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わたしが産業保健師になったきっかけ①~1社目 保健師複数職場での経験~

はじめての産業保健

いきさつ


保健師学校卒業後、石の上にも3年ということで、病院勤務を希望し看護師に。新生児科にて主に低出生体重児の看護を行っていましたが、三交代の辛さ(夜勤の前の昼間仮眠ができない、夜勤明けに寝れない、やつれる、仕事が終わらない気がする、帰宅してもモニターの音が耳から離れない、友達と休みが合わない、友達に会えない、寝て起きて仕事に行くだけの毎日、月の日勤は5日ほど…)に耐えられず、夏には求人を探している状態でした。
もともと養護教諭になりたくて教職試験を受けましたが、4人/250人と狭き門で、早々にあきらめていました。
その年募集になる市町村も調べましたが、小さな山奥の町が2件のみでした。
うーん、、そうだ!産業保健に行こう!
そう思って、看護学校の学生課に電話をしたら、たまたま「今求人が来ていますとのことでした。

採用試験

保健師取得見込みじゃなくて、もう持っている人で働ける人を探しているそうなので、受けてみられては?」と言われて、必要書類を集めることに。看護学校はいいとしても、高校の卒業証明書や成績証明書も必要…
しかもお盆休み…
高校のときによくしてくれていた先生(1年生の時の担任)に泣きついて、「事務室空いてない!先生どうにかして」
といって、よっしゃと事務室に掛け合ってくれました。
このY先生は、私が高校1年から2年、3年とどんどん成績が落ちて、国立大学一次志望がだめで、二次志望は行きたくもない工学部…
行くところに迷っていた時に「お前は看護師になれ」と言ってくれた先生でした。浪人するのが嫌で看護師になりましたが(ひとつだけなぜか看護学科受けていた)、進学して保健師までとったのでした。
保健師の求人の場合、空きがでたから急いで探す、みたいなところが多いかと思います(新規でない限り)。そして、求人をどこかに載せてしまうと殺到するので、ひっそりと口づてで探したり、わたしのケースのように、看護学校(特に産医大だけ出ている求人とかもあり。私はちがう学校出身)に声をかけているケースもあります。
たまたま求人情報を知ることができて、受けることができました。
とはいえ、取ってもらえるのは一人だけ・・・
8名くらいかな、受けにきていたと思います。
ただ、私は受験日、準夜勤務明けでぼけーっとしていたのか、筆箱と化粧ポーチを間違えて持っていって、えんぴつも消しゴムも腕時計もなし…
後ろの席の人にこっそり借りようと思って声をかけましたが、
「(貸せるえんぴつは)ないです」
といわれシュン😢←その人鉛筆いっぱい持ってた笑
人事の人にすぐにばれて、筆記用具とキラキラの時計を貸してもらったのでした。(いまだに元上司に言われますが、その上司は人から聞いただけで当時の採用メンバーではなく、私のポンコツぶりが語り継がれています…)

企業に就職 はじめての産業保健師


そうこうして受かって入社した企業は、地域のトップ企業の中に入る大きな会社でした。保健師の先輩も同じ場所には5人いて、全社では三十数名がいました。入社日に机に座って引き出しを開けたら、新しいペンや鉛筆、消しゴムなどの事務用品が準備されていて、「新人の私を待って準備してくれてたんだな」とうれしかったのを覚えています。
産業医の先生は、各営業所ごとに嘱託で契約していて、地元の近くのクリニックの先生と、産医大の修練医の先生といらっしゃいました。だんだんと企業でのメンタル対応とかが増えてきていた時代だと思います。
上司がご高齢のクリニック専門の先生たちから、産業医のみされている先生方(産医大の先生方)に契約を切り替えた(すごい苦労だったと思う…)のは、私が入って間もなくの頃でした。

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