孤独の吸血姫:~第三幕~醒める夢 Chapter.1
「何処だ! いったい何処に!」
胸中を焦燥一色に染め、カリナは城内を駆け巡った!
迷宮の如き造りが煩わしい。
彼女にしては珍しくも、ありのままの自分を露呈していた。
それも無理はない。
彼女が〝彼女〟たるアイデンティティーが、見失われていたのだから。
それだけを必死に捜し求め、彼女は駆け続けていた!
霊気に満ち溢れた広い魔城内を、ただひたすらに……。
「何処にいるんだ! レマリアァァァアアッ!」
慟哭とすら思える悲痛な叫びが、閑寂とした大回廊に響き渡った。
天空の闇を舐める紅蓮の焔!
ロンドン塔の城壁周囲を、大規模な朱舌が取り囲む!
その勢いは鎮まる兆しすら無い!
ただひたすらに灼熱は宴を踊り狂っていた!
城壁へと押し寄せる夥しい数の死体──即ち〈ゾンビ〉の群である!
謎の軍勢による夜襲は、虚を突いた利のままに展開していた!
「クソッタレ! 何なんだ、コイツ等は!」群がる屍兵を破壊し続け、アーノルドが苛立つ。「捌いても捌いても減りゃしない。それどころか怯む気配すらねぇぜ!」
防衛部隊を率いて出陣したものの、予想以上に面倒な敵であった。
加えて、戦場の条件も悪い。
城門は南方角に当たり、表通りは東西へと伸びる。
横たわるテムズ川に沿った形だ。道幅はそれなりだが、乱戦に適したほど広いとは言い難い。
そんな路上を、蠢く黒波が埋め尽くしていた。敵勢は両側から押し寄せて来ている。物量押しの挟撃だ。
結果として〈不死十字軍〉は、城門前に固まる陣型を余儀なく強いられていた。
「このままじゃ圧倒的な敵数に消耗していくばかりだぜ! バリケード代わりの人身御供に過ぎねぇ!」
「焦られるな! アーノルド殿!」
背後からの檄が平常心を促す。
東側の敵を相手取る吸血騎士──ジル・ド・レ卿だ。西側を受け持つアーノルドとは背中合わせとなる。
「単にタフネスさの底値が高いだけだ。個としては、たいした〈怪物〉ではない」
騎士の剛剣が敵兵の頭を破断した。
が、倒れた死体はゆるりと起き上がり、何事も無かったかのように戦線復帰を果たしてしまう。
「頭を破壊しても死なぬ……か。どうやらデッドとは勝手が違う」
「敵一体を沈黙させるのに、こちらは二人殺られる! 割が合わねぇ!」
「致し方あるまい。我等と同じ〈不死者〉ではあるが、小奴等には自我が欠落しているようだ。つまり〝死〟や〝痛み〟を恐れない。玉砕前提の捨て駒戦法は、物量押しに相性が良過ぎるのだ」
「基礎能力では我々〈吸血鬼〉の方が、圧倒的に勝っているのにか?」
「小奴等に相対して、我等〈吸血鬼〉は生前の精神性を色濃く維持している。つまり〝焦燥〟や〝動揺〟といった感情が、未だに涌くという事。衛兵達の志気にも影響は出よう。そうした精神面の脆さが、劣勢を招く要因ともなっているのだ」
「ハッ! そんな腑甲斐無さで、よくも〈闇暦大戦〉へ参戦しようとなんざ考えたもんだぜ」
アーノルドの凡庸魔剣が、敵の眉間を貫いた!
無論、成果はない。
「……クソッタレ」
見渡す限り、死体だらけであった──動くも動かざるも隔たりなく。
彼等〈吸血鬼〉の存在そのものも、例外にない。
阿鼻叫喚に展開するは、血の謝肉祭。
エリザベート・バートリーの謀反から、僅か三日後の凶事であった。
城郭の頂から戦況を見据える白き麗影──カーミラ・カルンスタインの姿だ。眼下の混戦を観察する表情は渋い。
防壁を吹き登る熱風が強烈な異臭を運んだ。血飛沫の鉄分臭と戦火の焦臭さが混じり合ったものだ。
「不快ね。まるで〈終末の日〉を思い出させる」想起される回顧を疎む。「ねえ、メアリー? あの時よりも、ゾンビの数が増えていなくて?」
脇に並び添う真紅のドレスが、形式的な恐縮で答えた。
「そのようですね。カリナ殿の教示を考慮すれば、あの時の三倍はいるかと」
「凡そ一八〇体ってとこ? 僅か三日程度で、そんなに増えるものかしら?」
「あの後、私なりに〈ゾンビ〉の文献を調べました。どうやらネックとなるのは、甦生呪術に要する儀式時間だけのようです。魔術精通者であれば、三日は充分過ぎるかと」
「肝である〝死体〟は?」
「大前提として〈デッド〉化していない〝純粋な死体〟に限るようですが……その気になれば、いくらでも調達できましょう」
メアリーの見解に眉を曇らせた。平静を装った言い回しではあったが、明らかな含みがある。
「それって、まさか?」
「恐れながら、居住区の人間達を虐殺した可能性も……」
カーミラは強く唇を噛んだ。望まざるべき返答でありながらも、予想通りの示唆に。
居住区画の煉獄は、まだ生々しく胸中に刻まれている。
(なまじいエリザベートと対峙しただけに、彼女の謀反が核だと思い込んでいた──それは迂闊な短絡だったわね。傀儡の裏には〝黒幕〟たる存在が別にいる。となれば、その目的は違っても当然なのだから)
カリナが追求し、エリザベートが言い遺した〈魔女〉の名前が思い出された。
「ドロテア……か」
如何に不死身の〈吸血鬼〉といえども、今回の持久戦は些か不利な状況にある。
敵軍先陣へと深く切り込んだジル・ド・レも、さすがに焦りを覚えていた。
(アーノルド・パウルが苛立つのも無理はない。こうも不死身では……)
先程、彼自身が口にした通りであった。物量押しの戦術は、ゾンビ兵に相性が良過ぎる。況して自我が欠落しているが故に、玉砕前提の捨て駒扱いを物ともしない。
剛剣の一突きが、まとめて二体の頭部を破砕した!
西瓜の如く弾け散る!
当然、意味など無い。首無し死体として復活するだけだ。
「下等故に上位を下す……か。皮肉な下克上だな」
浅く自嘲を浮かべる。
頭では理解していながらも、対デッド戦のノウハウが自然と滲み出てしまう。体に染み着いた〈戦士〉としての習性であった。
(確かにゾンビ共のタフな性質は厄介だ。さりとも我が軍の兵が不慣れな点も、劣勢要因としては大きかろう──実戦経験の不足だ。所詮、近代吸血鬼は戦の世を知らぬ。安寧世代の緩さよ)
内政面では一目の価値を尊重してきたが、前線に於いては軟弱な有象無象に過ぎない。
(斯様な組織実態では〈闇暦大戦〉へ参戦したところで底は見えておるな)
歯痒い。
数世紀の間、摂理に反して生き長らえた。
それもこれも抱く理想へと邁進すればこそだ。
理想──いや、待て。
理想とは何だ?
そもそも何を追い求めていたのだ?
取り留めもなく涌いた自問に戸惑う。
と、混戦の渦中で見知った顔を見つけた。
深々と被った漆黒の長外套姿。まるで様子を窺うかのように、城壁裾へと佇む男。
疑心誘発の忠臣に他ならない。
「プレラーティか?」
死体を捌きながら確認する。
「ジル・ド・レ様、機が訪れました」
「機だと? 何を言っておるのだ!」
意味不明な訊い掛けを拾いつつ、数体の敵兵を纏めて破壊した!
「斯様な謎掛けを戯れる暇があれば、我が片腕として加勢せぬか!」
「……機が訪れたのでございます」
「だから、何を──」
叱責する中で、違和感を覚えるジル・ド・レ。
混戦状況そのものは変わらない。
しかし、黒集りに空間が拓いていくではないか。群がるゾンビ達が緩慢的な動きに退いていったのだ。ジル・ド・レの周囲に限り……。
「こ……これは?」
「機が訪れたのでございます」
暗い瞳が淡々と促す。
直感、ジル・ド・レは悟った。
ゾンビ共の撤退は、この男の術だと。
黒魔術によって排除したわけではない。そうした術に不可欠な動作を振舞ってはいなかった。
ともすれば、絶対的な支配権の行使とさえ思える。
根拠も証拠も無い確信だ。
だがしかし……。
(否、それ以外にも不自然さはあったではないか!)
ジルは訝しんだ洞察に睨む。
(そもそも、この男は何故襲われずに居たのか?)
これらの状況を客観的に分析すれば──この軍勢を率いていたのは、プレラーティ自身という可能性が高い!
「プレラーティ! キサマ、一体?」
「私は従者──貴方様の願いを叶えるべく付き添い続けた影でございます」
「ワシの……願い?」
正視に睨み据えた魔術師の目が爛々と赤い照りを帯びる。
吸血貴族たる自分ですら不気味な禍々しさを感じた。
呑まれるような赤い闇──自我も意識も思考も何もかもが、混沌と攪拌されて境界線を無くしていく。
宛ら、彼等〈吸血鬼〉の常套手段ある〈催眠術〉を連想させた。
が、その魔力の源泉は、もっと根深く感じられる。魔界の深淵から湧き出るようなパワーソースだ。
つまりは、単なる精神技巧ではない。
そうした分析観を抱きつつも、ジルは次第に己を見失っていった。
夢遊のように全てを受け入れ、誘惑の声へと歩み寄る──全てを受け入れ? 何を?
何一つ確かな情報も無いというのに?
この男は何者だ?
目的は?
何故、自分を誘う?
そして、己は──ジル・ド・レ自身は何を求めてきたというのだ?
明答など見えない。
見えぬまま、ジルは受け入れつつあった。
やがて並び立った主人と従者は、そのまま屍群陣営の奥深くへと呑まれ去る。
背後から投げ掛けられるのは、部下の制止と断末魔──赤飛沫の悲鳴──骨身が潰され果てる醜音。
それらを手向けと浴び、吸血騎士は決別の歩を刻む。
もはや戦況の行く末など、どうでもいい。
これから満を持して刻むべきは、ジル・ド・レ自身の足跡なのだから。
「随分と大掛かりな人形劇ね」
辟易とする気持ちを押し殺して、カーミラは思索を巡らせていた。
(ゾンビ自身は単なる労働力……自己判断力や知恵なんかは持ち合わせていない。つまり攻城戦を指揮している黒幕が近場にいるという事)
未だ見ぬ〈魔女〉の存在が憎々しい。
主人を捨て駒とした外道。これだけの兵力を水面下で整えていた狡猾な策士。
「メアリー、此処数日で襲撃被害に遭ったと思われる居住区画は?」
「それはまだ調査していませんが……なにより、居住区の実態調査はコンスタンスではないので」
「大至急調べて下さい。必要とあれば、貴女自らが城外へ赴いても構いません」
「この状況下で戦場を離れろ……と?」
「構いません。わたしからの勅命です」
カーミラの瞳には毅然たる意志が宿っていた。
それを汲むが故に、メアリーも素直に殉ずる。
背後で一礼を払うと、彼女は紅い蝙蝠へと変化した。
居住区の方角へと飛び去る知獣を見送り、少女城主が瞳を上げる。
と、はたして忌むべき敵は、そこに存在していた!
黒月の巨眼を後ろ盾に浮遊する人影!
距離にして約二〇メートル先──黒い長外套を靡かせ、戦火の頭上に滞空している!
一瞬、エリザベートの亡霊かとも思った。
だがしかし、それは有り得ぬ話だ。呪われたる魔物と堕落した〈吸血鬼〉の魂は、霊界の理から除外排斥されているのだから。故に〝再生〟こそすれ〝輪廻転生〟などしない。況してや〈幽霊〉などになるはずがない。
「まさか……あれは?」
『ああ、私が〝ドロテア〟さ』
カーミラの推察に影が答える。肉声ではない。低く静かな囁き声を聞き取るには、互いの距離が離れ過ぎている。当然ながら〈魔術〉による無声会話だ。
「満を辞して〝黒幕〟自らの御登場かしら?」
思念を返す。
『黒幕? クックックッ……』
「あら、何か可笑しくて?」
『クックックッ……我は露払いに過ぎん。イギリス全土を掌中に収めるためのな』
「やはり、本隊は別に控えているって事ね。或いは〈不死十字軍〉同様に、未だ母国で胎動中なのかしら?」
『……何?』
「敵対勢力の本格的侵攻ならば、全面攻撃を打ってくるでしょうからね。けれど、エリザベートの謀反を唆した暗躍に、夜闇に紛れた消耗品による奇襲──あまりにも小規模で場当たり的過ぎる」
『…………』
「背後にいるのは、エジプト? イタリア? それとも、まさかフランスかしら? どちらにせよ〈魔女の勢力〉なのでしょう?」
『……よく喋る』
ドロテアの声音から抑揚が消えた。それは情報隠匿を再意識した証拠である。
(これ以上は語らず……か。誘導尋問は失敗みたいね)
詳細看破を突きつける事で動揺を誘ってみたが、結果として裏目に出たようだ。逆に警戒心を誘発し、これ以上の聞き出しは望み薄となってしまった。
(けれど、それは当たらずとも遠からずって事を語っているようなものよ……魔女ドロテア!)
互いに出方を窺う反目が続く。
ややあって、浮遊する影が揺らいだ。
魔女が消え去るのを察知し、カーミラが制止を叫ぶ!
「御待ちなさい! 魔女ドロテア!」
しかし対応は紙一重で遅く、その幻姿は霞と消えた。
『カーミラ・カルンスタイン、キサマ達〈吸血鬼〉の軍勢は今宵滅びる。ロンドンの領有権は、我等の掌中に……』
置き土産の声が拡散して響く。
「虚しい支配権なんて、どうでも良くってよ」カーミラは虚空を睨み据え、忌々しく本音を吐き捨てていた。「けれど、貴女を許す気は無いわ。自らの姦計のために忠義を吐き捨てる──わたしの最も嫌う人種ですもの」
静かなる敵意に、エリザベートの哀れさを愁える。心より信頼を置いていた腹心に裏切られ、道化と堕ちた哀れさを……。
それは、如何に絶望的な惨めさであっただろうか。あのような無慈悲な姦計を、繰り返させてはならない。
総ての元凶は、あの〈魔女〉だ!
絶対に討たねばならない!
次なる〝エリザベート〟を生み出さないためにも!
と、背後に何者かの気配を感じた。
重々しい男性の声が、彼女へと呼び掛ける。
「カーミラ様」
「ジル・ド・レ卿?」こうした戦況には頼もしい人材であった。「丁度良かった。折り入って御願いがあるの。しばらく、わたしに代わって戦局の指示を──」
そう告げて振り返ると同時に、腹部で熱さが燃える。
「……え?」
状況が呑み込めず、カーミラは確認の視線を落とした。
彼女の腹部を貫く簡易魔剣!
「珍しくも虚を突かれましたな。この目まぐるしい乱戦下では、無理からぬ事ではありましょうが」
力強く刃を捻込む!
それは宛ら、エリザベートの仇討ちにも思えた。
「かふっ!」
白が赤を噴く!
「所詮、貴女は浮き世離れ。戦には疎過ぎる」
「ジル……ド……?」
「いま一度、生まれ変わらねばならぬのです──このロンドンも──我等〈不死十字軍〉も──そして、私自身も────」
魔剣に断腸の念を込めるジル!
「っああ!」
可憐が鮮やかに生命を吐く!
理不尽な餞別を引き抜かれると、麗しき少女吸血姫は自らの血溜まりへと崩れ倒れた。
まるで、冷たい眠りへと落ちるかのように……。
本格的な戦ともなれば、来賓や使用人たる〈吸血鬼〉の出る幕はない。率直に言えば〝役立たず〟だ。
ジョン・ジョージ・ヘイとペーター・キュルテンによる合同部隊の任務は、そうした輩を保護する役目にあった。
狼狽に踊る来賓達が、速やかに安全な場所へと誘導される。具体的には屍棺安置室や血液貯蔵室等だ。こうした部屋は総じて地下に設けられているため、緊急避難壕としての側面も補っている。
慌ただしい誘導を終えると、ジョンは一階へと登った。正面大回廊へと続く通路だ。固より深い霊気を漂わせる情景が、更に拍車を掛けた蒼い虚構へと染まっている。
城内には、人の──否〈吸血鬼〉の姿気配は全く無い。避難するか戦地へ赴くか……その二択だ。
手近な窓から外を眺めると、城壁の向こうには朱宴が鮮やかだった。
加勢できぬ弱さが歯痒い。だが、自分達は戦火が鎮まるのを待つしかなかった。
「とりあえず全員避難させたな」
背後からの声に振り向く。遅ればせながら登ってきたペーターだ。
「非戦闘的なボク達には適した任務だね」
軽く自嘲を含むと、ジョンは視線を城外へと戻す。
ペーターも、それを追った。
「ジル・ド・レ卿とアーノルドに任せるしかないさ」
と、ペーターは異変を感じる。
「な……何だ?」
俄に血相が変わった。
ジョンは、まだ気付かない。
「どうしたんだい?」
声も届いていないかのように、ペーターは睨み据えている。どうやら焦点は城門だ。
釈然としないままそれに倣い、ようやくジョンも驚愕を漏らした!
「城門が……揺れ軋んでいるっ?」
外側からの大きな圧力だ!
それはつまり、敵勢が押し寄せているという事実に他ならない!
「殺られたっていうのか? ジル卿とアーノルドが……我が軍きっての防波堤が?」
「僕にしても俄には信じ難いよ。けれど、これは紛れもなく現実──有無を云わさずね」
「クソッ! どうすればいい!」
「まだ現在は巨大閂が耐えているけど、それも僅かな猶予でしかないだろうね」
「実戦部隊は総て迎撃に出たんだぞ! 応戦できる兵力なんか残っちゃいない!」
加熱するペーターに反して、ジョンは沈着冷静を保っていた。口元に手を添えて黙々と思索する姿は、まだ希望を捨てていない。
「おい、ジョン?」
「我々は、戦闘能力で〝吸血貴族〟に劣る──傭兵経験者のアーノルドは別としても。つまり、それさえ補えれば応戦する事も可能なはず」
「だろうさ。けど、現実的に無理な話だ。いまから訓練でも重ねるってのか?」
「待ち給えよ。僕は『我々には応戦手段が無い』と言ったのさ──つまり僕と君に限った話だ」
城門を警戒に睨み続け、ペーターが焦れる。
「正直、話が見えないな。手短に要点だけを言ってくれ」
その時、威勢猛々しい勧告が告げられた!
城門の外からだ!
「聞けぃ! 残留兵共!」
気迫だけで通る叫び声!
聞き覚えを抱き、二人は顔を見合わせる!
「この声は……ジル・ド・レ卿か!」
「貴様等の主君カーミラ・カルンスタインは、既に我が刃に倒れている! 防衛線たるアーノルド・パウルも、我が屠った!」
ようやく合点がいった。
この急変した劣勢は、ジル・ド・レ卿が寝返ったが故なのだ!
理由は判らない。
が、突破された防衛線が、その事実を立証している!
「速やかに降伏し、我が軍門へと下れ! 一時間だけ猶予を与えてやる! よく考え、賢い選択をするがいい!」
そう言い残して、気配は消えた。夢幻であったかのように鎮まる城門。
訪れた静寂の中で、ペーターが嘆息混じりに零した。
「やれやれ……カーミラ様が倒され、アーノルドも死んだ──何よりも主戦力であるジル卿が寝返った以上、我々には打つ手は無いぜ?」
「仮にカーミラ様が殺られたのだとしても、我々には匹敵する一騎当千がいる」
思いの外、ジョンは涼しい。
「そいつは〝ブラッディ・メアリー〟の事か?」
「いいや」
「もしかして、ドラキュラ伯爵なんて言うつもりじゃないだろうな? 確かに〈伝説の吸血王〉かもしれないが、来城した事すら無いんだぜ?」
「いいや」妙案を含んだ微笑を携え、ジョンは明答する。「カリナ・ノヴェールさ」