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成功者という幸運な人たち

 よく、社会的に成功した人たちが本を出したり、講演会などを行ったりして、自分がどのようにして成功したのか、ということを披歴することがある。
 また、昔の偉人などの人生は、成功した人物の例として学校などでも学ばされたりもする。

 子供の頃からそうした人の話を聞いたり読んだりしたものだが、中にはよくできた小説のような人生の人もいて、こんな映画みたいな人生の人もいるんだな、と面白く読んだりしたものだ。
 実際、成功した人の成功譚、というものは、それぐらいの価値しかないと私は思っている。
 乱暴な言い方かもしれないが、成功した人の成功譚というのは、私はここの宝くじ売り場で宝くじを買って三億円当てました、という人の話と大差ないと思っている。
 それを聞いて同じ売り場で百万円が当たったりする人もいるかもしれないが、多くの人がそこで宝くじを買ったとして当たる確率が変わるわけでは無い。 

 成功した人というのは、人生の決定機と言うくじ引きで当たりを引き続けた幸運な人たちだ。
 マイケル・サンデルは実力も運のうちだと言っているがその通りだと思う。
 スポーツに有利な恵まれた運動能力や、天才的な頭脳、自分の成し遂げたいことに関して諦めない執着心なども才能になるだろう。
 多くの人はこの生まれ持った才能という最初のくじ引きで大当たりを引くことはまず無い。
 極まれに、後天的に才能が開花するという事例も無くはない。事故や病気などで脳の機能に変化が起こって、それまでなかった絵画や数学に対する能力が急に発現した、ということもあるようだが、これは例外中の例外だろう。
 次が環境、というくじ引きだ。裕福な家庭、子供のことを考えて適切な教育を受けさせる親、と言ったものが大当たりと言えるだろうか。人生最初のくじ引きと二度目のくじ引きで当たりを引かなかった人は、偉人とか成功者とか言われるような人生を送ることは難しいだろう。別に、大当たりなど引かなくても、ポケットティッシュで悪いことも無く、大外れなマイナスでさえなければ不幸な生い立ちなどなく生きていけるだろう。
 三度目のくじ引きが、人との出会いだ。人との出会いは一度ではないだろうから、三度目以降、と言っても良いかもしれない。成功した人物は、かならずそれを支援してくれる人物と巡り会っている。配偶者の場合もあれば、金銭的な支援者、教師などの教育者の場合もある。これは一人ではなく、複数当たりを引く人もいるが、成功者の多くは数度引き当てている人が多い。
 二度のくじ引きで当たりを引いた人でも、三度目に恵まれなかった場合は、失敗や挫折などで成功者とならない場合が多いし、一度成功しても失敗や挫折を招くこともある。敵対者が多い道を選んだような人の場合は特にそうだろう。
 野口英世のように、有力な支援者が得られていなければ、ただの放蕩者として人生を終えただろうとしか思えない人物もいることがその証左とでもなるだろうか。

 ここまで、当たり、と言う言い方をしたが、そこには人格とかそういった面での人間としての徳、などと言うことは含まれていない。単に、社会的、経済的、に成功者となるかどうかということだけの話だ。

 こんなことを言うと、努力も必要だ、という人もいるだろう。それは当然そうだ。私もそれは別に否定しない。どんなに才能に恵まれた人でも、スポーツで、漫画家で、ミュージシャンで、科学者や企業家として成功したいなら、その道を進み続け鍛錬し続けなければ成功など無い。
 宝くじを当てたければ、当たるまでくじを買い続けるしか当たる道は最初から無いのは自明のことだろう。

 まあ、成功者になどならずに、ほどほどに生きていければいい、と言う人もいるかもしれない。その場合も、ほどほどに当たりを引き続ける、という幸運の持ち主である必要があるかもしれないが。


 アメリカの大統領選挙の結果を受けて、いろんな人がいろんなことを言っていたものを見て考え事をしていたらあまり関係のないことに考えが進んでしまった。まあでもそのまま上げてみる。



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