クラブ化粧品-ほゝ紅-
ほゝ紅も少しずつ集まってきたので、戦前のほゝ紅の変遷を追いながら、クラブ化粧品から発売されたほゝ紅について記載していこうと思います。
♣頬紅の流行
明治期にはほとんど用いられなかった頬紅が流行し始めたのは大正初め頃。健康的な美しさを表現するものとして勧められ、扮飾上の一進歩であったとも言われています。
(ポーラ文化研究所『明治・大正・昭和の化粧文化 時代背景と化粧・美容の変遷』2016年)に頬紅の記述があったので、昭和6年〜12年の項目を引用します。
頬紅の種類は粉製、水製、練製などがあり、大正期でも数種類の色味があったようです。婦人雑誌や美容本には、頬紅を付ける時の指南が注意深く記されています。私が気になるのは大正末〜昭和初期なので、その頃の美容本を一通り見てみましたが「紅を付ける時の注意」に含まれており、頬紅のみを取上げたものを見つけられませんでした。そもそも探し方が悪いだけかもしれませんがね…。先程と同じく、ポーラ文化研究所が出版した『モダン化粧史 粧いの80年』に(原信子「女の世界」大正6年)が掲載されており、分かりやすい指摘内容なので引用します。
色鮮やかな頬紅を選ぶ人がほとんどで、浮いて見えてしまうことが多かったようです。和洋装によって付け方、色の選び方が異なるのも白粉と共通しています。
♣クラブ化粧品の頬紅
中山太陽堂が初めて頬紅を発売したのは大正3年。最初は紙製のシンプルな意匠で、パフは昭和に発売された缶タイプのものより使いやすそうな形状をしています。
クラブ化粧品の頬紅はどのようなものだったか、まず中山太陽堂編「クラブ堂級化粧品カタログ」と「近代美粧」から見てみましょう。
「クラブ堂級化粧品カタログ」「近代美粧」
昭和初期の「クラブ堂級化粧品カタログ」に掲載されている、クラブほゝ紅。「お顔にほんのり櫻色の健康色を添へ御化粧に一段と生彩を加へます。正價25銭(約500円)」カタログ掲載のほゝ紅と同じものを持っているので、櫻色は年月が経過しているでしょうが右のような色だったと思います。
昭和7年頃〜10年代頃に編纂されたであろう「近代美粧」には、オレンジ色系統とローズ色系統の5種があると記されています。徐々に色を増やしたのでしょうか?頬紅を用いる化粧法として、早化粧の時は使用せず、濃化粧の時は耳たぶに少し付けることを推奨しています。
♧「婦女界」(昭和2年6月号)より御夫人の化粧問答
中山文化研究所 三須裕による「初夏に適はしい爽快なお化粧-周囲すべき皮膚の反動作用-」の特集で、クラブ頬紅の使い方が紹介されています。三須裕については資生堂の記事で取り上げているため、ここでは詳しく触れませんが、昭和初めに中山太陽堂へ移籍したので肩書が中山文化研究所になっています。資生堂在籍中は意匠部の部長として活躍し、いくつもの美容本も出版しています。また、大正末〜昭和初めに大流行した耳隠しを日本で最初に紹介したとされる美の伝道師でもありました。
基本的な使用法は上記のように、白粉を付ける前でも後でもどちらでも良いが、慣れていない人は白粉を付けた後で頬紅を付けるのが良いとのことです。
夏らしいお化粧の場合は、クリーム、粉白粉を付けてから水白粉(薄化粧や早化粧に使用できるよう改良した水溶性のもの)を薄く顔に塗布した後、頬紅をはたき、更に上から粉白粉をはたくと説明しています。夏は、頬紅が目立たない方がスッキリして見えるということみたいですね。
では、私が所有しているクラブ白粉について色々と綴っていきます。
♣クラブほゝ紅
クラブコスメチックスの製品年表を見ると、大正3年の発売から新しい頬紅は昭和3年まで発売されていないようです。その後、昭和11年にクラブ特定品からクラブほゝ紅新美装カン、クラブほゝ紅丸カンが出ています。
戦後のものも含まれているでしょうが、個人コレクションの本を見るとデザインが9種類あったと確認できます。それでもまだあるかもしれませんが。どの頬紅がいつ発売されたか年代を特定するのは難しそうです。
♧クラブほゝ紅1
大正3年、クラブ化粧品から初めて発売された頬紅。説明書も帝国化粧品倶楽部謹製との表記になっています。サイズは直径4cm×高さ3cmと携帯にはちょっと不向きかもしれません。頬紅の色は販売当初からビビッドで鮮やかであったと分かります。
♧クラブほゝ紅2
直径4.0cm×高さ1cm。クラブはき白粉の赤い箱と同じく牡丹模様のデザインです。値段は30銭(約600円)。色はローズ。粉部分を保護しているセロハンがレース模様で可愛いです。
♧クラブほゝ紅3
直径3.9cm×高さ1cmと小型です。値段は25銭(約500円)。凝った意匠が可愛らしく、側面にはチューリップ模様があしらわれています。色は櫻色で、パフはレザー製で、製品アピールのチラシ付きです。
特に詳細な使用法は記されていません。クラブ白粉やクラブビシンと合わせて使用することが勧められています。
昭和7年の商品写真。中央にクラブほゝ紅が配置されています。
♧クラブほゝ紅4
直径4.7cm×高さ1.1cmとサイズが大きく変更されています。アールデコらしい色と模様のデザインです。値段は25銭(約500円)。色は櫻色、パフは残っていません。
♧クラブほゝ紅5
直径4.6cm×高さ1.2cmです。こちらも黒と赤系色のアールデコらしい模様です。値段は30銭(約600円)と5銭高くなっています。色は櫻色、パフは残っていません。
♧クラブほゝ紅6
紙製の少し大きめなサイズで直径4.5cm×高さ1.7cmです。戦前か戦後のものかは分かりません。裏側はベークライト製。
♧クラブほゝ紅7
紙製の頬紅です。同じ牡丹の図案で白粉と缶タイプの頬紅があります。
丸公マークが入っているので、日中戦争中に売られていた物でしょうか。
♧クラブ紙まゆずみ
状態良好の紙まゆずみを入手しました。
まゆずみを取り上げるにも手元にはこの一点のみなので、顔に塗布するという共通点から、現時点では頬紅の記事に追加しておくことにします。
これは携帯用なので、作りも簡易的かつ手軽に使用できる作りになっています。使用方法は、墨が塗布された紙に小刷毛を付け眉を引きます。
他には、銀缶容器入り(金属製の円筒官)の煉製品があります。
クラブ化粧品の頬紅が入手できたら追記していきます。