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東海道五十三チャリ:山科〜彦根

雲を破る男

「Jさんはね、めちゃくちゃ早いよ。君も置いていかれないように頑張ってね」
Sは気楽なものである。JさんはCAAD10に乗った濃いめの顔の整った人だった。
「よろしくー」
「よろしくお願いします!」
話してみると至って紳士的な人であった。私の緊張はかなり和らいだ。だいたいこういう類の緊張や無気力は動き始めてしまえばなくなるものである。

山科から大津までは1号線を走る交通量の多いルートである。山に囲まれた道をゆっくりと登っていく。峠を越えて少し下るとすぐにJR大津駅の裏に出てくる。駅を過ぎたあたりで左に曲がって琵琶湖沿いの道を目指す。この辺りは道が広く走りやすい。また、琵琶湖を一周しようという狂気に満ちたサイクリストのためのサイクリングロードが整備されている。青いラインに沿って走れば200kmを迷子になることもなく走れるという。「そんなアホな」、とこの頃の私は思っていたがそんな狂気のサイクリングを何周もすることになるとはこの時はまだ知らない。

琵琶湖大橋を渡って東岸エリアに入る。この辺りから本格的にサイクリングロードに入り、車を気にする必要がなくなる。琵琶湖沿いの道をうねうねと走る。Jさんは手を抜いてくれているのかそこまで飛ばしているわけではない。Sがクロスバイクなこともあり気を遣っているのだろう。
「彼が前を走るとね、雨雲が寄ってくるから気をつけてね」
Sが意地悪な目でこちらを見てくる。
Jさんは首を傾げる。
「どういうこと?」
「すいません、僕めちゃくちゃ雨男なんすよ」
何を謝っているのか自分でもよくわからない。
Sがスッと前に出る。
「ワタシが前を引けば雨雲が晴れるから大丈夫よ」
そんなことがあるかと思うかもしれないが、実際Sが前を引き始めてからさっきまで頭の上にあった雨雲が我々の周りから無くなっている。依然として周囲は曇天なのだが。
隠して怪しげなヒゲの上海版モーゼを先頭に琵琶湖を北上した。

大いなる琵琶湖

「ちょっと写真撮るから待って」
モーゼが止まったので我々も従った。勝手に進めば神の怒りを買い雨が降るか最悪雷を落とされかねない。
琵琶湖の南部はそこまで幅がないので対岸が見える。比叡山と蓬莱山が雲の合間から見え隠れしていた。静かに波打つ湖岸で少しの間休憩しつつどこまで進むかを話し合った。

「今日はもう夕方だし、あまり進みすぎても宿がないじゃない。彦根あたりでネカフェあるからそこにしようか。」
Sはすでにある程度調べていたようだ。
「全然それでかまへんで。ちょうどその辺で美味しい蕎麦屋知ってるし。」
私はあたかも行きつけの店があるかのような口ぶりで提案したが、以前親に連れられて行ったその蕎麦屋の記憶を掘り返しgoogle mapとの睨めっこの末、ようやくその店を見つけていただけだった。

防砂林の横の永遠にまっすぐ伸びている道を進む。さっきから景色が一向に変わらない。そろそろ飽きてきた頃にSがまた止まった。
「ちょっと後ろの変速の調子が良くない」
しばらくSがガチャガチャいじっている間にJさんと親睦を深めることにした。
「普段から乗られてるんですか?」
「いやー、たまには乗ってるんやけど最近あんまり乗れてなかったから、ここまで長いライドは初めてやしどこまでいけるのやらって感じよ」
「にしては全然余裕そうに走られてましたけど」
「まぁSのペースに合わせんとほっていってまうからなぁ」
やはりこの紳士は手を抜いてるだけだった。翌日から牙を剥くことになるのだが、この時はまだ大人しくしているだけだった。

「うん、多分大丈夫だろう。ワタシが大丈夫と言えば大丈夫。」
どこまでも信用ならない胡散臭いセリフだが彼は雲を割ったほどの神通力の持ち主なので一旦その言葉を信じて束の間の休息を終えた。

私が必死に探した彦根城の外堀沿いにある蕎麦屋に入り、のんびりと夕食をとった。

Sはイキって新聞を広げて読んでいるがいったいどこまで日本語を理解できているのだろうか。というかなぜこの男は蕎麦屋で新聞を読んでいるのだろうか。そもそもその新聞はどこから持ってきた?
色々ツッコミどころがあるSをひとまず写真に収めていると蕎麦が運ばれてきた。
ふんわりと出汁の空気に包まれながら蕎麦をすする。最初の晩餐。
晩餐を終え、近くのネカフェに転がり込んだ。
タイトルを忘れたがジェイソンステイサムの出演している映画を観ているうちに寝落ちしていた。

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