妄想色男図鑑 1
歌手・俳優・文筆家Hの場合
名刺に嘘を書いたら罪に問われるのか。
本当にその名前か、その職業か、はたまた存在する生業かどうかも誰も見抜けないのに。
翻って、果たして自分は何者か。名刺交換をした相手の役職を見て考える。
こう言う業界なので名刺は持たない。作ったこともない。自分の身ひとつでのしあがるこの世界において、自分の会社と役職と名前を一枚の紙切れで名乗ることは、とても空虚でおかしなことに見える一方、よりどころがある妙な自信をうらやましく思う。今でこそ世間では多才、八面六臂の活躍なんて言われているが、どんな肩書きだろうと、いまはひとりの疲れている男に過ぎなかった。
数年前に倒れた頃はいつもカリカリしていたものだ。もっと俺が。もっとお前らが。期待値へ届かない不甲斐なさとやるせなさを楽器にぶつけても、思うような曲はひと握りしか作れず絶望感に襲われる。行き場を失った激情はゲームと爛れた女遊びに費やした。今思うとひどいことをしたものだと思う。情事が終わった後は相手が帰らざるを得ないよう、寝たふりをしていただなんて。
今はそんな日々さえ懐かしい。世界が反転したかのように、男の出番を世間は切望し、スケジュールを奪い合う。求められる喜びに子どものようにはしゃいだのも束の間、中年の体には倦怠感と諦めが雨垂れのようにぽたりぽたりとしみてゆく。
見かねた旧知のプロデューサーが、たまには女と遊べよ、とある日飲み屋に連れてきたライターは、好きなAV女優を彷彿とさせた。元アイドルで、黒髪で色白で、巨乳ではないが美乳の女優。普段は前髪で隠れたおでこが、犯されているときに見えるのに興奮した。
目の前の女性も、前髪はおでこを覆う長さだった。だし巻き卵をつまんだ箸の持ち方が綺麗だった。度がキツそうなメガネですね、と小さく驚いた声は高くも低くもなく、日々すり減っていた体にはありがたかった。
やってみたいな。思わず口に出してしまった本音に、彼女は怪訝な顔をし、プロデューサーは満足げに声をはりあげる。おい、週刊誌に撮られたりするようなマネすんなよ。週刊誌の記事になる?その時、自分の肩書きは何と書かれるだろう。