孤独の吸血姫:~第二幕~白と黒の調べ Chapter.3
「チクショー! どうしてオイラは、こうなんだよ!」
リック少年は自らの不運を呪った!
死に物狂いで街路を駆け抜ける!
振り返ると、追っ手の三人組は加虐心に漲っていた。
居住区を見回り警護する衛兵──即ち〈下級吸血鬼〉だ。
「待てよ! ボウズ!」
「オレ達ァ、オマエ等〈人間〉を守ってやってるんだぜ? 少しは御褒美があってもいいだろうが……へへへ!」
要するに「オマエの血を吸わせろ」という事だが、冗談ではない。
そもそも、対デッド警護は無償政策だ。
「オイラ〝血税〟なら、ちゃんと納めてるよ!」
怪物が統治する闇暦の国々では、税の在り方も人間社会とは異なる。要求されるのは主に支配怪物の糧となる物であり、此処ロンドンでは〝血〟だ。月一回は徴税隊による強制採血が行われ、それが居住区在住を認可する税として扱われる。
いつしか誰とでもなく呼称し始めたが、文字通り〝血税〟だ。
それは吸血鬼達に給与として割り与えられる。
だが、当然ながら均等とは言えない。階級格差による等分比率は、人間社会に於けるそれと変わらなかった。
故に下級吸血鬼には、こうした横暴も稀に現れる。種族的優位性と官軍的奢りによる腐敗だ。公にさえ知られなければ良いというのは、人間社会から受け継がれた負の組織伝統かもしれない。
ともかくリックは、そうした質の悪い連中に目を付けられた。
追撃状況を確認すべく、少年は振り返る。衛兵達には諦める気配も疲労の様子も無い。元来、体力の底値も人間とは違うのだろうが……。
「ぅあ?」
疲労困憊で足が縺れ、派手に転んだ!
背後に気を取られたのは失敗だった。
土煙の中で痛みを堪えて蹲まる。
ややあって追いついた足が、何者かは言うまでもない。
「おいおい、大丈夫かァ~?」
「素直に言う事を聞いてりゃあ、痛い目を見ないで済んだのによ~?」
好き勝手に茶化し並べる下級吸血鬼達。
膝から流れる僅かな血を、一人が指で掬い舐めた。
「あらら、勿体勿体ねぇ」
「だよな。オレ達〝下級吸血鬼〟は、常に満足のいく食事にありつけねえってのに」
「おまけに脆弱で下らねぇ人間なんかを、無償警護しなきゃならねぇなんてよ……貧乏クジそのものだぜ」
「オ……オイラ〝血税〟は、ちゃんと……」
「オマエ、人の話聞いてる? オレ達は『満足のいく食事にありつけねえ』って言ってるんだぜ?」
「そんな配分、オイラの知った事じゃ……」
「この際、配分量はいいんだよ。とっくに諦めてるさ。ただ、スパイスが足りねぇのさ。味だよ! 味!」
「要するに〝味付けの無いステーキ〟を食ってるようなモンだ。空腹感の足しにはなるが無味乾燥──如何に好物でも食った気するか? あん?」
「つまり、オレ達が欲しいのは──」「──恐怖と悲鳴だよ!」
恐ろしい本性を剥き出しにする魔物達!
口角が耳元まで大きく裂け、歯茎が別生物のように競り出した!
ズラリと並び生える鰐のような鋭歯!
爛々とした赤い目は、血に飢えた魔獣そのものだ!
理性無き狂気に染まっている!
「う……うわぁぁぁああ!」
少年が叫ぶ!
恐怖に!
戦慄に!
それぞまさに、彼等の望んだスパイス!
卑しい欲望を垂らす牙が、少年の喉笛へと噛みつかんとした瞬間──「随分と安物のスパイスだな」──不意に割り込んだ少女の声が、鮮血の宴に水を差した。
得体の知れぬ声に血獣達の動きが止まる。
だが、少年だけは聞き覚えがあった!
月明かりの一角で、壁へと背凭れる華奢な影──。
柘榴齧りの不敵な傍観視──。
吹き抜ける風に靡くツインテールと黒外套──。
まるで再現の如き光景が、少年の視界を滲ませる。
「カ……リナ?」
「やれやれ……つくづく襲われるのが好きだな、オマエ」
少女は呆れ気味にボヤくと、物臭そうに身を起こした。
相変わらずの拈れた態度。
けれど、その裏に隠された心根を少年は知っている。
あの日の〝柘榴〟を通じ……。
だからこそ、安心して委ねる事できた。
「な……何だ、テメエ?」
寸分違わず聞き覚えのある安い口上。
が、そこに性蔑的な侮りはない。
同属故の感知だろうか、彼等は少女が人外である事を察知したようだ。
「どいつもこいつも……キサマ達のような輩は、同じ台詞しか吐けんのか? それとも、そういうルールでも流行ってるのかよ?」
無造作に近付いてくる少女を警戒し、吸血鬼達が身構える。
と、今度は背後から女性の声が聞こえた!
「まさか、衛兵まで腐敗していたとは……」
汚職衛兵達が振り向くと、そこには新たな介入者が二人──清廉そうな白外套の少女と、厳格な気品を漂わす赤外套の淑女だ。
声の主は、おそらく赤外套の方だろう。
「コ……コイツ等?」
いつしか彼等は、逆に包囲される形になっていた。
白外套が心底失望して嘆く。
「本当に我ながら情けないわ」
「何も貴女だけのせいではありますまい。疎むべきは、これら恥ずべき汚点の愚劣さです」
「これは、やっぱり責任を取るべきでしょうね」
「僭越ながら、私も……」
何気に聞き逃せない決断へ、カリナが不服を挟んだ。
「オイ、これは私の興だぞ」
「頭数は合ってるんだから、一人づつで宜しいんじゃなくて? それに傍観だけじゃ寝覚めが悪くてよ」
「フン、勝手にしろ」
不機嫌に投げる。
「な……何なんだ、コイツ等?」
衛兵達は不気味さを味わっていた。不敵な会話は、自分達を歯牙にも掛けていない。
途端、彼等の一人が驚嘆を発する。
「あっ!」彼は仲間の存在すらも畏怖に忘れ、ただ小刻みに震えだした。ただでさえ生気のない顔が、更に血の気を失う。「ち……違……オレ、違うんです!」
明らかに恐怖を帯びた叫びを残して、彼は一目散に逃げ出した!
「一人減ったぞ」
黒外套が不満そうに疎む。
「じゃあ、これ以上減る前に始めましょうか?」
清純な微笑みと共に、白麗の少女は愛用の荊鞭を取り出した。
命辛々逃げ仰せた彼は、ようやく心拍を整えていた。
相当に距離を稼いだ場所で、建物へと背中を預ける。
過敏に怯えた魂が自身の気配を殺させた。
「ま……間違いねぇ。アレは──」
城主〝カーミラ・カルンスタイン〟に他ならない。
「生きた心地がしなかったぜ」
あまりに強大で格違いな妖気を、まざまざと見せつけられた気がした。
幸いにも正体を悟れたのは〈魔〉の本能だ。おかげで、より鋭敏な感覚に察知できた。
彼女達にしてみれば、威嚇したつもりもないだろう。ただ普段通りに振舞っていたに過ぎない。それでも強烈な圧であった。
「へっ……へへっ……」
自然と乾いた笑いが零れ始める。身の安全を確保した実感からだろうか。
否、それは精神的自衛かもしれない。骨身に染みた恐怖を誤魔化すための……。
「アレに気付けないなんて、アイツ等は間抜け過ぎるぜ」
置き去りにした仲間達へと嘲りを手向けた。精一杯の現実逃避であり、取って付けた自己弁護だ。そうでもしないと罪悪感を割り切れない。彼等の絶望的な末路は見えているのだから。
スゥと頬を撫でられた気がした。冷ややかな感触だ。湿った風の戯れ──ではない!
「ひっ?」
はっきりとした体感を確信し、思わず跳び退き構えた!
先程まで背後に在った暗がりから気配を感じる!
逃れ仰せたはずの強大な妖気を!
硬い足音を響かせ、戦慄の魔性が歩み出てきた。
血のように真っ赤な外套が!
「仲間を見捨てて逃げるとは、どうやら最も恥ずべき下郎は貴様のようだな」
深紅のロイヤルドレスに身を包んだ凛然たる美貌──〝ブラッディ・メアリー〟だ!
「勘弁して下さい! アイツ等に唆されて!」
「更には保身に仲間を売るか……見下げ果てた性根。如何なる理由とて、貴様達が領民に暴虐を働いた咎は消えぬ」
「た……たかが、ガキ一人じゃないですか」
「たかが?」聞き捨てならぬ暴言に、メアリーの細眉がピクリと反応した。「その〝たかが〟の尊き血によって、我等の生は繋がれている。なればこそ、血の重きを知らねばならぬ。『血は命なり』だ」
これ以上は何を主張しても無駄と悟る。赤の吸血妃は、あまりにも人間へ肩入れし過ぎていた。
「な……何が『血は命なり』だ!」
ヤケクソな叫びを吠えて、吸血妃へと斬り掛かる!
衛兵の武装として携えた凡庸魔剣だ!
メアリーに動じる様子は無い。
迫る狂犬を冷ややかな蔑視で捕らえ続け、そして──!
「なっ? 消えた?」
瞬間的な異変だった。
刃が裂いたと思えた瞬間、彼女は赤く霧散したのだ!
実体が消えたとはいえ、その存在が周囲に潜むのは確かだった。
例えようもない不安に踊らされ、一心不乱の剣が狂う!
「ドコだ! チクショウ! ドコに消えた!」
下級吸血鬼である彼は霧化は疎か、霧化した存在を察知する事も叶わなかった。上級と下級故の絶対的な魔力差だ。
ひたすら空を斬る必死な抗いは、無様で滑稽な踊りにしか映らない。
「チクショウ! チクショウ! チクショウ!」
次第に涙声と化した罵倒に彼は狂い続けた。手応えは無い。
やがて緩慢化した動きの僅かな隙が、彼の命運を終わらせる。
「ヒィ!」
しなやかな指がヒヤリと頬を撫でた。背中で感じる弾力に富む膨らみは、女性のそれだ。
いつの間にか赤の吸血妃は背後へと現れ、処刑の抱擁に贄を捕らえていた。
「何か言い残す事はあるか?」
耳元で甘く囁かれる破滅への誘い。
「オ……レは……」
「フム、貴様は?」
「け……敬虔なカトリック信者なんです」
情けない泣き面へ、美しき冷笑が応える。
「もうよい」
鈍い砕骨音と共に、彼女は価値無き首を捻り千切った。