最後の夏じまい
夏とともに、夏が逝く。
仕事ぶりは真夏の光線。まぶたの裏で弾け続ける残像を残す、強烈なまぶしさを持っていた。
聞けば本人も夏生まれだと言う。獅子座にふさわしい、王者の風格。トレードマークのスーツ姿は、経営者というよりも引退したプロ野球選手を思わせた。歳の割に密度ある体躯、それは自己顕示欲ゆえではなく、スポーツを愛し愛された者だけが持つ時間の名残を感じさせたからだ。土埃と日なたの匂い。汗の記憶。
けれども、メディア映えする成功者たちが放つ暑苦しさは感じない。むしろ、ひとはけのほの暗さをたたえたひとだった。まるで彼が手がけたCMの、水着の下に隠された、ひと夏の秘密のように。
多くの人々が心奪われた。彼の作るCMに。そして彼自身に。業界中の強烈な嫉妬と羨望の視線を一手に引き受け、彼は30代の若さでスターになった。けれども星は光でありながら闇に身を置く。彼もまた華やかな外見と経歴より、どこか孤独な後ろ暗さを意識して保っているような矜持があった。そういうところが好きだった。無二の輝きを放ちながら、夜しか見えない夏の星座のように。
それは、自分を取り巻く面倒ごとから自身を守る盾にしたかったのかもしれない。ただその姿勢こそが、多くの人間を引き寄せる熱源にもなっていた面もある。飛んで火にいるなんとやら、彼に憧れて業界入りを決めた私もそうだった。
あの人に憧れてこの業界に入った、と言えば誰もが、「格好いいもんねえ」とため息をつきながらうなずいたものだ。男性は、勝てないや、とも言いたげな降参の手振りとともに。女性は、ほんのりした恋情をこぼす女学生のような声音で。
言うなれば、胸の奥に遺した青春時代のひと夏。甘いような痛いような、ときめきと敗北感のはざまの感情を抱かせる男であったのは間違いない。近くで仕事をすれば打ちのめされ、遠くから仕事ぶりを眺めれば幸福がこみあげる。
その彼が亡くなったという知らせを、先月末に受けた。あまりに突然すぎて、本当に真夏の通り雨のようだった。逃げ水のようだった。悲しみに浸ることもできない、あっという間のできごとだった。
仕事や講演先でお目にかかったのは数回だ。でもいつかまた会えると根拠のない予感に身を委ねていた。夏が毎年来るような必然をもって。でも彼はもういない。二度と同じ夏が来ないように。
オリンピックがなければ、平凡な夏でした。
そのコピーを生み出した彼が、いない夏が過ぎていく。
この夏の喪失を、私はまだ受け止めきれない。名前を見るたび、涙が出る。わたしの夏の大三角。ずっとその光を、追い続けていたかった。
夏に生まれ、夏に逝った、わたしにとっての永遠の夏の代名詞。その名は、岡康道と言う。彼の存在はいつまでも、この胸に残り続ける。消えない日焼け跡のように。いつかの夏、彼に出会った日のように。