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都内うつわめぐり④ 〜柿傳ギャラリー〜 


先月、都内の美術館やギャラリーへ、うつわめぐりにで出かけました。
その記録も、今回でやっと4回目。

今回は「柿傳ギャラリー」です。

うつわ好き素人が綴る感想文です。
よろしければお付き合いください。




柿傳かきでんギャラリー



柿傳ギャラリーは、JR新宿駅から徒歩1分という立地に建つビルの地下にある。

ギャラリーの母体である『京懐石 柿傳』は、同ビルの6階〜9階にあり、本格的な設えのもと、“正当な” 懐石料理を頂けるお店だ。
それもそのはず、というのは、その由緒を読めばわかる。(「本格的なお茶事の懐石教室としてスタート」。)

私は二度ほどこちらで懐石料理を頂いたことがあるのだけれど、とくに茶事に疎い私のような者にとっては、日本文化を知るための貴重な場でもあることは間違いない。伝統を崩すことなく提供されるお料理と、そのいただき方には一つひとつ感動する。


柿傳ギャラリーのホームページを覗いてみると、次のように書かれている。

「新宿で大人の道草を。」

これは、昭和44年、「新宿・京懐石・柿傳」の開業にあたり、ノーベル文学賞受賞作家である川端康成先生から頂いた言葉であり、40年後の現代を生きる我々「柿傳ギャラリー」としても、まさにこの言葉を主眼に掲げ、精進している所です。(後略)

柿傳ギャラリーのホームページ「店主ご挨拶


大人の道草。 言い得て妙とはこのことだと思う。
そして「道草」にレベルがあるならば、最高級の道草だとも思う。

またギャラリーの企画展は、年間 約33回も開催されているというから、いつ訪ねても新鮮な道草ができそうだ。


私が訪ねたのは8月下旬のこと。
開催されていたのは、遺作展だ。


奥唐津 吉野敬子 遺作展


吉野敬子氏は、奥唐津に佇む『櫨ノ谷はぜのたに窯』の二代目ご主人だった。
自然とともに生き、「畑からうまれるようなやきもの」を理想として作陶をされていたのだけれど、昨年5月に、51歳という若さで旅立たれてしまった。

私は敬子さまについて、既に2回、noteに書いている。昨年のうつわ旅で櫨ノ谷窯を訪ねたときの記録と、今年2月に同ギャラリーで開催された『唐津焼11人展』を訪れた記録だ。
だから、読んでくださっている方には、「もう、しつこいわ」と言われてしまいそうなのだけれど...... せっかく訪ねたので、2つだけ、私のきもちを残しておきたいと思う。


ひとつめ。
私は、この遺作展に行くかどうかを迷っていた。
もちろん観たい気持ちは山々だったのだけれど、すこし理由があって、躊躇していたのだ。
けれど、ギャラリーのホームページで発信される美術評論家 森 孝一先生による紹介文や、敬子さまのご主人がInstagramで綴られていたことばが胸にしみて、行くことに決めた。

この地方で泥岩と呼ばれる砂岩をゆっくりゆっくり唐臼で砕く音が、昨年の五月を境に谷間から消えた。
櫨の谷窯の主人・吉野敬子さんが亡くなったからである。

(中略)
敬子さんの作品が個性的な造形作品よりずっと心地よいのは、そんな自然体な生き方から来るのであろう。
そこに敬子さんの思想があると、私は思っている。

この追悼展が、最後の個展と思うと残念でならない。

柿傳ギャラリーHP『奥唐津 吉野敬子 遺作展』「ご紹介文」


来週23日(金)からはいよいよ東京新宿柿傳ギャラリーさんで故窯主敬子の作品展です。生前から決まっていたスケジュールで、残念ながら本人が亡くなったため遺作展となりました。
(中略)
敬子がその短い生涯の最後にどのような境地に至っていたのか、ぜひご覧いただけたらと思います。

『奥唐津 櫨ノ谷窯』Instagram


これらを読んで、私はギャラリーに伺い、作品をしっかりと目に焼き付け、心に留めようと思ったのだった。


ふたつめ。
会場に入ると、壁に飾られている2枚の写真パネルが目に入る。
いずれも、敬子さまとお嬢さまのツーショット写真だ。敬子さまが旅立たれたとき、お嬢様は中学2年生だったという。
お嬢さまを両手で包み込むように触れる敬子さまも、包まれるお嬢さまも、やさしさとしあわせに満ちたような笑顔だ。
ここに並ぶ作品たちをつくった手は、自然を愛する陶芸家の手であると同時に、こうしてやさしく娘を包む母の手でもあるのだと思い、なお感慨を深くする。
ぽってりと釉薬のかかるお猪口や、丸とも四角ともいえぬような一筆書きの絵唐津、土の色が生きる三島唐津など、どれも心にしみ入るようだった。

また、最後にギャラリーの接客用テーブルに視線をうつすと、そこにも写真立に納められた敬子さまとお嬢様のお写真があった。伺えば、これは亡くなる半年前に撮影されたものだという。
私は敬子さまのご病気のことなど何も存じ上げないのだけれど、それを拝見すると、闘病の片鱗も見えてしまうようだ。
にもかかわらず、やはりお二人とも幸福に満ちたあたたかな笑みをたたえていらっしゃる。先ほどのパネルと併せ、シャッターを押されているのは ギャラリーにいらしたご主人であろう。

あの、ありのままの自然が生きる谷の空気と、ご家族の深い愛が、静かに伝わってくる。


奥唐津 『櫨ノ谷窯』二代目ご主人・吉野敬子さまの、最後の個展。

とても、すてきだった。





吉野敬子さまの作品は、先ほどのギャラリーHP「過去の展覧会」や、ご主人さまが綴るInstagramなどで見ることができます。




ところで。
私は昨日、前回記録した戸栗美術館の『古伊万里から見る江戸の食展』を再訪しました。
前回は 雨雲レーダーとにらめっこしながらの訪問だったため、近隣の散策は控えたのですが、昨日は “9月の炎天下” の中、『鍋島松濤公園』にも立ち寄ってみました。


前回のnoteは、写真の差し替えや 追加をして更新しています。



さて。この「都内うつわめぐり」の記録。
始めた時点では、今回までの4箇所で終わりのはずだったのですけれど、のんびりと綴っているため、訪ねた個所が少し増えてしまいました...。

うつわめぐりは、今後もゆるやかなペースで、きっとずっと続きます。
ですので記録のやめどころを迷っています。
今回で、おしまいにするかもしれませんし、そうではないかもしれません...。

まあ、気の向くままに、いきたいと思います。


ここまで おつきあいくださいまして、ありがとうございました。




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