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何れが派手?大正15年の東西婦人比較

あるあるの東西比較だけど…

昔から東西の色々を比較している記事を挙げたら山ほど出てきます。東西婦人の装い・髪型は勿論のこと、当時の様々な事柄が著名人によって論じられてきました。なので珍しい内容ではありませんが、今回は資生堂で活躍した2人の談話による比較コラムを見つけたので、まとめてみました。


資生堂出身の2人について

『資生堂百年史』より

まず、2人がどのような仕事をしていたか簡単に触れておきます。

三須裕ミスユタカ

大正7年、三越呉服店から資生堂意匠部へ。意匠部の部長を務めた後、大正14年に中山太陽堂へ入社。美の伝道師として活躍。
資生堂時代に、母子向け雑誌『オヒサマ』や『資生堂月報』などを手掛け、化粧法・髪の結い方を解説した本を複数出版していました。
また諸説ありますが、欧州で流行していた耳隠しを日本で最初に紹介したと自称しています。ちなみに耳隠しが日本で紹介されたのは大正9年頃だそうです。
画像は、三須裕『洋髪の結び方と髪の手入れ』にて紹介されている耳隠しの一部です。

『洋髪の結び方と髪の手入れ』より

『洋髪の結び方と髪の手入れ』は、様々なバリエーションの耳隠しと結い方を紹介しています。
耳隠しは一昔前の束髪や日本髪と大きく異なり、和洋装に合わせて結える自由性の高い髪型とされていました。大雑把に言ってしまえば、両耳が隠れていれば耳隠しと言えそうです。これにカール、ウェーブ、入れ毛などでボリュームを出して整えると、なお華やかに仕上がるといったところでしょうか。
『洋髪の結び方と髪の手入れ』は国会図書館デジタルで閲覧可能だったと思います。

矢部季ヤベスエ

大正6年〜14年までの8年間、資生堂意匠部に在籍。
その期間に初期資生堂のデザインの基礎を築いた人物です。その実績は『資生堂図案集』に収められており、ショーウィンドー、ポスター、新聞雑誌広告、オヒサマの挿絵、化粧品類、洋傘、手提等、幅広く手掛けたデザインを図案集にまとめています。
象徴主義の詩人という顔も持っていた矢部季は、アール・ヌーヴォーやビアズリーの作品から影響を受けています。

矢部季が手掛けた図案2点です。

『資生堂図案集』より

資生堂包装紙(大正13年)
ビンセント・ビアズリーが喜劇「ヴォリポーニ」のために描いた扉絵を模して制作されています。右上の白黒がビアズリーのデザイン。

『資生堂図案集』より

切抜き図案
新聞や雑誌広告で用いられた図案です。矢部季はこれらを「切抜き図案」と呼んでいました。第一次世界大戦以前のドイツで公園を散歩していると、小さな鋏を持った人が手招きして、黒い紙で横顔の輪郭を切り抜いてくれたそうです。
当時、切抜き絵が図案として色々なものに応用されるようになり、影絵やシルエットと呼ばれていました。


それぞれの東西比較論

この談話形式は大正15年の初夏に発行された記事です。

三須裕談

◆着物の好み
・色
まず着物の色の傾向でいうと、東京人は色が濃く、大阪人は色が薄い。東西の色彩感覚の違いから、それぞれ派手に見える。
大阪方面は、冬に薄い色で白っぽいもの、夏は濃い色で黒っぽいものを好む傾向にある。また、赤や黄味がかった色にしろ全てにおいて単純な色彩。
東京方面は、深い濃い色を好む傾向にあり、派手の中にも地味さがある。

三須裕の談話を参考に、緑系で東西の好みを起こしてみました。

東京
濃い渋みの中に派手さであると解釈した上で色を選んでみました。派手は彩度だと思うのですが、しかし渋みもあるという何とも複雑で趣きを感じます。

東京

大阪
憶測ではありますが、単調な色彩という点から、なるべく同じくらいの明度にしてみました。

大阪

・柄行
大阪の方が派手。
東京でも派手な流れにあるが、大阪の派手さ加減は悪口を言えば夜具縞(布団の布)を着ているほど、柄行が荒いのである。

大正7年頃のものですが、当時の布団生地だそうです。
上記の夜具縞だと「ま一」と「ま四」を縦に回転させたような柄でしょうか。

『三越』より
『三越』より

◆呉服屋によると
この頃は派手で驚く。お嬢様のお召し物と思って持っていくと、奥様が着用されるので、お嬢様に着て頂く品がなくなってしまい困っている。
大きな縞や柄が多い。色は、白っぽく薄い色、煉瓦のように赤い色、黄色。

また、呉服屋談に限らず三須の見かけるだけでも、昔はお嬢様が着ていたような柄を、2人3人の子供のある奥様が着るようになっていると述べている。

◆大阪婦人の手足
事務員、タイピストなど職業婦人でも着物は銘仙、羽織は錦紗を着ている。それ以上の階級の人は大抵錦紗づくめが多い。柄物が主で、縞物は少ない。何れにしろ上から縞まで絹物なので、見た目は綺麗だ。
・足元
電車の中で見かける婦人の履物は非常に粗末で、錦紗づくめの人々でも綺麗な下駄と綺麗な足袋を履いている人は少ない。
・手
綺麗でない下駄を履いている大阪方面の人々が、指には立派な宝石の指輪を2つも嵌めている人が非常に多い。しかもほとんどダイヤである。
関東には見受けられない現象だ。

矢部季談

◆現代女性の美しさ
花柳界の婦人連からは現代的な美しさはない。それらの婦人が服飾界の流行の中心だったのは、もう昔のこと。田舎はいざ知らず、都会では娘さんと奥様が服飾の流行を作りつつある。心持ち通りな自由な髪、着物、帯、それらは全く現代女性の美しさである。
現代女の美しさは思うさま日光を浴びた、白昼の美である。夕もやに包まれた朧げな美ではない。現代人の要求は弱い感じよりも強い刺激を、より好むからだ。こうした理由から花柳界の婦人より、娘さんや奥様の方がより近代的であり、近代女性美を持っている。

◆東京は佛蘭西式
東京は江戸の昔からアッサリした美だと言われている。
東京のアッサリとした服飾はフランス風の好みである。洋服ばかりでなく着物の場合でもそう言える。

昭和2年のパリジャン好みの半襟。
あどけなさを感じる図案で、20代前半向けとして販売されていました。

『三越』より

◆大阪は米國式
徳川期の末葉から大阪婦人の美はコッテリした所に、より美しさを現す。このコッテリは花柳界残っているが、娘さんと奥様はちょっとアメリカ式好みだ。大阪女の服飾についていうと、春からぐっと白く浴衣のような感じがする。柄は大柄で模様はぱっと抜けており、地色は赤、黄、小豆、茶系統のものに、水浅葱などの反対色で調和をとっている。反対色の調和は昔のコッテリとした趣味の余波である。例えば娘さんなら、臙脂色の着物の裾廻しに青竹色をよく使う。表と内側で反対色にしている。さらに、蹴出しに赤や菜種色の黄と全てを反対色にしているため、見た目がぱっと引き立って見える。


化粧品業界による流行情報

2人の談話にあった、色の流行について触れておきたいと思います。

初夏の着物の地色

年々着物の地色は薄い色になっており、今年も春からの流れで薄い色の流行が続いている。これまでの夏物は、紺、藍、鼠色と決まっていたが、その習慣を抜けて、赤、緑、紫、黄とあらゆる系統の色を明るくしたものが登場している。これは洋装に影響を受けているともいえる。
生地の織り方や染め模様に工夫が凝らされ、変わったものがでてきた。

秋の半襟

流行色に影響を受け、半襟も快い色調および模様によって好ましい趣を見せている。配色も模様もあまりごたごたせず、さっぱりとしたものが多い。
渋さを含んだ明るい色調の無地に、純日本風な秋草、水に紅葉などを軽く刺繍したものが主である。年増向きは、鞘形模様、網代模様など軽い刺繍が施されている。 
新しいものでは、西洋花を日本風に図案化し、西洋物にありがちなあくどさを巧みに避けている。
最近の大流行の約半数は無地ものの有様だ。生地には昔風の縮緬が用いられ、薄手のものではシャルムーズなどもある。
複雑な刺繍を施した高級品は殆ど好まれず、無地物が最も喜ばれる。それは以前のように、半襟をたくさん出して着物を着ないで、立襟にのぞかせるようになったからだろう。

『三越』より

三越のカタログにて、化粧品業界が唱える半襟の流行に合致したものがありました。地色の説明からカラーチップを置いてみました。淡さはアバウトですが、東京方面でも、こっくりした色から淡い色を好む傾向に変化してきたのでしょうか。『大阪の三越』のカタログが見つからないため、比較できないのが残念です。


やっぱり昔の東西比較は面白い

衣服に限らず、食事や美術など東西の趣味(好み)を取り上げている読み物は興味深く面白いです。こういった記事はちょくちょく目にしますが、中でも『主婦之友』(昭和4年3月号)で特集された「東京の婦人を語る大阪婦人の座談会」、「大阪の婦人を語る東京婦人の座談会」は各々の正直な意見が面白かったです。
例えば、「銀座は田舎者の集まりで突飛な装いが多い」、「大阪の色彩はケバケバしている」と少々辛辣な意見がありながら、「東京の流行は上品で落ち着きがある」、「大阪は情味があり柔らかさのある美しさ」など長所も挙げられています。無論東西に優劣はなく、あくまで当時の趣味性や各々の意見を知ることに価値があります。ただ、各々の見方による所感なので、全てを真に受けず、参考程度に楽しむことにしています。

私は関東者なので、東京の小ざっぱりした感じが好みです。