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短編小説 ティアラと欠けた皿

 裕美は望遠鏡を持っているが、これは、裕美が中学に入学した時の入学祝として、裕美の母方の伯父がプレゼントしたものだった。
 中学の入学祝、といっても、伯父が望遠鏡を持ってきたのは、何故か七夕の日だった。
「駅で七夕飾りを見てね。裕美ちゃんに入学祝送ってなかったこと思い出して、持って来たんだ」
 伯父はそんなことをいって、ふらりと裕美の家にやってきたのだった。

 裕美の伯父は、ちょっと変わり者で、若い頃はザックを背中にしょって日本中の山を登って回ったり、貨物船に乗って海外に行ったりしていたという。
 背が高くて、わりと二枚目なので、女性に大分もてたらしいが、結婚はせずに、多くの女性と浮名を流したらしい、などど、両親から聞いていた。
 裕美は子供の頃から、タコブネという、珍しいタコの殻とか、ラピスラズリのスカラベとか、妙なものを誕生日のプレゼントに持ってくる、面白い話をする伯父さん、として好きだった。

 裕美は小学生の頃、望遠鏡が欲しいと何度かねだっていたが、結構高価なこともあって、中学生になったら、と、両親は約束していた。
 その中学生になる前の小六の時に、祖母が病気で入院したり、祖父の代からの古い家をリフォームしたりと、出費が多くて、望遠鏡どころではなかった。
 そういう事情を知っているし、こういう時には、我儘は言わない子だったので、裕美は何も言わずにいた。
 伯父が望遠鏡を入学祝にしたのは、おそらく、そういう事情を裕美の母から聞いていたからだろう。

 突然の伯父の来訪と、望遠鏡のプレゼントに裕美は喜んだ。木箱に入った望遠鏡は、白く、真新しく見えたが、木箱は古びていて、伯父が言うには中古の望遠鏡ということだった。望遠鏡の先のフードの部分には、青い文字で『Alphecca』と書かれていた。
――たしか、かんむり座の…… そんなメーカーあったかな? 
 裕美の知らない望遠鏡のメーカー名だった。
「それ、高かったんじゃないの?」
 裕美の母がそう言うと、伯父は笑って言った。
「それがねえ、ちょっとした話があってさ」
 望遠鏡について、どういう経緯で手にしたのかを語り始めた。

 伯父があるとき、知人の引っ越し手伝いに行った時の事。
 いらなくなったものを処分するということだったが、その中に、木箱に入った望遠鏡があった。
 星を見るのが趣味だというわけでもない知人に聞くと、欲しいなら譲る、と言う。手に入れた経緯というのは次の通りだった。

 知人が昔、古道具屋へ行くと、店の片隅に、木箱に入った望遠鏡があった。蓋が開けられて中が見えるようになっていたが、鏡筒は煤けて、望遠鏡の先のフードも割れて欠けていた。
「この望遠鏡って、いくら?」
 知人はふと目に留まった望遠鏡が気になって聞いてみた。
「それかい。二万だね」
「ええ。先が割れてるじゃない。ちゃんと見えるの?」
 店主は望遠鏡を持ってくると、三脚に乗せるのに手間取りながら、店のドアの前に置いた。
「結構いいものだって聞いてるけどね」
「じゃあちょっと見せてよ」
 知人はそう言って、開いていた店のドアの外へ向けた。ピントを合わせると、遠くの看板が逆さに映っている。
「ちょっと、覗いてみてよ。変だよこれ」
「ええ。何かおかしいとこでも?」
 店主が覗く。
「ほら、逆さに映ってるじゃない。不良品じゃないの、これ」
「あ、ほんとだ」
 店主が驚いたように言う。
「これで、二万は無いよ。いいとこ五千円じゃないかな」
「いやあ、五千円じゃあ……」
 価格を交渉して、知人はその望遠鏡を九千円で買った。

 天体望遠鏡は、見る対象が上下反転して見えることよりも、覗いた時に視界が広いかとか、そういうことが重視されているので、上下反転して見えているということは観測するときにあまり気にされていなかった。目で見た時と同じに見たければそれ用の接眼レンズやアダプターを付ければよいだけだったが、知人も、古道具屋の店主もそんな知識は持っていなかった。

 知人は、だいぶ安く買えたので、喜んで持って帰って、暫く月などを覗いていた。上下逆さでも、あまり気にはならないことに気が付いた。しかし、たいして知識があるわけでも、もともと星を見ることが好きだった訳でも無く、そのうち飽きてしまって、やがて望遠鏡を使うことも無くなってしまった。
 伯父は、引っ越しの手伝いの駄賃としてその望遠鏡を譲ってもらうことにした。木箱を開けて望遠鏡を見ると、確かにフードが割れて欠けている。それ以外にも、あちこち擦れた傷があった。肝心のレンズは無傷のようだが、良く見ると汚れが目立つ。
 望遠鏡を木箱に戻そうとすると、下に何か書いてあった。手書きらしい字で、”Alphecca”と書いてあった。その時は、どういう意味だか分からなかったが、その時に付き合っていた女性とプラネタリウムに行った時に判明した。

 プラネタリウムの解説員が、かんむり座という星座の説明をした。ギリシャ神話では、クレタのミノス王の娘、アリアドネの冠であるとして、かんむり座の名前が付いたという。
 一方、アラビアでは、星の並びがCの字であることから、欠けた皿、に見立てていた。
 天文学は、古代ギリシャで発展し、それがアラビアに持ち込まれ、アラビア語に翻訳された。中世のヨーロッパでは、それを輸入してラテン語等に翻訳したので、同じ星でも、ギリシャ由来とアラビア由来の名前が付いていたりする。
 アルフェッカ(Alphecca)は、かんむり座の一番明るい星(α星)の名だが、欠けた物、という意味で、アラビア由来。別名では、ゲンマ(Gemma)と呼ばれているそうで、宝石、または真珠の意。かんむり座という星座なのに、α星は、アルフェッカの方が通りが良いらしい。

「欠けた皿なんて、ちょっとロマンがないわ。ティアラの宝石の方がいいのに」
 これを聞いた伯父の彼女はそんなことを言った。 

 伯父は、その望遠鏡を暫く忘れていたが、天文好きになったという姪の裕美にプレゼントすることにした。望遠鏡の鏡筒は、古いものだったが、結構有名なメーカーの高価なレンズを使ったものだったらしく、カメラを扱う知り合いにレンズのメンテナンス頼んだら、古道具屋で九千円で買った物を譲ってもらった、と聞いて驚いていた。
「今、同じ性能の物を買おうと思うと、鏡筒だけでその十倍以上はしますよ」
 三脚はカメラ用のものだったので、元のメーカーの望遠鏡用の経緯台というものを探してきた。伯父は板金塗装などもやっていたこともあって、フードは自分で直して、塗装も自分でやって綺麗にした。なにか、文字でも入れようかと思ったが、元のメーカーはそういう文字は入れていなかった。
 その時、木箱の文字を思い出した。元の持ち主か誰かが、欠けたフードから、”Alphecca”と書いたのだろうと、今では分かっていた。割れていたフードに書くにはちょうどいい。伯父はそう思って、フードに青い色で、『Alphecca』と塗装した。

 伯父は、概ね、こんな話を裕美たちに披露した。望遠鏡の元の価格とか、補修にかけた手間や費用、伯父の彼女とかは、省いていたが。
「その、Alpheccaて字は、伯父さんが勝手に入れたものだけど、気に入らなかったら消してもいいよ」
「ううん、星座の話から付けたんだったら、面白いし、これでいいです」 喜んでいる裕美を見て、伯父は、この望遠鏡は、あまり価値の分からない、必要としない人の間を巡り巡って、ようやく相応しい場所にたどり着いたんだろうと、そんなことを思った。



 裕美という星が好きな少女のショートショート三作目。


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