全ての始まりは四国一周:第十章・坂の上の雲は雨雲
再び雨予報
久しぶりに屋根のある場所で睡眠をとった我々は松山のカフェで優雅に朝ごはんを楽しんでいた。この日は今治あたりまで60km程度進めればいいので松山をゆっくり観光して夕方出発しようという予定だった。
天気予報を見ていたエスケープ君がこちらを向いて呆れた顔をしている。
「出ましたよ。雨ですよ。」
夜からかなり本格的に降るらしい。しかしここまで様々な苦難を乗り越えてきた私たちにはさほど問題ではなかった。
「まぁカッパ着て進むしかないかぁ。ずぶ濡れ確定か。それもまた人生やなぁ。」
ルイガノ君はモンストができなくなってから悟りを開いてしまったようだ。
ど定番観光
松山と言って連想されるものを手当たり次第に見て回った。ちょうど坊っちゃん列車なるものに乗れるということでその電車を待った。蒸気機関車のような形をした電車が来た。車内は古風な木造風の作りで明治大正をイメージしているようだった。
そんな路面電車乗り、松山城へ向かった。関ヶ原の後、加藤嘉明によって建設が開始された松山城。山城で小高い丘の上に天守がある。
江戸時代の人々はこの城を馬やら足やらで登っていたのだろうがわ我々現代人にはリフトと言う文明の力がある。
せっかくそんな便利なものがあるのに使わないわけには行かない。意気揚々とリフトに乗った。
リフトは1人ずつ乗るタイプのもので、こんなものに腰掛けてそれなりの高さまでの登って大丈夫だろうかと少し心配になるような小ささであった。
私が先頭で乗り込み、後ろに乗ったルイガノ君を振り向いてスマホで写真を撮ろうとした。
「あっ、、、」
スマホと同じポケットに入れていた財布が音も立てずにまるでそうなる定めであったかのように数メートル下の地面に落ちていった。
電力に頼って楽して山の上に登ろうとした者への罰なのだろうか。
上について係員に説明すると下で拾っておくから帰りに受け取りに行ってくれとのことだった。ちょっと前ならパニックになっていたかもしれないが、このくらいのことなら笑っていられるようになっていた。
松山城の横には坂の上の雲ミュージアムがある。本を読んだりドラマを見たりで一通りのことは知っていたが実際のものや写真を見るとまるで自分の体験のようにそのものにまつわる内容が頭に入ってくる。
ミュージアム自体も安藤忠雄の建築で、空間の作りや開放感を楽しむことができる。
道後温泉にももちろん立ち寄った。お風呂は至ってシンプルで、ただ温泉を楽しむのであれば他のところに行ったほうがいいかもしれない。ただ、重要文化財としての温泉の建物の作りや浴場にあるもの全てを楽しむという点では他ではできない経験であった。
残念ながら上等に入る金銭的余裕も時間的余裕もなく道後温泉を後にした。
雨粒の攻撃
左手に石油コンビナートが見える。すでに太陽が沈んだ暗闇の中で煙突から出ている炎が辺りを照らしている。無機質な金属のパイプが縦横無尽に張り巡らされ、奥まで見えない。どのパイプがどこに繋がっていてどういう役目があるのか全てを理解している人間などいるのだろうか。激しく打ち付ける雨がまるで映画のワンシーンのような景色を生み出している。
松山を出発してしばらく走ると辺りが暗くなって大粒の雨が降り出した。
夜で視界が悪く、風も強い。おまけに雨粒が大きく、うっすら目を開けるのが精一杯だった。たった60kmと思っていたが期待していたようには進めていなかった。
「おいおい雨男、さすがにやりすぎとちゃうか?」
「台風来た時にチャリ乗ってへんかったからな。その時積み上げた分の雨が今きたんやろな」
何を言っているのかは自分でもよくわからない。この状況では気持ちを折らないためにもなんでもいいから会話していることが重要な気がした。
数時間大粒の雨にさらされた後、雨は突然止んだ。
今治の市街地に着いた頃だった。コンビニで補給しながら今晩の宿を探す。
残念ながら今治にはちょうど良さそうなネカフェはなかった。
「もう少し南に行ったところになんかあるで。」
ルイガノ君がちょうど良さそうなところを見つけてきた。
「ほなそこまで走ろか」
今日も屋根のあるところで寝れる。それだけでもありがたかった。
服から滴り落ちる雨を絞り、ネカフェの自動ドアをくぐった。
香川まで無心で駆け抜ける
次の日もまた雨だった。ここまで十日間走り回った我々はもうゴールを目指して走り続ける機械となっていた。ただ走るのとコンビニ休憩の繰り返し。
前日ほどの強い雨ではないがシトシトと降る雨のおかげで気温はそこまで高くない。ジメジメこそするがどうせ汗で濡れるので大して変わらない。
海沿いを走ればもう少し何かあったのかもしれないが最短ルートを選んで国道を黙々と走り抜けた。
見覚えのあるチェーン店が現れては後ろに過ぎ去っていく。それの繰り返しである。交通量も多いが道も広いので車は難なく避けてくれる。
擦り切れたお尻と膝の痛みを引きずって善通寺まで走り抜けた。思い返してみても大した会話もなく、写真を撮ることもなかったのでこの日の記憶も記録もほとんどない。
数少ない記憶に残ってることは、海沿いのコンビニにアルファードが大量に止まっていて、地元のマイルドヤンキーが何家族か集結してたむろしていたことと、膝とお尻の痛みが一周して最後には何も感じなくなったことくらいである。
うどんを食べてゴール
最終日。あとは高松まで走れば終わりである。ゴールを目指すことしか頭にない3人だったが最後に本物のうどんを食べようということになった。
「ここのうどんはフィナーレにふさわしかろう。」
ルイガノ君が出してきたうどん屋は確かに美味しそうであった。そして何より安い。
行ってみるとすでに行列ができていた。しかしジェットエンジンもびっくりの回転の速さですぐに入店することができた。
入店するとすぐにおばちゃんの声が飛び込んでくる。
「何玉?」
いきなり聞かれたので何のことか一瞬理解できず少し戸惑ったが怯まず返した。
「2玉で!」
うどんの種類は色々あるわけではなく、かけうどん一本だった。トッピングや天ぷらを後から注文していくスタイルで非常にシンプルであった。
「いただきます。」
この旅にあった様々なことを思い浮かべながらうどんをすする。
「あぁ、うまい。」
コシがよく、喉をツルツルと滑り降りていく。あっという間に完食してしまった。
「ほな行きますか」
エスケープ君を先頭に高松に向けて走りはじめた。
無心で走り続け昼過ぎには高松に着いた。あっさりしたゴールだった。11日間の自転車旅。後にも先にもそんなに長い自転車旅はしたことがない。
不思議なことに感動のような感情よりは安心感の方が強かった。
船の出航時間は14時。神戸に着くのは19時頃の予定らしい。
待合所で時間を潰して乗船開始とともに船に乗り込む。
出航のアナウンスが流れ、船が高松港を出港した。
デッキに出て遠ざかる高松の街を眺めながら思わず呟いた。
「なんかまたここに来る事なる気がするわ」
それからというものの日本中を自転車で旅する人生が始まった。
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