父が死んだ 5
2020年10月24日、父は病院で息を引き取った。
父は、葬儀屋さんと共に自宅に帰ってきた。仏壇の前に寝かされ、絶やしてはいけないと、ずっとお線香が焚かれていた。その傍で母と姉と父の従兄弟達が、葬儀の相談をしていた。私は、子ども達と共に父の横に座り、そっと顔を見た。子ども達は「おじいちゃんの写真を撮ろう。」と言った。私は、「死んだ人の顔は心の中で覚えておこうね。」と返したが、本当に父の最期の顔をいつまでも覚えているだろう。病院にいた父はまるで別人のようだったが、人工呼吸器を外し、透析の機械と繋がれていた管も外した今、いつもの父の顔に戻っていた。目尻には皺が深く刻まれ、肌はつやつやしていて、少し笑っているように見えた。そして、何よりとてもとても満足気だった。病院嫌いだった父は、少し入院しただけで、生涯一度も手術を経験することなく死んだ。父の望み通りだったのだろう。父は父らしく人生を全うしたのだ。お父さんらしく死ねてよかったと、安堵すらした。
通夜の朝、納棺師の方が来られて、父がいつも仕事に着ていた背広に着替えさせてもらった。落ち着いた赤色のネクタイ姿に、久しぶりにやっと父に会えた気がした。髪もきれいに整えてもらい、唇にはほんのり紅をさしてもらっていた。ただ、顔に触れると冷たくて硬い。あぁこの目は二度と開くことはないんだなと、なんども確認した。通夜も葬儀も盛大だった。気持ちの良い秋晴れの中、多くの人が参列くださった。そして、父は骨だけになってしまった。
葬儀を終え、自宅に戻った次の日、父が夢に出てきた。生前よくそうしていたように、肌着姿で縁側に座っていた。何か言うでもなくにこにこ笑って、母や私や孫達を眺めていた。そうだったのだ。父という人は、そういう人だったのだ。何か言うでもなく、にこにこ笑って、そこにいる人だったのだ。死ぬ1年前に10年日記を買い、2ヶ月前に長年勤めた仕事を終え、1ヶ月前にハロウィーン宝くじを買い、10日前には一人でドライブにでかけ、1週間前にはステーキとお酒を楽しみ、淡々と生きる日々が続くと思っていたのだろう。そうして79年の人生を終えていったのだ。
寂しいけども、清々しくもある。月並みだけど、お父さんありがとうね。