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子どもの頃に読んだ本 『蜃気楼の少年』

 『蜃気楼の少年』は、宮崎つとむ(1933年6月15日生~1981年11月16日没)によるSFジュブナイル。SFファンの、SFファンによる、SFファンのためのジュブナイル。この作品を読むと、そう思わずにいられない。
 主人公、小日向量平こびなたりょうへいの両親は、SFファンで、SF同人誌『宇宙塵』の会員であり、伊藤典夫、野田昌宏、草下英明の各氏の名前が友人のように会話に出たり、映画『スター・ウォーズ』を見るのを楽しみにしていたりと、それほどSFに詳しくもない、なんとなくこの作品を手にしたような読者は、ついていけたのだろうか。そんな気がしてしまうくらいだ。
 そんな両親だが、量平自身は、さほどSFマニアという設定でもなく、SFの知識は状況説明などにうまく利用されてはいるものの、普通の中学生、といった親しみやすさをもっている。
 時代設定は、1978年となっていて、その頃の描写には、懐かしさを感じる。小日向家で見ている番組は、実際に放映されていたもので、『ドカベン』『まんが日本絵巻』といったアニメ、『明日の刑事』『ムー一族』といったドラマ。私も見ていたもので、主人公の家庭に親しみやすくなる。またこれは、量平がタイム・トリップしたときの時代でも歌謡曲などを物語の背景に描くことで、時代の違いも浮き彫りになる設定だ。

 あらすじは、中学2年生の小日向量平は大怪我をした奇妙な老人を助ける。その夜、量平のもとに現れた老人は、23世紀の未来からきたタイム・トラベラーだといい、タイム・トラベルをすることができる、《時間制御剤》を量平に渡した。不思議な老人、カズラ・ハレユンから貰った《時間制御剤》(錠剤のようなものらしい)では、精神体時間旅行(アストラル・ボディ・タイム・トリップ)が行える。平たく言うと、幽体離脱して肉体を現在に残し、意識体だけ時間移動する、というもの。
 この《時間制御剤》を使い、量平はクラスメートを助けたり、と、過去の改変に成功する。それによるタイムパラドックスなどは、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』みたいなところもある。人物が消えかかったりなんて描写はないが。
 量平は、同じ剣道部員で幼馴染の江崎三冬というガールフレンドがいて、タイムトラベルで助けたクラスメートに好意をもたれたらしい量平と三角関係になりそうだな、とそんな想像をしたものだが、物語は、夏休み、量平の母の故郷、長野県小諸市へと移る。
 作者の宮崎惇の故郷でもあるそうで、量平が、母の少女時代の事件に関わり、過去へと赴くという行為は、そのまま作者の過去への回想でもあるのだろう。

 この夏(2024年)、私は長野県の小諸市を初めて訪ねてみた。この本を読んでから、四十年以上が過ぎている。小諸というと、最近では『あの夏で待ってる』という、小諸を舞台にしたアニメがあった。最近、と私の感覚で言ってしまったが、2012年の放映なので、12年は前だった。
 『蜃気楼の少年』と『あの夏で待ってる』にも登場する、小諸城址・懐古園を訪れて、島崎藤村の歌碑「千曲川旅情のうた」とか、小説で語られたものを見て回った。
 『あの夏で待ってる』の大きなタペストリーというか、そういうものがまだ建物にかけられているという事実にちょっと驚いたりもした。アニメの聖地巡礼などということをする人はまだいるんだろうか。40年前の小説の舞台を訪れる人間がいるんだから、いてもおかしくは無いか。
 『蜃気楼の少年』は、知名度が低いだろうし、後述するように作者も若くして亡くなっているので、地元の人でも知る人はほとんどいないのではないだろうか。

 この作品は、鶴書房の『SFベストセラーズ』で刊行が予定されていたものであったようだが(『SFベストセラーズ』の既刊のものに、続刊として名前は出ていた)、どういう経緯か、それは無くなり、徳間文庫から1982年に出版されている。表紙・挿絵は依光隆。鶴書房の『SFベストセラーズ』からだと、他の作品の出版年からみて、1979年頃に出版される予定であったのだろう。作品の時代設定が1978年というのも、そのためだろう。
 1982年当時、この作品をどうして手にしたのかはよく覚えていない。読んだ当時、作品のもつノスタルジックな雰囲気は、結構気に入っていた。今読むとだいぶ甘酸っぱい量平と三冬の会話や描写は、どんな気持ちで読んでいたのか、あまり記憶に無い。三冬と量平の母の少女時代が似ていたり、あとがきで作者のいう男は好きな女性に母親の面影を求める、というのは、当時マザコンぽいな、と思ったものだが、それは今も私には良くわからない感情だ。

 作者のあとがきの後に付いている、加納一郎の解説により、作者である、宮崎惇氏の訃報が伝えられているが、あとがきが書かれた僅か一月程前のことであったらしい。このことも、この作品を印象付けることにもなっている。
 当時もノスタルジックに感じたものだが、作品中の現在時間である1978年、読んだ当時の1982年も、今となっては遠い昔のことになってしまった。
 作品自体の面白さはあるので、時代設定を変えて、ご当地アニメ的に作ってみても面白いんじゃないかと妄想したこともある。埋もれてしまうには勿体ないジュブナイルだと思う。


 


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