あふれる眠気
[1]整形と皺
世は「会社のあの人は結婚や離婚をしているのか」とか、「あの人は整形しているのか」とか、「あの人はお金を持っている」とか、僕にとってはどうでもいい情報ばかりを気にして、皆各々随分我儘に生きているんだなと思っていた。
翌日、多少お酒が残ったまま乗り込んだ始発の近鉄特急で、1日限定で公開されたナンバーガールのライジングサンの映像を見て気付けば泣いていた。
ナンバーガールが世間的に良いとか悪いとかそういうことは知らないが、僕にとっては思わず涙とともに昨夜のアルコールが抜け出すほどには感情を揺さぶられるものだった。
向井秀徳というおじさんが、必死に生きたおじさんだからこそ自然と出すことのできる人生経験の顔の皺や表情が、僕の感情を揺さぶったのかもしれない。
結婚や離婚や整形やお金なんかの社会的ステータスの変化でしか幸せを図れないのは、僕にとっては随分つまらないことだった。しかし、世の多くの人がその尺度を大切にしているのなら、あまり強く否定はしないでおこうと思った。
[2]あふれるビート
「あふれるビート」という2秒で考えたイベントタイトルで企画をした。
当初「ZOOZが新譜を出すし、東京でライブしたいよね」という下心から始まったイベントで、自分を酷使するためにガストバーナーも出ちゃえ、後はかっこいいバンド呼んじゃえという、結果的にはただの本能的なイベントでした。主催者だからといって何か誇れるものなんてちっともありません。
みなさんのおかげで2秒で考えたペラペラのイベントタイトルは、多少分厚くなりました。それは、本当に僕のおかげではなく、みなさんのおかげ。
人が沢山来ていただき、至らず迷惑をかけたところも多くあったと思い、逆に身が引き締まる思いがしている。みんなかっこよかっただけに、余計に。
社会人をしていると、毎日身が弛んでいく実感とともに、安易に「平日の自分は消し飛んでしまいたい」と思う自分の弱さと向き合うことに疲れてしまったりする。その自分で選んだはずの平日の人生への疑念を、音楽で引き締めているんだなとイベント中に何度も実感していた。
根本的には身の弛む社会人生活を何とかしないといけないんだけれども、それはまだもう少し時間がかかりそうだった。
[3]駿河湾
「あふれるビート」の帰り、ガストバーナーの機材車に乗って、朝4時に駿河湾沼津サービスエリアに滑り込んだ。はるきちさんもりっちゃんも寝ていたし、運転してくれていた加納さんも流石に仮眠をということで、皆すやすや寝始めたので、僕は外のベンチに座って夜の駿河湾をぼーっと眺めていた。去年も似たようなことをしていた。
先程のイベントのこと、ナンバーガールのこと、会社のこと、かっこよかった共演者のこと、実家の母のこと、ZOOZとガストバーナーで馬鹿みたいにドラムを叩いた後、疲れてお酒も充分に飲めなかった体では頭の整理は全くつかなかったので、結局諸々はそのままにして、ただ静寂の中、駿河湾を眺めていた。
1時間ほどぼーっとした結果得られたのは、ただの体の寒さと、「人生なんとかしなくちゃと思うものの、今のところそれなりに最高の人生である」という実感だった。暖かい車内に帰った途端、猛烈な眠気に襲われて、みんなに混じって多少眠ってしまった。僕にとっての人生の価値は、意外とこういうよく分からない時間にある。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?