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ショートショート『癒やしの森』

街を抜けると小さな森がみえてきた。白い雪でおおわれたこの森のことを、誰もが癒しの森と呼んでいた。

僕はまだ森のなかに入ったことはなかったが、誰もが不思議な体験をしているのだという。ただし、冬になり、雪が降り積む頃でないと、その不可思議な体験をすることができないという噂があった。どんな出来事があったのか誰も口にしない。ほんとうに噂どおりの体験をしているのかさえわかっていない。それでも森に入る人があとを絶たないでいた。
 
そして僕も三十二歳の誕生日の今日、好奇心でやってきた。外からながめてみてもとくに変わった森ではない。白樺の木が白い大地と美しく調和していた。雪のためになかのようすはみえなかった。
 
しばらく躊躇しているとなかからひとりの男性が雪だるまのようになって出てきた。五十代くらいの年代だろうか。僕はなかのようすを訊いてみた。しかし、男はただ微笑むだけでなにも語ろうとはしない。そしてふうっ、と真っ白な息を吐いて、体についた雪を振り払った。やはり自分で確かめてみるしかなさそうだ。
 
勢いをつけて小走りに入ってみた。足が股のあたりまで雪に沈んでいく。それでもどんどん歩いていくがとくに変わったようすはない。ごくごくふつうの森だ。森のなかをあちこち歩いてみるがなにも起こる気配がない。時間は過ぎ去るばかりだけれどなにかが起こるという噂をどうしても確かめたい。みると雪の大地に大きな白樺の枝が落ちていた。座りやすそうなのでそこに腰をおろして待ってみることにした。
 
なにも起きない。なにもない。ただ時間だけが過ぎてゆく。今日のことすら思い返す余裕もなく過ぎてゆく日々のようだ。そうだ、たまにはいままでのことをゆっくりと振り返ってみようと思った。
 
目を閉じていると、子供の頃から今日までの思い出が万華鏡のように交錯しつつ心のなかに浮かび、なにやら目頭が熱くなってきた。
 
いろいろとあったな。バカなこともやってしまった。恥ずかしいこと、楽しかったこと。あいつは今なにをしているのだろう? 彼女は結婚をしたのだろうか? 今は亡き母の笑顔が嬉しくまた悲しい。もっとやさしくしてあげればよかったな。
 
「和男……」 

どこからか僕の名前を呼んでいる。とても懐かしい声だ。そっと目をあけると、亡くなった母や弟の義男、友人の徳昌、そして彼女の由希子が立っていた。

「かあさん、そしてみんなもどうしてここにいるんだよ?」 

母はともかく、義男や徳昌、そして由希子も亡くなって幽霊になっているわけでもあるまい。徳昌とはついさっきも見舞いの電話をしたばかりだった。それなのになんど声をかけても誰ひとり返事をしてくれない。ただ僕に微笑みかけているだけだ。夢でもみているのだろうか? 知らないうちに眠ってしまっていたのだろうか? 

呆然と立ちつくしていると、うえのほうから冷たい雪が落ちてきた。どうやら幻想ではあっても、夢のなかではなさそうだ。母の微笑む顔をみていると、自然と言葉が滑り出た。

「かあさん、ほんとうにごめんね。親孝行もできないままにあの世にいってしまったかあさんに、いろいろとあやまりたかったんだ。そしてありがとうって直接、伝えたかった。……それに義男、いつも力になってくれてありがとう。迷惑ばかりかけているね。徳昌、友達でいてくれてありがとう。それなのに、入院していたときにお見舞いにもあんまり行けてなかったよな。そして由希子、自分勝手ばかりでほんとうに悪かったな。だけど、出会えてほんとうによかったって思っているよ」
 
みんなはただ微笑んでいる。涙でみえないはずなのに。

「僕になにかできることはないかい?」 

みんなはただ首を振っている。
 
「僕の生き方は、これでいいのだろうか?」

 みんなは頷き、僕をじっとみつめていた。

「これからどう生きていったらいいのだろう?」

みんなは空と自分の胸を指さした。それで充分だった。答は僕の胸のなかにあるのだろう。僕らしく、果てしない旅を続けていくのだろう。
 

そしてみんなは霧が晴れるように消えていった。僕は立ち上がり、静かに森を出ようとすると、僕が目のまえに立っていた。僕がふたりいたのだ。服装と顔をみると、どうやら今より若い、過去の自分と、今よりも老けているのは未来の僕だろう。

過去の僕らしき男は、僕にたくさんの反省を求めた。過去の僕が話すたびに僕の心が痛んだ。未来の僕は僕を激励してくれた。痛んだ心が少し癒されたようだ。どうやらこの森は、自分自身と出会うところなのかもしれない。 

そして自分自身も消えていった。自分自身だけの体験、人に語ることにも意味がない体験。だからこそ、誰もここで体験したことを話そうとしないのだろう。

真っ白な雪が灰色だった僕の心を白く染めてくれたような気がした。つぎからつぎへと涙があふれてきた。 


森の外にでてみると、ひとりの女性が不安そうに立っていた。まだ二十歳くらいのようだ。

「あの、なかのようすはどんなでしたか?」

僕はやはり彼女の問いには答えられずに、ただ苦笑いをしつつその場を立ち去った。

               (fin)

トップ画像のクリエイターさんは、「ジョー「鏡面反射のデジタルアートブログ」(鈴木穣)」さんです。ありがとうございます。😀

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星谷光洋
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