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私は普通の家庭!?

私はごく普通の家庭,父と母、私の3人の中で育ちました。
お金は沢山ある訳では無いけれど、父も母も社会に適応した暮らしをしていました。
私も変わったところも特に無く、学校で困ることも多少はあったものの、良くある思春期などを過ごしてきたと

思っていました。
最近まで...

だが、何故か生きずらさや
最終的には勤めることが出来ない、という事態を招いているのも普通では無かったんだ、とやっと気づきました。
というか認めました。

以降、家の家庭の程度の低さについて書いていきます。

父について。
父は何か予定外の事や困った事態が発生したり、要するに面倒な事があると怒り出し、それを巻き起こした犯人を誰か特定し、(勝手に決める)その人、大抵は母をけなす、「お前が悪い」と言って面倒事を亡きものに瞬時にしようとしました。

器が小さかったのです。
ドラマなどで見る低所得者の父その者でした。
酒やギャンブルはしないけど、面倒な事になるのが怖いだけでした。

私が中学位の時、若気の至りで文句を言った時はこの世の者とは思えない血走った目で今にも殺されるんじゃないか?という位の表情をすることがありました。

自分の至らなさ、社会的地位の低さが指摘されるのをものすごく怖がっています。

他人と挨拶や世間話も全く出来ないため、いつも黙って聞いているフリをしていました。

今はなるべく近寄らないようにしています。
してもらう事も最小限に。

わざわざ、今から改善してもらうつもりもありません。
ただ、ご飯を食べさせて頂き、そしてこの学びをさせて頂き、感謝しています。

私はずっと、中くらいの家庭環境で何不自由無く暮らして来たまあ、恵まれた子供だ。と自分で思っていました。
いや、言い聞かせていました。

しかし、そのような父が毎日帰ってくる環境で緊張しながら生活していたことが分かってきました。

私は人よりも元々敏感で他人の思っている事が分かります。
(コレも鈍感だと思い込んでいました)
だから、父の琴線に触れないように暮らしていました。
だけど、母はたまにお構い無しに色々要望を言ったり、刃向かったりしていたため、その度に緊張していました。
お願いだから、刺激するような事は言わないでくれ、と思っていました。

そのために学校での弊害が1年生から出始めていました。

次回は小学生の頃の私について書いていきます。


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