【一粒の思考】東京オリンピックの反省①:招致の約束を果たせなかった
記憶が鮮明なうちに、東京2020組織委員会の職員として働いた私個人の視点から、東京オリンピックの反省点を書いておきます。
第1回目の投稿として、私が気になっているのは、「東京オリンピック招致の際の約束が果たせたのか」ということです。言い換えると、2013年の招致のときに、世界に向かって「東京だったら、こんなオリンピックができるよ」と約束したこと、日本国民と世界をワクワクさせたことのうち、どこまで達成できたのかということです。
招致のコンセプトは組織委員会に継承されたのか
招致の際に押し出した「オリンピック史上最もコンパクト」というメッセージは、コロナ禍になるまで忘れられていたかのように、膨張し続けたオリンピックでした。結果として、コロナ禍になって「簡素化」という目標で舞い戻ってきましたが、所期の「コンパクト」とコロナ禍での「簡素化」は全く違うものでした。
さらに、私が招致のときに思い描いたのは、猪子寿之氏が下記投稿で語っていたようなイノベーティブなオリンピックでした。驚くべきことは、彼が語っているのが2021年の今日ではなくて、8年前だということです。若者たちが夢想し、期待したのは、これまでのオリンピックの概念を覆すような、全く新しい形のオリンピックでした。そういうワクワク感を、8年前に抱いた人は、若い世代に多かったと思います。
この8年間で、招致の約束を果たそうと努力してきた方がいることも、それを阻んだ組織委員会やIOC(国際オリンピック委員会)の体質も理解します。ただ、仮に新型コロナのパンデミックがなくて、2020年夏に開幕できたとしても、招致の際の約束を果たせなかったと思います。コロナ禍は、東京オリンピックの限界(未達成)の言い訳にはなりません。
何が達成できなかったのかという客観的な評価と、その原因が何だったのかという分析は、いまの日本社会の限界(病巣)を理解する良い材料となると思います。
「オリンピック開催を、世界中から感謝された」という高揚感で終わらせずに、きちんと冷静に向き合う作業をしなければなりません。
組織委員会という組織の限界
東京2020招致委員会(すでに解散)と東京2020組織委員会は、名前は似ていますが、全く別の組織です。JOC(日本オリンピック委員会)は、招致委員会には竹田理事長を筆頭に、多数の理事を出していました。招致委員会は、「若く、純粋な」アスリートたちの声が届きやすい組織だったと想像します。
しかし、招致が決定して目的を果たした招致委員会は解散し、組織委員会にオリンピック運営が移行しました。組織委員会は「大人たち」の組織であり、理事会の構成が大きく変わりました。組織委員会の幹部職員のうち、スポーツ界出身者は10%以下と聞いています。
オリンピックは、想像を絶する規模のロジスティクスを要するイベントです。組織委員会の職員だけで7000人以上いて、ボランティアや、コントラクター・コラボレーターと呼ばれる有給スタッフなどを加えると20万人くらいになるでしょうか。20万人の運営スタッフがいるイベントは、オリンピック以外には見当たりません。
だから、「ちゃんと、トラブルなく開催する」という安全運転を考えると、組織委員会が「大人たち」の組織だったことは仕方ないと思います。でも、それを「仕方ない」と片付けるなら、招致の際に、あんなに日本国民と世界をワクワクさせた約束をするべきではなかったと思うのです。
東京オリンピックの限界は、日本社会そのもの
日本には、多くの社会課題があります。若者たちの中には「自分たちには社会を変えられない」という諦めのムードが蔓延しています。
東京オリンピックは、招致の際に「私たちの手で、全く新しいオリンピックを作れる」という高揚感を若者に与えながら、結局の仕上がりは「日本らしい、大人たちが仕切ったイベント」でした。
いまの日本社会の限界が、東京オリンピックの運営にそのまま表れてしまいました。これは、日本国民に対しても、世界(国際社会)に対しても、招致の約束を果たせなかったという現実です。
このままでは、2025年万博(大阪・関西)も、2026年アジア大会(愛知・名古屋)も、同じことを繰り返すだけになりかねません。根本的に、日本社会が、若者の声を取り入れながら常にアップデートできるように、真剣に考える必要があると思います。
(第2回に続きます。)