲームを初見で遊んでいる時点ではエンディング分岐が明確に表現されず、プレイヤーの行動が影響して気づかぬうちに「選択させられる」。
新作では選択するゲームに変わりつつあるが、自分自身の思想を組み立てて、新たな価値観を提示するゲームというほどに、政治参画を促すものではない。
「The Cosmic Wheel Sisterhood」は、魔女の共同体の中で、自分たちがどうしていくのが理想なのか、0から組み立てる点に真の理想と積極的な政治参加への意図がある。
そこには、自分が投票する立場になるのではなく、立候補して社会を変えていくという、より高次の政治的な意図がある。
真・女神転生の思想に当てはめるなら、ジャスミンはロウ、ダリアはカオスだが、フォルトゥーナはニュートラルを含んだどこへでも行けるという自由さが付けられていて、それが高次の政治参加と言える。

そして、「人間との強弱関係が逆である」点も重要な違いだ。
「真・女神転生」は、人間の住む世界に悪魔が入ってきたことで、悪魔>人間の構図ができており、悪魔に飲まれた2人の人間と悪魔を使役できる自分との関係図が存在している。
一方、「The Cosmic Wheel Sisterhood」は、主人公フォルトゥーナたちは魔女という人間の上位存在であり、人間から無意識にマナを取って生活している。
そして、各々のマニフェストには「有限生命体」という言葉で、下位存在をどう扱うかという議題が含まれている。
両者における主人公の立場が全く逆であることがわかる。

じゃあ逆だったら何が違うのか、というと「不信感」の違いだ。
「真・女神転生」の思想を語るヒーロー二人には、悪魔という上位存在の影がついて回る。
だから、彼らの言っていることは妙に真実味がなく、理解することはできるものの共感することはできない。
そのうえで、行動によって「ゲームが選択する」ので、不信感を持ちつつも「こうするしかなかった」という後悔が生まれる。
一方で、「The Cosmic Wheel Sisterhood」のダリアとジャスミンは、フォルトゥーナの友達であり、お互いに上位存在として他の人物の影響がない。
彼女たちは真にコヴンの平穏や永続を願ってマニフェストを掲げており、(一部納得はできないものの)彼女たちの思いには共感できる部分がある。
逆に、ベヒモスという禁忌と契約を結び、運命を操作できるタロットを使って選挙に出ようとしている主人公サイドが、本作で一番不信な存在である。
そうした逆説性を見ると、本作の進行の難しさがわかる。

3.「あらかじめ見れる」という絶対的後悔

私は今まで、「真・女神転生シリーズ」において、「政治的立場の選択肢を選べること」に批判的な立場を取ってきた。
「真・女神転生」でのロウルートへの意図しない「選ばされた」進行と、それに諦観して陥ってしまった自分に驚かされたからだ。
そうして「自分の行動が裏目に出てしまうこと」、「それでもそれを受け入れて進んでいかなければならないこと」をゲームで味わうことがあまりにも衝撃的だった。
だから、それ以降はルートを最終盤に選択できてしまう現代のシリーズ作品を批判的に捉えてきた。

では、「The Cosmic Wheel Sisterhood」はどうなのか。
選択することは良くないことなのか。
…いや、本作はそうした解釈に全く別の視点から答えて見せた。
「占い」を使って。

最初に説明した通り、主人公フォルトゥーナは、タロットを使って未来を操作できる。
ならば、当然エイダーナが死んだ後の長の決定も自分で選べる。
そう、コヴンの運命は初めからフォルトゥーナの手にあったのだ。
ジャスミンが何を言おうとも、ダリアがどう動こうとも、フォルトゥーナが一度占えば未来は変わってしまう。
そして、その占うタイミングを「自分の政治的主張ができた直後」に行うことができる。
つまり、初めから運命を操作して出来レースを仕込むことができてしまう。

…なんてこった。
選択することを無理やりにでもいい方向にしたいのか。
ダリアとジャスミンだったらまだジャスミンの方がいいかな~、なんて思っていたが、自分で理想の社会を作り出し、その思想が勝つように仕込めるのならそっちの方がよっぽどいい。
まさに悪魔の誘いだった。

しかし、運命を操作すると言ってもタロットはタロットである。
引いたカードにすべて悪い結果が出れば、無理やりにでもいい方向にはいかない。
フォルトゥーナの姉パトリスは、悪い結果が出るリスクを指摘したうえで、「戦いの不安を解消したいならやっておいてもいいんじゃないか」と述べる。
私は「知りたい」というごくごくわずかな好奇心に負けて、タロットを引く選択肢を選んだ。
…いや、選んでしまった。

タロットによって導かれた選択肢は、以下の四つだった。

①ダリアが勝つが、コヴンが破滅する。
②ジャスミンが勝ち、コヴンは安定した集束を迎える。
③ダリアが勝ち、共同体としての社会が安定する。
④自分たちが勝ち、新たな未来が形作られる。

この選択肢を見たとき、私は強烈な後悔の念に苛まれた。
「選ぶ」ことがあんなにも嫌いで、運命なんてものを操作することが嫌で嫌で仕方なかったのに、事前に見ることができるという、たったそれだけの理由で「選ぶ」ことを決めてしまったからだ。
その選択肢を見た途端、本当にどうしようか深く悩んだ。

この選択肢を選ばないためには、ゲームを途中でやめるほかない。
しかし、それをすると自分が形作ってきた思想が全て跡形もなく消える。
それも嫌だった。
自分で決めたのに。
なんで消さなきゃいけないんだ。
だから、この中から選ぶしかなかった。

…結局、目を閉じてランダムに選ぶしか、逃げ道がなかった。
とてつもなく後悔した。
運命は自分の手で掴みたかったのに。
幸か不幸か、ランダムに選ばれた選択肢は②で、ジャスミンの勝ちが自分の占いによって決定づけられた。
偶然とはいえ、「真・女神転生」と同じような選択肢を選ぶとは、なんとも皮肉なことである。
そして選挙活動に臨んだ。

4.「足掻き」と「代償の安息」

占いの結果を見て、酷く後悔していた私。
しかし、不思議なことに、選挙活動を続けていくうちに、「あの二人に勝ちたい」「自分の意思を押し通したい」と自然と思うようになっていた。
複数の人々の協力があったことや、自分を認めてついてきてくれるベヒモスのエイブラマーや姉パトリスの気持ちなんかに、自然と応えたいと思っていたのかもしれない。
選挙の途中結果で二人を追い抜いたとき、「やった」と達成感を感じたのを覚えている。

「戦う必要はないのに」。
そう、運命は「ジャスミンを選択している」。

それも「自分の手によって」。
なのに抗っている。

なぜだろうか、今思うと強烈な虚無感を感じるが、プレイ当時はそのように感じなかった。
あの流れるような選挙へのコマンド選択があったことも影響しているのかわからないが、今と当時の気持ちの乖離があることは確かだ。

そんなことがありながら、最終日に3人は集まり、最後の議論を開始する。
その際、外部の人間によってフォルトゥーナがエイブラマーと結託していることが暴かれ、会場が火の海になってしまう。
そこで、すぐさま投票が行われ、(フォルトゥーナが友人二人に糾弾されたりするものの)結果的にジャスミンが勝利する。

…運命は変えられなかった。
あの選択を後悔しているのかどうか、もう自分自身でもわからなくなっていた。
でも、結局はジャスミンが勝ったわけだから、自分が選択した結果になった。
自分はそうした選択を「望んでいなかった」のに。
これは「選んだ」「選ばされた」というものではない。
運命の不確実性を操作してしまった、自分への「戒め」なのだろう。
無情なものである。

しかし、このゲームは指導者が決まっただけでは終わらない。
ゲームの序盤、フォルトゥーナはエイブラマーと最初に契約する際、火のマナの代償として一つのものを支払うことを「選択する」必要があった。
選択肢は三つ。

①私の不死性
②コヴン
③最も愛する者の命

私は、最初に①を選択していた。
なんとなく、「一番マシだ」と思ったから。
魔女は不死だが、これを失うのが一番リスクが少ない。
即座に死ぬわけでもなく、60年ぐらいは命が保てるわけだから、まだいい方だ。
右も左もわからない私は、この選択肢を選んだ。

…そして、ジャスミンがコヴンの長として認められたその時、エイブラマーとの最後の契約の代償が発現した。
フォルトゥーナの不死性が消えるという。

…なら、勝たない方が良かったんじゃないか?

ふと、そんなことが頭をよぎった。
たとえ自分が選挙に勝っても、自分の不死性が失われれば、コヴンの未来は担保されない。
長となった自分がいなくなってしまうからだ。
だから、ジャスミンかダリアに任せて、自分は不死性の代償を支払い、どこかの星で人間として最期を迎える。
その方が合理的であり、コヴンの被害を最小限に抑えることができる。

自分が負けてしまうという未来に後悔していたのに、これまた皮肉なことに、最初に「マシだ」と思って選んだ代償に、結果的に救われてしまった。
それなら、ジャスミンに未来を託して自分は消えることができる。
どんな過程であっても、それが最良なんだ。
選挙に勝たなくて良かったんだ。
不思議と肩の荷が下りた気がした。

5.「それでもやり直しますか?」

エイブラマーに代償を払った直後、このゲームはエンディングに移る。
その後、老齢となったフォルトゥーナのもとに、ダリアとジャスミンが訪れるシーンが挿入される。
彼女たちからは、仲間のその後と、ジャスミンによって統治されたコヴンのあり方が語られた。
そして、老化したことによる体力の衰えを感じるなかで、このようなメッセージが表示される。

あなたは自分の運命に満足していますか?

(中略)あなたの心には迷いがあるようにも感じます。なぜ運命の書き手たるあなたが、そのように意気消沈しているのです?


もう一枚…カードを引いてみてはどうですか?

このゲームはどこまでも自分の運命を弄びたいらしい。
あれだけ綺麗に幕を閉じ、自分はコヴンの諸々から抜け出し、永久の生命という楔を外すこともできたのに、「迷い」という言葉を用いて自分をあの世界に戻そうとしている。
無茶にもほどがあるし、そこまでやっては意味がない。

しかし、この手紙に「図星だ」と感じた自分もいた。
少なからず、「後悔」の気持ちはあった。
自分が選挙で負けたことへの「後悔」だ。
もっといいことが言えたのではないか?
あの時、運命を自分に引き寄せていたらどうなったんだ?
代償を変えればコヴンはもっと良くなったんじゃないか?
お姉ちゃんとも離れ離れにならなかったんじゃないか?

…後悔は尽きない。
でも、それはあくまでIfの選択肢だ。
おそらくやり直せば、自分がたどった末路よりもっともっといい選択肢に出会えるのかもしれない。
しかし、色々と考えたうえで、こうなった結末を受け止めることも、不死なった今考えるべきではないのか。
だから、私はやり直しを否定した。

その否定には、このようなメッセージが添えられた。

生きている限り、私たちにはコントロールできないことが必ずあり、そのすべてに抗うことはできない。
でも私たちはそれを哀しみ、記憶し、学び、共有し、受け入れることはできる。

運命を操作できるフォルトゥーナでも、いやフォルトゥーナだからこそ、最後の思いはこうしたものに落ち着いたのかもしれない。
自分の気持ちが入ってはしまうものの、彼女の選択はこのような結果をたどっていった。
そこには悲しみや後悔もあるけど、それを学びながら受け入れていくことで、そしてそれを共有することで、どんなことでも様々な感情を伴って人々に受け継がれていく。
それにも意味があるような気がする。
この選択を全く後悔しなかったといえば嘘になるけど、それでもやり直しを否定した。
それがこのゲームを締める一番の選択肢だと、私は信じている。

余談だが、この「やり直さない選択」という点については、前記事の『【小話】時戻しと「パラノマサイト」』にて、やり直しを扱う複数のゲームを比較しながら説明している。
興味のある方は、そちらも合わせてご覧いただきたい。


私の「The Cosmic Wheel Sisterhood」の旅は、これで終わった。
これを読んでくれた方も、自分の手でフォルトゥーナを導き、どうか後悔のない結末を歩んで欲しい。


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