深海后

深海后、全ての生き物の始まり。この世全ての命の母。鯨のような巨体を擡げ、深海の薄い砂の上に身を明け渡して居る。
暗い海底の活火山のように、ぴくりとも動かずに長い長い眠りについている。
この砂も、元々は深海后の古い皮膚の角質が粉々になった屑だった。
水母は、深海后の吐いた息から生まれ、原始的な海藻類は髪から零れ落ちて生まれた。
魚は、深海后から剥がれ落ちた古い鱗が命を経て、海の哺乳類達は、その魚が深海后の生き血を飲んで変化したもの。
地上の生き物は、どうして生まれたかというと、ある時深海后は気まぐれに、陸に上がろうとした。
その時の大波に沢山の生き物達が引き寄せられて、打ち上げられた生き物達は、地上の暑い太陽の熱と濃い酸素のせいで、おおよそが死んでしまったのだが、ごく限られた生き物達は生き延びて、そのまま陸の生活に慣れてしまった。
そこから、地上では海の中以上に多様な生物が生まれ、進化していった。
けれども、そのなかの猿の一匹が、たまたま歩くことを覚え、火を使う事を知り、仮初の文明を得たなどと、深海后は知りもしない。
深海后は、ただあるがままにそこにいるだけ。
そこにいるだけで、呼吸によって、海流とそれに伴う大気の巡りを引き起こし、この世界の循環の要をなす。
もし何らかの事あって、深海后の心臓の魂動音が止まるのならば、それと連動していた地球のマントルの動きも止む。
この世界の心臓であり、血液、酸素。
深海后は、今日も奥深い所で眠る。
人の無意識より深く、暗闇よりもずっと冥い場所だで、誰にも知られず、悟られずに。
深海后が再び目覚める頃には、地球は荒廃し、およその生き物も住めなくなっているだろう。
だから、深海后はまた新しい命を作る。
深海后の方には作っているという、意識もないが。
この星は、そうやって何回も何回も命の箱庭になってきた。
けれども、深海后が再び目覚めるのは、まだだいぶ先の頃だろう。
今、深海后は、四回目の浅い眠りに入ったところだ。
夢を見る、地上で起きているすべてのことを、夢として、深海后は捉えている。
人間の頭では、桁と単位が足らない位の年月を、そうやって過ごしてきた。

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