子供の頃に読んだ本 『宇宙飛行70万キロ』
偕成社の世界のノンフィクション、という今は絶版のシリーズの第一作目。表題作は、ガガーリンに次いでソビエトで二番目に宇宙飛行士となった、ゲルマン・チトフの手記。もう一編、『超音速に挑む』というものも併録されていて、こちらは世界で初めて音速を超えた人物、チャールズ・イェーガーの物語。この本では、イーガーと表記されている。翻訳はどちらも福島正実。福島正実といえば、SFマガジンの初代編集長で、かなり癖の強い人物として有名なので、古いSFファンなら知っている人も多いだろう。挿絵は依光隆とこちらもジュブナイルSFの挿絵でおなじみの人だ。
『宇宙飛行70万キロ』(ゲルマン・ステパノヴィチ・チトフ:著)
世界初の偉業を成し遂げた、と言う人の伝記だとか手記が本になったりすることは良くあることだ。それが、二番目、となると、まずお目にかかることは無い。その珍しい例がこの『宇宙飛行70万キロ』になる。
あかね書房の少年少女二十世紀の記録というシリーズの最初の一冊目が『地球は青かった』で、1963年発行、この偕成社の世界のノンフィクションの一冊目が『宇宙飛行70万キロ』で、1964年発行、というのも、何か意図的なものも感じなくはない。
世界初の宇宙飛行士、ガガーリンの初飛行の場にも、リザーブとして控えていたゲルマン・ステパノヴィチ・チトフ(1935年9月11日生~2000年9月20日没)の手記。
チトフの生い立ちから、宇宙飛行を終えてから凱旋するまでと、ガガーリンの『地球は青かった』と同じ構成。ガガーリンの方は落ち着いた雰囲気であるのに対して、こちらは割と熱気というか、偉業に対する熱意みたいなものに満ち溢れているように感じる。翻訳によっても変わるので、その影響もあるかもしれない。
地球を一周したガガーリンと違って、チトフは17周している。それがタイトルにもなっている。
読み返していまさら気が付いたが、ガガーリンは宇宙飛行で月は見ることができなかった、と『地球は青かった』に書いているが、この本では、「あんなにきれいな月は地球上では一度もみたことがない」とガガーリンが言っていた、と書かれている。チトフの思い違いだろうか?
チトフは人類初の宇宙飛行士に選ばれなかったことを悔やんでいたそうだが、この本では、そう言った思いは記されてはいない。
ガガーリンと不仲であったということも無いようだが、人類初、を目指すライバルであったことも確かだろう。
『超音速にいどむ』(チャールズ・エルウッド・イェーガー:著)
チャールズ・エルウッド・イェーガー(1923年2月13日生~2020年12月7日没)の手記。
トム・ウルフのドキュメンタリー小説『ライトスタッフ』とそれを元にした映画の登場人物のチャック・イェーガーと言った方が通りが良いだろうか。
第二次世界大戦でエースパイロットだったイェーガーは、音速の壁を突破するべく開発されたX1号のテストパイロットとして選出される。
X1は、飛行機というよりは、ロケットエンジンを積んだ、ロケット機だった。運用は、爆撃機のB29に吊り下げられた状態で上空へ行き、そこから切り離して、ロケットエンジンに点火、飛行するという方法。
X1以外にも、音速に挑んだ航空機はあったが、事故などを起こして音速の壁は突破出来てはいなかった。
テストパイロットとなってイェーガーは、着実に音速に近付いていき、1947年10月14日の飛行で、ついに音速を超えることに成功する。
この時、衝撃波で機体が破損することが恐れられていたが、機体に異常を感じることも無く、あっさりと音速を超えた、と記されている。音速を超えることで、ロケットエンジンの轟音も耳に届くことなく静かな世界になったという記述が、音速の壁を超えるということの面白さも表現されていた。
この本の解説では、ジェット機も音速を超え、旅客機もやがてそうなっていき、世界の空路は超音速機で結ばれるようになるだろう、と記されているが、21世紀も四半世紀過ぎたいま、世界はそうはなっていない。唯一の超音速旅客機だったコンコルドも2003年に退役して、超音速旅客機は皆無の状態。
新たな超音速旅客機の開発の話も出ているが、私が子供の頃に未来では当たり前のように実現しているだろうと思われていた超音速旅客機が、再び空を飛ぶようになって、私も乗ることが出来るようになるだろうか。それまでに私の寿命が尽きていないといいが。