昔憧れたバイクってなんだったっけ
ショッピングモールや電気屋の子どものおもちゃ売り場にフラッと立ち寄ったりすると昔遊んだおもちゃ、もちろんそれは何年もかけてデザインが変わったりキャラクターが変わったりしているのだけれども、置いてあったりするのを眺めてしまう。
当時欲しかったが親に買ってもらえなかったおもちゃなんかに出会うこともあるのだけれども、なぜそれを自分がそんなに欲しかったのかわからない時がある。その当時の感情を覚えていたとしても、今も同じ熱量をそのおもちゃに対して注ぐことはできない。きっと今、そのおもちゃを買ったとしても大して嬉しくもないだろう。その時の感動をもう得ることはできないのだ。
自転車でも同じような感情を持ったことがある。初めてのクロスバイクを買ったとき、CannondaleのQuickやTrek FXは高嶺の花であった。かっこいいしできればそっちが欲しいのだが大学生のアルバイトでは自転車に7万や8万なんてかけれなかった。結局BridgestoneのCYLVAを買った。とてもいいクロスバイクだったしそれで四国一周しとことも考えるとなんの不足もないバイクで実際とても気に入っていた。それでもきっとあの時Cannondaleを買っていたら得られていた感動は同じ物を買ってももう手に入らない。
もちろん、昔憧れていたものというものには思い出補正がかかるし、当時のことを思い出したり、ずっと手に入れることが夢だったものを手に入れて感動する人もいる。きっとそういう人たちは自分の情熱や憧れを大事に心にしまって置けたのだろう。
私はその容量がとても小さい。手に入らないものへの感情をすぐに手放してしまう。昔勤めていた会社で先輩に「君はよくも悪くも物事への執着がないね。」と言われたことがあったが、その通りだと思う。しかしその言葉に対して、一つだけ反論というか補足というかささやかな抵抗をすると私の執着は興味のある分野に関してであれば数年は持続するということを言っておきたい。
自転車ならば、数年前のトップグレードモデルに対しては色褪せない憧れがあるし、それが手に入った時は感動する。
リムブレーキモデル最後のEmonda SLRが手に入った時は感動して関東中あっちこっち走り回った。もちろんその時にはもうディスク主流でリムは滅びるなんて言われていたがそれでも私の心は踊り続け、脚はペダルを押し続けた。
そういうことから自分の情熱というか熱量がどれくらい持つかを把握しておくことは大切なのではないだろうかと思う。常に最新の物を更新し続けるのは大事なことだが実際問題、最新である必要があるのかということは考えてもいい気がする。
機能が必要十分で自分の心が湧き立つのであれば数年くらい型落ちだって構わないのではないだろうか。それが数十年でもワクワクするならいいと思う。
私が1台目や2台目のロードバイクを考えるときに憧れた自転車ってなんだったけなと思い返してみた。まずはCanyon ultimate cf slx。Movisterのチームカラーのものがかっこよく、その当時登りで圧倒的に強かったキンタナ選手もかっこよく、付いてるBora ultraもかっこいい。かっこいいが渋滞していた。次にPinarello DOGMA F8。説明は不要だろう。ほとんどの人が憧れたバイクだと思う。ほんとにこれ以上説明するつもりはない。かっこ良すぎる。
そしてGiant TCR advanced SLもかなり好きだった。調べれば調べるほどGiantのバイクめっちゃええやん!となっていた。シンプルでスタイリッシュな造形に心惹かれていた。ちなみに私の2台目のバイクはTCR advanced proになった。忘れてはならないのがCannondale Supersix evoである。黒と銀色の混ざったモデルのものがあまりにもタイプすぎて街ですれ違ったらUターンして声をかけるか悩むレベルであった。ちなみにこのモデルは去年乗っていたがBB30異音問題に悩まされ手放した。
実は物によるが、これらのバイクも当時の5~7割程度の値段で手に入ったりする。ディスクが主流となってきつつあるが、自分が今の知識を持ったまま初心者に返って最初の一台を探すならリムブレーキのトップグレードを探すだろう。そっちの方が楽しいのだもの。
この話を広げるとテーマからそれるのでまた別の記事にしたいと思う。