東京国立近代美術館 『重要文化財の秘密』 森鷗外に導かれて
東京国立近代美術館で開催中の『重要文化財の秘密』展を見てきました。明治以降の重要文化財(絵画・彫刻・陶芸)68点のうちの51点を集めた特別展です。
去年、東博の国宝展を見た時に知りましたが、国宝指定の美術品のうち、成立年代が一番新しいのは渡辺崋山の『鷹見泉石像』(1837年)。つまり、明治以降の作品はまだ国宝にはなっていないんですね。ある程度時間が経たないと、評価が定まらないということなのでしょうか。
文化庁のHPに「国宝 重要文化財のうち極めて優秀で、かつ、文化史的意義の特に深いもの」とあるので、今回展示されている中から、国宝に指定される作品が出るかもしれません(カバー写真は黒田清輝の『湖畔』です)。
さて、タイトルに「森鷗外に導かれて」と書きましたが、今回の特別展には、森鷗外の盟友・原田直次郎(1863〜99)の絵が展示されています。
原田画伯は、鷗外がドイツ留学時に親しくしていた方です。鷗外の初期作品の装丁を手がけ、鷗外の二番目の小説『うたかたの記』の主人公のモデルにもなりました。
また、鷗外は原田の影響で美術史や美学に興味を持ち、関連の書籍を翻訳したり、東京美術学校(芸大)・慶応・早稲田で美学を教えたりしているのですが、そもそも、鷗外が美術批評の世界に足を踏み入れたのは、帰国後、他の画家や批評家からバッシングされていた原田をかばうためだったようです。
これが、重要文化財に指定されている原田の絵『騎竜観音』です。解説には「西洋美術では歴史画・宗教画が重要であることを理解した彼は、帰国後、観音像という宗教画を、西洋の技法で描くことを本作で試みました。しかし東洋の伝統では平面的・装飾的に表される仏像が、陰影を用いて立体的に描かれ、まるで生身の女性のように表されるため当時の観衆たちはとまどい、その龍に乗る姿を『サーカスの女芸人のようだ』と批判しました」と書いてありました。
解説ではぼかされていますが、当時の日本画壇では洋画排斥運動が巻き起こっており、また派閥争いも盛んだったので、「信仰心のない者が宗教画を描くのはけしからん」といった感情的な批判もあったようです。
その後、再評価が進んで、2007年に重要文化財に指定されました(原田の作品では、『靴屋の親爺』も重文に指定されています)。
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それ以外で気になった絵をいくつか挙げてみます。
この絵のモデルのエロシェンコ氏は、魯迅のエッセイ『あひるの喜劇』に登場するので、旧知の方のように感じました。エロシェンコは、魯迅とは北京で出会うのですが、その前は日本に滞在していたんですね。日本では、盲目のロシア人詩人として知られ、エスペラント語の普及にも尽力しました。
作者の中村彝(1887〜1924)は、新宿中村屋の創業者である相馬愛蔵・黒光夫妻のサロンに出入りしていた芸術家の一人です。フランスの小説を読むと、芸術家たちが貴族や資産家のサロンに出入りしていますが、日本のサロンでそれに一番近いのが、中村屋のサロンではないでしょうか。
中村画伯は、相馬夫妻の長女俊子と愛し合っていたので、彼女をモデルにした絵も何枚かあります。
絵のモデルになったエロシェンコも別の時期に相馬夫妻の世話になっていました。
また、相馬夫妻はアジアの亡命政治家の面倒も見ています。この話については、中島岳志さんの『中村屋のボース』に詳しいです(中村彝の恋人だった俊子は、のちに亡命インド人であるボースと結婚しました)。
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荻原碌山(1879〜1910)も、中村屋のサロンに出入りした芸術家の一人です。碌山の作品には、中村屋の女主人・相馬黒光に対する報われない愛情がモチーフになったものがいくつかあります。
以前、相馬黒光に興味を持っていた時期に、長野県の安曇野市(碌山の故郷)にある碌山美術館を訪問しました。二度訪問したのですが、二度とも他の客がいなかったので、美術史的には無名の方なのかと…。なので、今回の特別展で碌山の彫刻に巡り合えたのは予想外の喜びでした。
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原田直次郎・中村彝・荻原碌山も結核のために若くして亡くなっていますが、この絵の作者関根正二は二十歳で夭折しています。とても心に残る絵でした。
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鏑木清方は明治生まれなので、この絵に描かれたのは、幻想の中にある江戸なのでしょうか。または、彼の年少期にはこうした江戸情緒がまだ残っていたのか…。私自身、森鷗外の史伝小説の影響で江戸時代に興味を持つようになったので、今の気分に合う絵でした。
国立近代美術館『重要文化財の秘密』は5月14日までです。展示替えがあるので、鏑木清方の絵は展示終了になってしまいましたが、今の時期だと上村松園の絵が展示されています。
国立近代美術館は、地下鉄竹橋から徒歩二、三分です。