文章は呼吸する。
読みやすい文の条件とはなんであろうか。難しい漢字が少ないこと?スラスラ読めること?句読点が正しい位置に配置されていること?
おそらく答えはないのだろう。
何故なら文章は生き物だから。生き物だから、その数だけ答えが存在しているのだ。
しかし読み辛い文章が存在するのも確かだ。ではそれはどんな生き物か。例を出してみよう。
1.句読点を多用している文
「私は、今、起きた。伸びをして、ベッドから、起き上がった」
2.終わりの見えない文
「眠い瞼をこすり起きることにした、いやはや、日中起きている時間の方が長いのだからそれと同じくらい睡眠をとらせてくれても良いものを、中々うまくいかないなと思い、私は起きあがろうとしたが...」
3.語彙の量が少なすぎる文
「起きた。眠いしマジ眠い。ベッドから起きるのダルっ。あー起きよ」
これをみて読み辛いと感じてくれれば幸いだ。
このように、世の中には読み辛い文章が生まれることもある。
何故生まれるのか、それは起承転結がはっきりしていなかったり、語彙の問題だったりも理由として挙げられる。が、これもまた、人の数だけ答えはあるのだろう。
では読みやすい文とは?優秀な文章を産むには何をすべきか?その答えを知りたい。
可能なら、文章を書いている時に文章について指摘してくれる人がいてくれるなら助かるのだけれど。