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【感想?レビュー?】ドラゴンクエスト11 「王道」を背負うゲームの重み

こんにちは、なるぼぼです。

最近ずっとドラクエ11をしていました。
実は王道RPGってかなり食わず嫌いをしていたのですが、今回異常なレベルではまりこんでしまい、1週間でやりきってしまいました。
スキマ時間が全部ドラクエに消えるぐらいにハマり込んだ作品。
今回は、そんなドラクエ11のいい所、そしてちょっと納得いかなかったところをお話していきたいな、と思います。
よろしくお願いします。

なお、5は納得いっていない部分の説明ですが、恐ろしいほどのネタバレオンパレードです。
あとなぜかペルソナ3もネタバレします。
予めご注意ください。

1.「ドラゴンクエスト」という重圧

さて、ドラゴンクエストとはいかなる作品か。
今更だとは思いますし、僕はドラクエナンバリングで初プレイがこの11なので説明するのもおこがましいかとは思いますが、せっかくなのでドラクエがどんなRPGなのか、ご紹介していこうと思います。

ドラゴンクエストは、1986年にエニックスから発売された作品です。
当時はまだRPGというと3Dダンジョンが当たり前、そして海外のものという印象が強い存在でした。
ウィザードリィ、ウルティマなどの海外産RPGは、ファンの間で静かに面白さが共有される作品でありました。
ドラゴンクエストは、そんなRPGのとっつきにくさの壁をやぶった、革新的な作品であります。
2Dフィールドの使用、戦闘時のコマンドバトル、そして中世ヨーロッパのような世界観。
まさに当時のRPGにとっては革命的であり、今JRPGと呼ばれるRPG群の源流を作り上げた名作でもあります。
ドラゴンクエスト3の社会現象化は、当時のゲーム社会を語る上で欠かせない一要素になっていますし、ファミコン時代からRPGを支え続けた立役者なのは間違いないでしょう。

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そして、そんなドラクエはいつしか「革新」から「伝統」へと切り替わっていきました。
スクウェアの台頭によって、FFの革新性がかなり注目されるようになり、伝統的なドラクエとスクウェアの意欲的なRPGが交互に出されていく。
そうしてどんどんと新しいJRPGの形が作り出されていく中で、ドラクエは形を変えながらも根幹を全く変えることのない、伝統的で保守的なRPGにまとまっていきました。
当時の人々がどのようにドラクエを捉えていたのかぼくはわかりませんが、僕の中のドラクエのイメージは「伝統」と「保守」です。
ただ僕はひねくれものであったので「伝統」は毛嫌いして避けていましたが。

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そして現在の最新作、ドラクエ11。
恐らく相当な期待がかかっていたのでしょう。
なんせ前作ドラクエ10はオンライン、ドラクエ9は携帯機によるグラフィック制限。
ドラクエ8以来久しぶりの据え置き機での販売となれば、おのずとファンの期待も膨らむというものです。
そんなファンの期待を大きく乗り越えて、ドラクエ11は「完成されたRPG」として発売されました。

個人的にプレイしていて思ったのが、「軸がぶれていないのになぜかのめり込んでいる」という点。
RPGツクールとかでRPGを結構やっている僕からしても、「伝統的なRPGって型があって、斬新さがなく面白くないだろう」と適当に思ってしまっていました。
ただ、蓋を開けてみれば全く違う。
シンプルなコマンドバトルの中では、いかにして的確に敵を倒していくか、そしてどのような行動を取ればうまく立ち回ることができるのか、そんなRPGの源流にある戦略性にリアルに触れている自分がいました。
斬新さなんて必要なくて、シンプルな戦略性がとことん面白くなるように作り込まれている。
そんなところに、ハマり込んでしまった自分の存在があると思います。

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でもやっぱり、ドラクエが妙に面白かったのは、他のRPGをプレイしたことも大きいのかなと自分の中では思っています。
僕はメガテンからバフとデバフの重要性を学びました。
ATBを扱うタイトルから、短い時間で最適解を出す難しさを学びました。
小学生の頃の「とりあえず強力な技で殴る」という脳筋プレイよりも、どうしたらダメージが増えるのか、どうしたら有利に動けるのかという戦略を色々と学んできて、ようやくドラクエにそれを活かすことができるようになった、ということに達成感を覚えていたのかもしれません。
改めて、ドラクエという存在がどれだけ偉大であったのか、コマンドバトルがどれほど面白いのか、ということを痛感しました。

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ドラクエという「伝統」を受け継ぐ本作は、コマンドバトルやRPG本来の面白さを追求するうえで間違いなく傑作であると思います。

2.プレイヤーに優しいRPG

僕は本作を、ゲームの当たり前になりつつある「プレイヤーに優しい」をしっかりと意識した作品としても高く評価したいです。
そして、それが「すべてのプレイヤーに対するもの」になっていることも、注目していきたいと思います。

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RPGの本質的な問題として、「どこに行けばいいのかわからない」という点があると思います。
ナビがないとわからなくなるし、マップがなくても迷ってしまう。
プレイヤーをどれだけうまく誘導できるかがRPGの命題であり、ポイントでもあります。
最近のRPGはそれらを非常に丁寧なナビゲーションが行ってくれるようになりました。
本作も例にもれず、しっかりとマップにナビゲーションが追加されるようになっています。
しかも、仲間も教えてくれるという丁寧さ。
ありがたい限りです。

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そして、キャラクター間のコミカルな会話も注目したいところ。
本作では仲間のキャラがかなり立っているため楽しく旅ができるのですが、「なかま」コマンドでしかわからないキャラの意外な一面があったり、仲間同士での会話の中でお互いにどう思っているのかも知ることができます。
キャラゲーとしてもかなり優秀なのですが、何よりもそのキャラクター性がやり込みをしなくても理解できるという点が非常に大きいです。
要はストーリーを淡々と進めていく中でも、しっかりとキャラクターの個性が光るため、結果的に感情移入できるようになっているのです。
ストーリー中の伏線の張り方を含めても、見事な表現になっていると思います。

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そして本作を特徴づけるのが、2Dと3Dどちらのグラフィックでも楽しめるという点。
本作はシンボルエンカウントになる点やUnreal Engineのグラフィックを味わえるという点で私は3Dをおススメしますが、2Dであっても十分遊ぶことができます。
昔懐かしの形態でもドラクエ11の世界観を味わうことができるのは素晴らしい。
何より旧来から作品を遊び続けているドラクエファンにとっては、痒い所に手が届くというような感覚を覚えるのでしょう。
逆に、最近のRPGに慣れた人も、3Dによる高画質のグラフィックとシンボルエンカウントを楽しめるという点で取っつきやすくなっていると思います。

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こういったドラクエファンや新規層、ゲームを始めたばかりの人やキャラゲー好きの人、様々な人に向けての対応がキラリと光るのがドラクエ11のシステム面の良さではないでしょうか。
ナンバリングを重ねていくにつれて、より万人向けになっていくのはどのタイトルでもよく見られる現象ですが、そういった部分がしっかりと広がっていくという点で、やっぱりドラクエは良いゲームだなと感じます。

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3.伝説的な音楽

ドラクエと言えば、まさに伝統的な音楽。
今作ではオーケストラの完全導入を用いることで、より壮大に、より美しくBGMが表現されています。

今作は歴代の音楽をオーケストラにしたものが多くなっており、これに対して批判的な意見が一部あります。
要は使いまわしということですが、僕はそれでも本作は魅力に溢れた音楽だと思います。

例えば、「おおぞらをとぶ」という音楽。
ドラクエ3のラーミア飛行が初出ではありますが、ドラクエ8でもレティスの魂に乗る際のBGMとして使用され、「おおぞらのたたかい」として再解釈されたBGMにもなりました。
ドラクエ11では裏ボス撃破前のケトスに乗る際に流れます。

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このBGM、いわばドラゴンクエストの飛行船を象徴するような曲ではあるのですが、本作ではオーケストラによってその壮大さがより助長されています。
ケトス自身の威厳がより強く映るような、力強いオーケストラは「おおぞらをとぶ」の新しい解釈であると僕は思います。
本作はBGMをシンセサイザーに設定することもできますが、僕はオーケストラで味わう方がいいと思います。
それだけ適切なところで適切な雰囲気を強く表現させる、そういった力強さを感じることができるのが、ドラクエ11の音楽の特徴であると思います。
そしてそれは、仮に過去作の音楽であったとしても、僕は「再解釈」として受け入れていけると思います。

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すぎやまこういちさんが亡くなったということがどれだけ大きなものであったのか、こうしてドラクエ11を遊んでいて痛感しました。
記事上でありますが、ご冥福をお祈り申し上げます。

4.王道と反王道のストーリー

さて、本作のストーリーはいかなるものなのか。
僕はストーリーでも、「王道」が残されていると思いました。

ドラクエのストーリーは歴代を見てもシンプルに捉えることができます。
要は魔王を倒して世界を救う。
これがドラクエの本質であり、「伝統」でもありました。

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本作でも、その本質は変わりません。
ただし、そこにIfの要素や仲間関係のストーリー、裏ボスに行くまでの「過ぎ去りし時を求めた」時間軸へのタイトル回収などを見てみれば、決して王道とは言い切れないと思います。
特に、質の高いサブストーリーがメインと並行するように鎮座していた闇の世界編は、個人的にすごく感動できるものでした。
闇の世界編は仲間にフォーカスが当たっており、仲間が困難を乗り越えて一人のキャラとして覚醒していく姿は、キャラクターゲームとしても魅力的に映りましたし、そんな仲間と最後の戦いに赴くことができるのがとても楽しみになりました。

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主人公周りのストーリーや出生の謎、王家に眠る過去など様々な部分で勇者との関係があったりなど、サブストーリーが本筋に丁寧に絡んでくるところも見事です。
王道でありながら凄く丁寧にキャラやストーリーが作り込まれており、綺麗にまとまっていると感じました。
まとまっているがゆえに、本筋の内容が理解しやすいという点もいいと思います。

5.「時わたり」への都合主義性(ネタバレ注意!)

さて、ここが個人的に一番引っかかっている点です。
それは、「時間モノ」と「ご都合主義」の相性の悪さです。

今作では、ウルノーガの時間軸で死亡したベロニカを救うために、主人公が過去に向かうことになります。
そして彼は過去のベロニカや仲間と邂逅し、ウルノーガのいない時間軸で新たな戦いに踏み込んでいきます。

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ここで問題となるのが、主人公が過去に戻ったことで闇の世界で行われたイベント、行動などが全てなくなったこと。
闇の世界編では仲間を取り戻すにあたって、仲間の持つ問題、もしくは闇の世界後の仲間に置きた異変に正面から向き合っていくことになります。
個人的に、それらのイベントがなかったことになってしまうのは、非常にもったいないと思いました。

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特にそれを強く感じたのがカミュとセーニャ。
カミュ編では黄金になってしまった妹マヤが魔王の悪意によって魔物化し、町中の人々を黄金化させる病気を蔓延させてしまいます。
彼女はカミュが自分を救ってくれなかったことに激怒しており、復活させてくれた魔王に忠誠を誓っていました。
それに対して、カミュは決死の思いで彼女を倒し呪いから救い出すことによって、贖罪を成功させました。
何よりも、止めた主人公を振り切ってまで自分がマヤを助けたいという意思を示す点が、自分の責任や現実と向き合っているという点で、深く感動できるシーンでした。

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ところが、過ぎ去りし時を求めるために過去に入った世界線では、勇者の剣により秒で呪いが解かれ何事もなかったかのようにマヤが復活します。
そしてカミュは主人公に改めて仲間である意思を伝えてくれるのですが、これがプレイヤーから見てるととんでもないぐらいご都合主義で感情に刺さりません。
正直過去に戻る時点でカミュもやり直しになるなぁ、とは考えていましたが、実際の勇者の剣があるとはいえ呪いの解き方が雑過ぎます。
あれだけの深いストーリーが魔王の世界線であったのにもかかわらず、その人間関係も一連のイベントも全部なかったことになって、その代替もあまりにも適当なご都合主義で終わってしまったのは、残念でなりませんでした。

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そしてセーニャ。
セーニャは姉ベロニカが死ぬか死なないかという大きな分岐に直面するキャラクターなので、各世界線での変化が大きいです。
闇の世界では姉が死んだことにより深い悲しみに囚われますが、その後決意を新たにして覚醒します。
覚醒するとベロニカのスキルが使えるようになり、姉の思いを背負ったことがシステムからも分かるようになっています。
最初から天然で姉がいないと何もできなかったセーニャが、姉の死を受けて主人公の前でだけ弱さを見せたところや、迷いを振り払って覚醒し自分の意思で歩むことができるようになったところは、とても感動的だったと思います。

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だからこそ、なかったことにするのがあまりにも勿体ないのです。
過去に行く前の「また私のこと…探し出してくれますか?」は名言だなぁとは思えますが、それ以降は過去のセーニャという存在になってしまうので、あの決意の感情とか、主人公に泣きつくシーンとか、別れの前の一言とかで受けた感動がどこかに飛んで行ってしまいます。
ベロニカ復活自体は主人公たちの仲間を取り戻したいという思考からわからなくはないのですが、それにしても仲間が過去に行くのを止めるのがあっさり過ぎますし、それでいて過去に戻った後はやっぱり覚醒の流れがなかったことになるので勿体ないと思います。
システム的には神の国の一族によって覚醒後のスキルパネル開放だったり、なぜかデビルモードだったりグランドクロスだったりを再習得することができますが、その点も思いっきりご都合主義なので納得がいきません。

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「まぁドラクエってこういうもんだから…」と言えば仕方ないのかもしれません。
ただ、ここまでご都合主義のオンパレードにするぐらいだったなら、ベロニカファンには申し訳ないですが「時わたりなんてやらなければよかったのになぁ…」というのが僕のストーリーに関する思いです。

これが最初に述べた「時間移動」と「ご都合主義」の相性の悪さです。

理屈が通ってないとタイムトラベル系は意味わからんことになってしまい、大量の矛盾点を生み出してしまいます。
それが今までご都合主義でなんとかしてきて、まぁ受け入れられてきたドラクエには処理しきれなかった、というのが正しいのではないでしょうか。
ただやっぱり、闇の世界では感動的なストーリーがいくつもあったので、それをないがしろにしてまで邪神を倒す必要があったのか…?と言われると、僕はNoと言ってしまうような気がします。

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後これは完全に個人的な問題ではあると思うのですが、似たタイトルで「ペルソナ3」をやっていたことも批判的に見てしまう大きな理由になると思います。
ペルソナ3は、「彼」の死を拒む仲間と認める仲間の間で争いが起き、戦うことになってしまいます。
ただそこで「彼」の死の真意を知りに行かないか、という意見を持ったアイギスが勝利し、「彼」の死の真相と仲間たちは向き合うことになります。
その後仲間たちは、「彼」の死を受け入れて生きていきます。

僕はどちらかというと、ゲームのストーリーでも、誰かの死は受け入れている方がいいと思っています。
そもそもやり直せるという状況が非現実的と言えばそれまでなのですが、もしドラクエのようにやり直せてしまうのなら、本来ゲームで伝えたかったメッセージすらも書き換えることができてしまいます。
誰かの死を受け入れて、前に進んでいくこと。
本作はベロニカの死にこんなメッセージを入れようとはしていないと思いますが、そうでなかったとしても過去に渡ったことで主題が不明瞭になってしまったような気がします。
何が伝えたかったのか。何をテーマにしてストーリーを作っているのか。
そういった部分が、裏ボス撃破の段階でわからなくなってしまった。
そういった不明瞭な部分が、僕は気に喰わなかったのかもしれません。

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ただ、この批判は的を射ているようでドラクエには本質的に的外れなのかもしれない、と思うのもまた事実です。
というのも、友人にドラクエ何がおすすめ?と聞いたときに、「ドラクエは雰囲気を味わうゲームだよ、シナリオはそこまでかも」という話をしてくれました。
もしかすると、僕はバリバリのストーリー重視勢だから、本作のご都合主義的な粗に目が行ったのかもしれません。
ゲームとしては非常に面白いですし、粒のストーリーも完成度が高い。
雰囲気を味わうぐらいなら矛盾があってもいいじゃない。
そういったスタンスでドラクエを楽しむほうがいいのかもしれません。

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う~ん、色々言いすぎて自分の意見がまとまらなくなってきました。
要は、「ドラクエ11は無茶苦茶矛盾しててすごい納得いかないところもあるけど、それも含めてドラクエという見方もできる」というのが僕の今の解釈です。
ただやっぱり、ドラクエというレンズを外してRPGとしてみるとストーリーとしては微妙だと思います。
ドラクエというレンズを付けるかつけないかは、プレイヤーのさじ加減に任せられると思います。
この話以上!これ以上するとややこしくなる!

6.おわりに

いかがでしたでしょうか。

最後の方は本作に対する思いを全部吐き出したので大分むちゃくちゃですが、これが僕のドラクエ11をやった感想そのもの、と思ってくれれば幸いです。
RPGとして不思議な魅力を持っていて、斬新なシステムもないのになぜかプレイする手が止まらないというような、本当に面白い作品でした。
ビックリするぐらいハマったので、今度は旧作に戻って遊んでみたいと思います。

あとごめんなさい、一つだけ言い忘れたのでこれはここで。

マルティナが一番好きです!
バニー最高!

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以上です。ありがとうございました。

さて、次回ですが相変わらず特に考えておりません。
今は「ゼノギアス」をプレイ中なので、そこそこ進んだら一つご報告でも入れようかな、と考えています。
あとは買ったゲーム軽くプレイしてまとめてみてもいいかも。
最近ノート見てると、一月で遊んだゲームに2、3行で感想を書くの流行っているみたいなので、軽く遊んでまとめて見るとも面白そうです。
まぁおいおい書きます。もうちょっとだけ待ってね。

それではまた次回。さようなら。

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