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この冬行きたい美術展・夭折の画家中村彝の特別展

 茨城県立近代美術館で開催中の『没後100年中村彝展 アトリエから世界へ』に行きました。

 中村彝についてはこれまでにも何度か書いていますが、大正期に活躍した夭折の洋画家です。代表作は、重要文化財に指定されている『エロシェンコ像』(国立近代美術館所蔵)。

エロシェンコ像 Wikipediaより


 彝は、軍人を志していた十代の頃に結核を発症するんですね。その後、三十七歳で亡くなるまで、小康状態を保った時期はあったものの、生涯を通じて、結核の症状に苦しむことになります。そのため、洋画を志したにもかかわらず、海外に留学することができませんでした。

 重要文化財指定作のある洋画家の場合、彝よりも世代が上の黒田清輝にしろ、藤島武二にしろ、海外留学経験がありますし、少なくとも、美術学校で西洋人に絵を習った人がほとんどです。ところが、彝の場合、留学できなかっただけでなく、洋画家のグループに属して絵を学んだ以外は、ほぼ独学だったようです。独学なのに、わりと若い頃から画壇に認められて、展覧会でも何度も入選していますので、才能あふれる画家だったのでしょうね。

 といっても、自分の描きたいものを感覚だけを頼りに描くというタイプではなく、当時は高価だった画集や、日本人蒐集家が購入した海外の絵を見て学び、彼らの作風に大きな影響を受けています。

 初期に影響を受けたのがレンブラント。彼の画集が手垢で黒くなるぐらいに繰り返し鑑賞したようです。

自画像(1909年)

 レンブラントの技法を習得するために描かれたのが、上の自画像です。

 洋画家のグループで絵画を学んでいた彝は、彫刻家荻原碌山の知遇を得ます。重要文化財に指定された『女』や『北条虎吉像』で知られる碌山は、パリでの留学経験がありました。彝は、西洋絵画や彫刻について教わるだけでなく、碌山を介して、新宿中村屋のサロンに出入りするようになりました。
 中村屋のサロンには、碌山をはじめ、高村光太郎、戸張弧雁、木下尚江、松井須磨子、会津八一等の芸術家が集っていましたが、碌山の死後、彝はサロンの中心人物となり、サロンの人や中村屋創業者の家族をモデルにして、絵を描きます。
 
 彝の絵を時代順に見ると、晩年に描かれた肖像画や静物画がずば抜けた存在感を放ってはいるのですが(『エロシェンコ像』も晩年の作品)、中村屋サロン時代の絵は明るさと若さがみなぎっていて、短命だった彝にとって、一人の人間としても充実した、幸せな時期だったのだろうと感じさせます。

少女

 特に、中村屋の創業者・相馬夫妻の長女、俊子を描いた絵は、どれもとても魅力的です。また、裸体を描いた絵でさえも、俊子の表情がとてもリラックスしていることから、彼女が彝を心から信頼していたことがわかります。しかし、俊子の両親が結核患者である彝と娘の関係を憂いたために、彝はサロンを去ることになります。それと前後して彝が出会ったのが、ルノワールの『泉による女』でした。実業家・大原孫三郎が購入したこの絵を見た彝は衝撃を受け、それを自分の絵に落とし込もうとします。

ルノワール『泉による女』 大原美術館所蔵


裸体 常設展で撮ったもの。今回は撮影禁止

 ルノワールへの傾倒後、彝は下落合のアトリエに移ります(現在、中村彝アトリエ記念館がある場所)。当時の下落合は、まだ武蔵野の面影を残しており、彝はそれをキャンバスに再現しようとしたりーー

目白の冬 

 セザンヌに影響を受けた静物画も描いています。


静物
静物

 本当のところ、これまでは静物画って何が面白いんだろうと思っていたのですが、彝の静物画を見るうちに、描かれた静物のある世界に入り込むような気持ちになってきました。

 そして、下落合時代の最後には、死が間近に迫ったことを意識したような、象徴的で精神性を感じさせる絵が描かれることになります。


髑髏のある静物
カルピスの包み紙のある静物
老母の像


 思えば、2023年の春に国立近代美術館で『エロシェンコ像』を見るまでは、中村彝の名前さえ知りませんでした。その時は魯迅の友達の絵だ!という文学面の興味の方が大きく(魯迅の作品やそこに登場するエロシェンコが好きなので)、その次に、中村屋のサロンに出入りしていた画家ということがわかり、歴史的な意味で彝に興味を持つようになりました。

 画家としての彝を追うようになったのは、夫の転勤により、彝の絵を多く所蔵する茨城県立近代美術館に行く機会が増えたからです。季節ごとに変わる彝の絵を見て、ファンになり…茨城や東京にない絵も見たいと考えていた折に、今回の没後百年の特別展が開かれたわけです。

 また、没後百年の年にあわせて、美術館では、敷地内に建つ彝の復元アトリエの整備をするというクラウドファンディングも立ち上がりました。八百万円の目標額に対して、一千万を超える寄付が集まったこのクラファンに我が家も参加して、彝グッズや特別展の図録と共に、美術館の年パスもいただいたので、彝の特別展を何度も鑑賞できることになりました。彝の絵が一堂に会することはもうないと思うので、しっかり鑑賞して、心に焼き付けたいです。

クラファンでもらったグッズ


 



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海人
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