人の悪意しか知らない人と人の悪意を本当に知らない人は似ているという話

私は未だによく「ご両親に大事に育てられたお金持ちの子でしょ」と言われる。本当は真逆なのに。中学生でハリーポッターを初めて読んだ時、「えっ!?私より全然いい暮らしをしてるハリー(1巻序盤)が不遇みたいに書かれてるのなんなの!!???」とひっくり返ったあの衝撃は忘れられない。今思えば、ハリーポッターが私に1番最初の気づきを与えてくれた気がする。

ではなぜ、そういう風に見られてしまうのかを考えてみた。

その前にひとつ愚痴りたいのが、私が化粧が薄くて安っぽい服ばかり着ていることを「良家のお嬢様という地位にあぐらをかいてファッションを舐めてるクソ」と言われたことは例によって墓場まで持っていこうと思う。そういう事、思っても言っちゃダメですよ。もし本当に良家のお嬢様でそんな人がいても言っちゃダメですよ。私との約束。
私だってメイクサロンに行って派手顔に似合うメイクを学びたいし、5000円以上する服を着たい。親のおかげでまともな仕事に就くどころか日常生活すらままならないだけなんだ。
はぁ生活に困らない程度のお金欲しい……。

さて、話を戻す。
悪意を知らない人と悪意しか知らない人の共通点、それは、悪意丸出しの人に出会った時の対応が見かけ上同じになるからではないかと思う。
悪意を知らなければ、悪意と知らずに普通に接する。
悪意しか知らなければ、悪意なのかこれが普通なのか自分が悪いからこうなるのかわからなくて、結果普通に接する。
そして悪意を持って近づいた側は、大抵自分は標準以上の育ちをしているため、私(仮)は前者だと判断し、そのことに勝手に恨みつらみを募らせる。ワシがこの世の悪意を教えてやらなければと使命感に燃える。

まあ結果として、どちらの場合であれ、悪意を持って近づいてきた人からは私(仮)は離れていく。ちなみに、悪意をそこそこ知っているといういわゆる「普通の人」は、最初からそんな悪意マシマシの人を相手にしない。結局悪意ありきで人と親しくなろうというのは無茶なのである。

ではなぜ悪意マシマシの人が減らないのか。そういう人は相手に罪悪感を植え付けることが趣味というか癖というか息をするより自然な行為になっている。そして他人に罪悪感を持たせることにものすごい気持ちよさを感じている。対して自分が罪悪感を抱えることを病的に怖がる。
それはもちろん、私だって罪悪感持ちたくない。人として当然の感情だと思う。
でも、何かしら、どうしても抱えきれない罪悪感を持ってしまった人がいる。そういう時、そういう人は、それを上回る罪悪感を他の人に持たせることで心の平安を保とうとする。
私ももちろん、自分の心の平安のために色々やっている。だから人のやり方に文句を言う筋合いはないし、他人を変えるより自分を変えろと耳のタコが潰れて大量出血するくらい言われてきた。

だから、人に罪悪感を植える作業をやめて欲しいとは思わない。ただ、私のようなアホっぽい人(と思ってる相手)から冷静に分析されて見下されて、あなたのプライドは大丈夫ですか? というのがただ不思議でならない。

ともかく、「人の悪意に触れてなさそう」な人に出会った時、その人が本当に悪意を知らない人なのか、そしてあなたがいつの間にかその相手に悪意をぶつけていないか、考えてみていただけたら私はとても嬉しい。

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