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全ては「間」で出来ている

見ている様で見えていないもの
見えないことで見えてくるもの

ココロの視点によって、見える世界は変わりますよね?

電車で例えると…

特急電車ばかり乗れば、各停でしか見られない景色を、見逃してしまいます

クルマを運転していたら?
歩いていたら?

見える景色や風景は、更に違うものになるはず

これらは速度の違いによる、見え方・感じ方ですね

「木を見て森を見ず」
というコトバがあるけれど

森を見てるだけじゃ、足元の草花や昆虫を見逃してしまいます

これらは距離や位置、広さの違いによる、見える世界の変化

また意識や気分によっても、同じ風景が違う景色に見えたりしますよね?

見る…見えるって何でしょう

私達は文字を使い、こうしてブログを書いたり、本を読んだりします

文字を読むとは

文字を目で見て、意味をアタマで理解し、想像すること

更に小説などのストーリーに感動するのは、ココロを動かされるから

読むというのは、情報を入力する以上の行動

だから…
「先を読む」「ココロを読む」「気配を読む」というわけですね

私はSNSを活用していますが、Facebookや Instagramはもちろん…最近はThreadsも活用しています

ちなみにX(Twitter)はほとんどしません

「見る」のは災害情報だけ…
身元を明かさない人間が、ストレス発散の為、負の感情を垂れ流してるのを見るのは疲れるからです

2ちゃんねるとか、5ちゃんねるも全く見ないし

自分のコトバに責任を持たない人間が、感情のゴミ箱みたいに吐き出してる場に感じてしまうので

興味が無いのですね
(あくまで私個人の主観です)

ここで気がついたと想うけど…

X(Twitter)を「見る」と述べました

「読む」とは述べていません
しかしFacebookやThreadsは「読んで」います

InstagramやYouTubeは「観て」います

私はInstagramにも、Facebookとの連動で、割と長文書きますが

これって絵(映像)で見るのが好きなタイプと、文字で読むのが好きなタイプに分かれるし…

私はもともと読書が趣味(両親共に読書家だった)だから、文章を味わうのが、そもそも大好きなのです

良い悪いでなく、読書習慣がない人は…文字(長い文章)を読むのが(書くのも)苦手だったりするのでしょう

短文のTwitterでさえ、面倒臭い人達は、一目で見てわかる写真や動画をInstagramやYouTubeに載せていて

それさえ、すぐに観れるショートを好む人が多いです

ストーリーズなどは、そもそも残さない前提の24時間投稿だし

音楽もイントロが邪魔と想う人達がいる時代…
どんどん時間を「巻き」で生きてる感じなんでしょうね
(忙しいんですねぇ)

ネタバレを観てから、映画を早送りで観る人もいるようだし…

私は決して時短文化を否定しません

効率も大事だし

でも私が大事にしたいのは、ちゃんと味わって満たされること

その方が楽しいし、充実するから

ファストフードには無い良さが、スローフードにはある様に

ゆっくりじっくりだからこそ、味わえることもあるのです

もし、素敵な異性と出会って
食事して…互いの考え方とか、人生観を交わらせる楽しさをすっ飛ばして

効率優先で、出会ってからのプロセスを全て省き…
時短でSEXして楽しいでしょうか?

もしかして、SEXさえ面倒臭いという若者がいたりしたら?
そりゃぁ人口減少しますよね…

歌にイントロがあったり
舞台や映画にオープニングからクライマックスがあるのも、全体の流れを楽しむ為

ストーリーを知ることが目的な人は、ネタバレも早送りも良いけど…

セリフとセリフの「間」にも(むしろそこに)ドラマがあるわけで

これは小説の行間にも言えること

その「間」を味わえると、人生を余計に楽しめると想うんですよね!

漫才やコントの動画を早送りで観ても、あまり面白くないはず…
感情に訴えるのにテンポが凄く大切だから

ダンスなんかもそうです

ダンスなどは、動画を見て真似出来ることもあるでしょう…

でも動画の上っ面だけを見てわかった気になり…見失うこともあると想います

文章から読み取れる人は、想像力をフル稼働することに慣れていますよね

だからSNSでも…
会ったことない人の文章を通して、伝えたい本質が「視える」のです

映像を録画再生するテクノロジーがなかった時代は、文章から読み取るしかありませんでした

時代劇の巻物みたいな伝書や、古文書などが正にそれ…

文字(文章)を通して昔の人々の生活や文化を知ることが出来るのは、単に文字を理解する知識だけでは不可能です

文字を見て想像するまでが「読む」という行為だから

慣れ…つまり習慣化による訓練が必要ということ

更に文字がなかった時代は、口伝ですからね…

伝える人のエネルギーそのものをちゃんと受け取らないと、伝える時に濁りが生じてしまいますから

文明の進化発展に、人間は適応し続けるので

テクノロジーを操る能力は現代人の方が、圧倒的に優れているけれど

江戸時代の人々みたいに、現代人は長距離を歩けません

発達と引き換えに衰えた能力は、環境適応の為の必然…

文字や文章以外を含めた「読む」能力〜理解し想像し味わう能力は、確実に衰えている気がします

それは、時短だったり人口増大で、生活に余白が無くなってきたから…

余白は正に「間」ですね

時間も空間も「間」が大切
「間延び」も「間違い」も良くないし

人にも「間」があるから「人間」ということ

空間的・心理的距離感を「間合い」と言いますから

ダンスは、時間と空間を人間が描くもの

間が抜けた=「間抜け」な運動は、単なる体操です(もちろん体操には体操の素晴らしさがありますが)

ダンスの良さとは
音楽的な間「時間」
美しさの間「空間」
情感的な間「人間」
で表現されるもの

つまり「間」でドラマティックな世界を表現しているのです

ダンスにも陰陽あって…

陽のダンスの素晴らしいものには必ず陰の部分、つまり内面から湧き出たエネルギーが溢れています

そうでないと、熱量を感じない単なる運動でしかないから

逆に陰のダンスにありがちな独りよがり感は、カラダが錆びついて、エネルギーが閉じこもっているということ

カラダを鍛えていないアマチュアのダンスや…
スピ系に多い瞑想的インプロとか、セラピーのダンスで見かけるのは…

カラダという楽器をチューニングしていない人達
だから感情を解放しようにも、詰まりっぱなしという…

癒し目的でセラピー系、瞑想系のダンスに参加しても…

カラダをコントロールする訓練しなければ、奥深い感情のストレス(トラウマなど)を解放出来ません!

例えその場の空気で一時的に癒されても…

自分でその状態を創り出せないから、娑婆世界(一般社会)に戻れば、結局は同じストレスに晒される現実

だから癒し依存〜癒し中毒になるわけですね

本当に自分を癒すのは、内発的に、自分の心身を磨くのでなければ無理でしょう…

ホストに依存して、ぼったくりの売掛金の為に売春までする女性達は、完全に中毒に陥っているわけで…

完全なる思考停止状態
完全な癒しジャンキー

何故それに気が付かないのか?

ココロに余白が無いから
つまり「間」を詰めた生き方をしているから

時短なんて誰が言い始めたのだろう

電車が2.3分遅れただけで、苛つく様な余裕の無い人間は、いくら稼いでも幸せになれません

元氣な人は穏やかです
自分という器に、ちゃんと余白を持っているから

今回の投稿は敢えて文章だけ

余計な写真はゼロ

シェア記事も無し!

根気良く文章の「間」を味わって欲しいのです

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