世界の平和は、私たちの心の平和から
毎日のように紛争や内乱のニュースが報道されています。紛争を指導している人たちは、正義の戦いだと思っておこしていることのようですが、その自分勝手な正義の陰では、家を無くし、命を奪われているなにも関係のない民衆がいます。
そして未来を担うはずだった子供たちがいます。そして、ほかの動物たちが住処を追われ、自然も破壊されています。
戦争は戦争が終結しても終わりません。戦士たちの鎮まらない心の痛みの記憶。戦争で亡くなった人たちの家族や親しい人たちの悲しみと寂しさは末永く消え去ることがないでしょう。
戦争ではなくても、人は病や事故などでも人生を終えていきます。私が二十代の頃に母が乳ガンで亡くなり、数年前には、兄と弟の愛娘が事故で亡くなりました。兄夫婦や弟夫婦の悲しみと苦しみは数年たってもかわらず、生きる意欲すらもわいてこないようです。かげがえのないものは命です。命よりも大事なものはありません。その大切な命を理不尽な形で奪い、脅かす戦争は無くならなければならないものです。
「私はもっとも正しい戦よりも、もっとも不公平でも平和を好む」というキケロの言葉があるように、私もどんなに正義の戦争よりも、平和を愛しています。戦争は人類の最低で最悪の罪であり、愚行です。ですが、残念ながら、人類そのものの大きな意識の転換がないかぎり、この世界から戦争や紛争がなくなることはないでしょう。
平和を実現するためには、外交的な話し合いと交渉が必須だと思います。外交は、人と人の人間関係に似たところがあります。人と争いが起きる原因のひとつに、自分の考えや思いを高圧的に強制することもあると思います。
私の信条として、自分のものさしで人を計らないということがあります。人はそれぞれに考えがあり、感じ方があります。それが個性というものです。自分の成功体験から、そのやり方を伝えても、相手によってはかえって逆効果になることもあるでしょう。
自分が乗り越えられた苦労だから、相手も越えられるとはかぎりません。体力と心の容量が異なるのですから当然のことなのです。国と国との関係も、ほかの国に自分の国の主義ややり方を押しつけることは傲慢でしょう。相手の国にも独自の歴史と文化、風俗があります。国と国とのおつきあいも、人間関係とおなじようにおたがいに少しづつ理解を深めて、譲れないことも共有しつつ、違いを認め合う努力が必要になると思います。
世界平和はまずは私たちの心が平和であらねばならないのでしょう。私たちの心のなかで内乱が起きそうなとき、自制できる理性と耐えていく精神力が求められています。
平和を持続していくために必要なことは、忍耐力でもあるのでしょう。人間関係でも意見が異なるからとってすぐに感情的になってしまっては、いずれ別れてしまうことでしょう。「世界の平和は私たちの心の平和から」この言葉を書き記し、平和な世界になることを祈りつつ、筆を置かせていただきます。
(了)
※ 画像は「ぱくたそフリー素材さま」より。カズキヒロさんの作品です。ありがとうございます。
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