こよみだより 番外編 〜節供って なあに? 〜
はじめに
4月も残すところあと2日となりました。
和菓子屋さんに並ぶ つややかな柏餅が目に入るたびに、美味しそう!と思いつつ、端午の節供が近づいていることを感じていた今日この頃です。
その端午の節供を含め、日本には たくさんの「年中行事」があります。
年中行事とは、辞書によると「毎年特定の時期に行われる行事」のこと。
冠婚葬祭の“祭“にあたります。
具体的に、どこまでの行事を「年中行事」と呼ぶのかというと、現在の定義は曖昧です。
ただ、今では、クリスマスの他、バレンタインやハロウィンのように、西洋から伝来して商業資本が広めたような行事も、年中行事化していると言えそうです。
でも、日本古来の年中行事とは、もともと「神さまへのおもてなし」を主とする祭りのことであり、宮中で行われていた公事のことを指していました。
八百万の神を信じる日本人にとって、神さまとは自然そのものであり、また命をつないできたご先祖様のことだったと言われます。農耕過程と祖先崇拝に基づいて、古くから営まれてきたのが日本の“祭り”なのです。
その年中行事の中でも 、5つの「節供」は、今なお 広く受け継がれている日本の貴重な行事です。
私は、これまでの『こよみだより』の中で、何度かその「節供」に触れてきました。
でも、
そもそも、
節供 って なんでしょう?
誰もが知っている言葉のようではありますけれど、その内容はというと、実はあまりよく知られていないような… そんな気がしています。
かく言う私も、当初はよく知りませんでした。
(いえいえ! 皆さまはご存じかもしれません。ご存じの方にはお恥ずかしいのでここまでとして頂きたいと思いますが。。)
今日は その節供について、ちょっぴり おあそびをしながら綴りたいと思います。
「節供」の由来
節供ってなあに?ということは、その言葉の由来を知ると、わかりやすいかもしれません。
中国の暦法上で定められた季節の変わり目のことを 、節日(せちび/せつじつ/せちにち)と言いました。日本に伝わり、長らく用いられていた暦です。
節日は「陰陽五行」の思想に基づき定められたもので、邪気をはらうことを目的として 神さまを祀る日とされていました。(このことは また後ほど。)
日本では、節日に神さまへお供えする料理のことを「節供(せちく)」と呼び、それが しだいに供え物をする日のことを「節供(せっく)」というようになったと考えられています。
節日に神さまへお供えするから「節供」。
そして、節供には宮中で句を詠むことが多かったことから、後に「節句」とあらわすようになったと言われているそうです。
ここでは、もともとの意味合いを尊重したいという理由で、「節供」としています。
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節供の歴史
古代中国には、たくさんの節日があったそうです。
日本でも、中国から伝来した当初は、多くの種類が存在していました。
その節日の風習は、日本の文化や生活と融合しながら、節供として少しずつ 特定の行事をさすようになったと言われています。
はじめにお伝えしましたとおり、日本では古来、農耕過程と祖先崇拝に基づき祈りが捧げられてきました。古くは残雪の形、草木の芽吹き、作物の生育などの季節の移ろいや、月の形により、庶民の間でも 折々に行われてきたといわれます。
大陸から伝わった節日の風習は、やがてそれらとブレンドされながら日本の節供として浸透したと言ってよいのでしょう。
いずれの節供も基礎をなすのはお供えをして神さまを祀るものです。
日本では、神さまへの供物を 人々も分け合って一緒に頂くことで、神さまと人間とが絆を強め、霊力を授かって災いを防ぐことができると信じられていました。
神人共食や直来といわれるものです。
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その日本の節供は、もともと宮中で行われていたものですが、しだいに武家にも広まりました。
さらに時代が進み、江戸時代になると、たくさんあった節供のなかでも、幕府がとくに重要なものとして 5つの節供を公的な行事・祝日として定めたことから、庶民にも広く浸透するとともに、“祝い“に重きがおかれるようになりました。
5つの節供とは、
1月7日 人日
3月3日 上巳
5月5日 端午
7月7日 七夕
9月9日 重陽
のことで、これを「五節供」といいます。
式日としての五節供は、明治6年に廃止されましたが、その後もそれぞれ 、七草粥、桃の節供、端午の節供、七夕、菊の節供として、少し形を変えながらも 現代まで受け継がれています。
本来の神事的な姿よりも、家族でお祝いする祭りへと変化して今日の節供に至ったといえるでしょう。
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節供に関連すること
❑「おせち料理」の由来
日本では、新しい年は お正月に歳神様が連れてきてくれるものと信じられていました。
おせち料理は歳神様へ捧げ、私たち人間も一緒に頂くものです。
その「おせち料理」の名は、「節供料理」に由来します。
先述のように、日本には、五節供の他、いくつもの節供があったそうです。
お正月もそのひとつ。元日も節供でした。
「節供料理」とは本来、節日の神饌のことでしたが、時代の経過とともに、最も盛大に振舞われるお正月の節供料理だけを「おせち」と呼ぶようになったのです。
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❑ 陰陽五行説
さきほど節日とは、中国の暦法上で定められた季節の変わり目 であり、それは「陰陽五行」の思想に基づくものだとお伝えしました。
陰陽五行説ってなあに? ということ、そして五節句との関係を、私なりにザックリと おはなししてみますと…
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陰陽五行説とは、「陰陽思想」と「五行思想」の2つを合わせた考え方のことです。
「陰陽思想(陰陽道)」とは、『この世はすべて「陰」と「陽」とが補完し合いながら、バランスをとって成り立っている』という考え方、
「五行思想(五行説)」とは、『自然界は、木・火・土・金・水の五つで成り立っている』と考えるものです。
先ほどの五節供は、それぞれこの5つがあてはまっているのだそう。
また陰陽道では、奇数は陽の数字、偶数は陰の数字とされています。
五節供をみてみると、「奇数(陽の数字)が重なる日」であることがわかります。
奇数の日は、縁起が良いとされている一方、奇数が重なる日は、足すと偶数になることから「陽から転じて陰になりやすい」とされました。
ですので 起源を辿ると、奇数の重なる五節供の日は “忌み日“ とされ、災いをはらうために神さまをお祀りしていたのです。
とはいえ、現在のお祝いムード漂う節句を思うと、”忌み日” と言われても、あまりピンときませんね。
それだけ、それぞれが長い歴史の中で、変化しながら形成されたということでしょう。
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おしまいに
冒頭でお伝えしましたとおり、今日の日本の年中行事は多様化しています。私は、それがダメだとか イヤだとか言うつもりは全くありません。
実際、私も我が家のクマちゃんとともに、様々な行事を楽しんでいますから。
ただ、年中行事とは元来、今日おはなしした節供に代表されるように、折目節目に祈りを捧げた日です。
昔は 疫病が流行っても、ワクチンなどがあるわけでもなく、
また悪天候が続けば、命の糧である稲が実らず大変なことになってしまいました。
人々が安寧に過ごすためにできることは、唯一、 ”祈ること” だったのかもしれません。
神さまを信じる、信じないということとは無関係に、祈りを捧げてきた昔むかしの日本人の姿をおもうと、今日の四季を彩る行事が、より深く、より豊かに感じられると思うのです。
ということで、今日は節供についておはなししてみました。
長文をここまでお読みくださいまして、ありがとうございます。
今日から大型連休の方が多いのでしょうか。
私は今日を含め、ぽこぽこと出勤するのですけれど、、それなりに楽しみたいと思います!
どうぞ、すてきなゴールデンウィークをお過ごしください。
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