【38】自分の年表

この時はこの時の悩みがあったよね、多分。というのかそれぞれの時期にあり、それを経て今に至っているということで、今悩みがあるのも、通過点ということだね。なぐり書きなので時間のあるときにアップデート。

1997 誕生

1997-2010
赤ちゃん、幼稚園、小学校。
親が一生懸命命を守って育ててくれた日々ですが、あまり記憶がなくて、またやる気が出たときに書こうと思う。
リレー走ったり楽しかった。という記憶。

2010-2013
中学生。1年生の時は、みんな友だちという感じで何も考えずに楽しかったな。2年生になり、少し暴力的な子とか目立つ子とか大人しい子とか大人っぽいことか、1年目で作られたキャラを元にそれぞれがそれぞれのキャラの役割を頑張って過ごしてたような気がする。狭い交友関係の中でできるだけ周りに関心を持たず、過ごしていた気がする。それでもお弁当を食べる友だちには恵まれて、楽しかったな。移動教室1人で移動は恥ずかしい、と思っていたお年頃。でも目立ちたくはなくて、仲良くしようとしてくれた目立つタイプの子には、今思うと申し訳ない塩対応をしてたなと思ったり。元気かな、交錯してそのまま疎遠になった人たち。今もし会えたら、どんな話ができるだろうか。
部活はバドミントン。同級生で気軽に話せるのは最初は1人。3年かかってみんなと仲良くなれ、居心地が良くなった。他のクラスの子を怖がっていたけれど、話してみればみんないい人だった。臆病はこの頃から変わらず。

2013-2016
高校生。
かなり勉強中心だったと思う。大学に受からない恐怖。成績優秀な自分でいたいというプライド、?頑張ってた。友だちは狭く深く。中学の時よりも周りの目が気にならなくなり、一人でいたい時は一人で、誰かと話したい時は誰かと、人間関係ストレスは軽減した。友だちが少ないことをネガティブなことと思っていたけれど。部活はバドミントン。強くはなかったけれど、部をどうしたらもっとよくできるか、チームメイトと考えて動いた日々は、大人からみると青春だね。
のほほんとしているけれど熱いハートを秘めている人達に囲まれて、それでも目標はしっかりあって、毎日時間が足りなくて、今の私から見ると充実と見えるが、当時の自分は余裕なし逼迫だった。

2016 
大学生になった。英語の授業が嫌いだった。女子校から共学へ。話しかけてくる男の子が怖かった。部活に入ったものの男の人が多く、心を開ける人がなかなかできず、目標も定まらず、もやもやしてたけど辞める勇気もなかった。アルバイトの面接に5回くらい落ちた末、デパートで働き始めたけど、週2くらいしか行けず、日々緊張であった。
家に帰ると母が作っていてくれた晩ごはんに救われていた。

2017-2018
嫌だった英語の授業終了。フランス語は続く。課題、部活、バイトとやることが多すぎて処理能力を超えていたたけれど、まあ何とかやってた。
大学は、チームを引っ張る苦悩に悩んだ日々。自分の結果が出ず悲しくなる日々。チームの重荷なく活動してるメンバを見て、何回も投げ出したくなった。けれど投げ出したところで自分には何も残らないこともわかってて、投げ出せなかった。頑張ったねと思う。そういう苦悩の中で、声をかけてくれる人が増えて、心をひらいて話ができる人が増えた。部活に行くのがきつかったけれど、見ていてくれる人達がいたから頑張れた。できなかったのは、人を頼ること。
それから、大学受験ぶりの恐怖、就活がやってきた。けど無双の仕方、自分のやりたこと、よく分からず、とりあえず、手探りで?色々調べたりしてたなあ。結果は良いのか悪いのか、。良くはないのかも。まあこれも経験だし、このときの自分のできる限りはきっとやったし、あと今を生きるのは26歳の私だから、失敗になりそうな気がしたら、やり直せばいい。いつでもやり直せる。
家に帰ると母が作っていてくれた晩ごはんに救われていた。

2019
ラストイヤー。
部活を頑張った。
楽しく頑張れた。人を頼ることを学んだ。強がりばかりじゃ良くならないとわかった。
ゼミで卒論に励んだ、もう少し良い論文ができたと思う、かなり手を抜いたなと思うけど、世界が広がって楽しかった水曜日の5限。


2020
卒業旅行にたくさん行った。初めてスピッツに会った。初めて一人で飛行機に乗った。初めてトランジットをした。初めてアフリカ大陸に行った。大阪、草津、韓国、セネガル。
セネガル、とても深く記憶に残っている。良い意味で街が騒がしく、アジア人だからというのもあるかもしれないけれど、歩いていれば誰かが声をかけてくれた、騙されもしたけれど。そしてきっともう二度と会わない人にたくさん会った。砂漠の集落で日陰で涼んたシャイな男の子は、もう中学生くらいになって、砂漠で働いているのだろうか。また、いきたいな。

そして。
コロナ禍で、社会人になった。
会社に行ったり、通勤禁止になったり。
思い描いた社会人とはかけ離れた日々。進んでいるのか、これでいいのかわからない日々。
週末の予定はすっからかんで、毎日のように会っていた友人とも疎遠になり、会社の知り合いもできず、苦しかったね。
初めて家族旅行を企画した。一年に一度、行けたらいいなと思った当時の私へ。わんこと行けたのは2回だったけれど、その後もなんとなく恒例行事として年一家族旅行が定着しているよ。
母が作ってくれた晩ごはんに救われていた。

2021
2年目。まだコロナ。自問自答の答えは出ない。コロナじゃなくても私はだめだったのだろうと思い、暇を持て余して考えて悩んで病む日々。仕事の手の抜き方がわからず、馬鹿真面目で、もっとこう在りたいとのギャップに苦しんでいた。働く意味を探して、ひとり暮らしを始めた。一人旅に出てみたりゲストハウスに泊まってみたりした。現状を打破する何かがみつからないかな、ともがいてたような気がする。行動制限が緩和されても、波が来たらまた、行動制限。楽しみな予定ほぼ無しで、今思うと、よく生きていたなと思う。
追い打ちをかけるように、大切なわんことお別れを経験した。悲しくてもう立ち直れないと思った。しばらく実家に戻り、同じ悲しみを家族で共有して、家族のありがたみや温かさに助けてもらった。目に見えなくなっても、一緒に過ごした日々が、今の私になっている。

2022
少しずつ普通が戻ってきた。
仕事の手の抜き方もわかってきて、休日の予定も増えた。悲しみが少しずつ薄れていくことに情けなさのようなものを感じつつ、少しずつ立ち直っていった。大学でスポーツをやめていたけれど、久しぶりに大会にエントリーして、週末に練習したりした。
自由に出歩いたり、ご飯を食べに行ったり、旅行に行ったり、普通のことの普通をかみしめた。人生には波がある、少しずつ上向いてる、と思った。

2023
転職か異動か、悩み、異動をすることにした。
新しい学びがありつつ、この部署のサイクルを掴めたら、もうこの会社はいいかなとも思った。
気分を変えようと、2年更新のタイミングで引っ越しました。前よりも明るい部屋、なかなか良い。
恋人ができた。タイプじゃなかったけれど、真っすぐで優しくて少しずつ好きになった。
結婚ラッシュ。キャリアも考えつつ私生活も焦るような、人生に関する考え事が増えた。進学や就職のように、決められたレールはない。自分で選んだ道を正解にするように生きればいい。頭では分かっていても、ついつい不安、焦り、孤独、などに支配されることがある。
けれど、本当に、前の数年より、生きやすくなった。

2024
ゆるっと転職活動をしつつ激務の一年を過ごしている。一年が終わったら、一度リセットしよう。まだまだ悩みは尽きない。大切な人や物を大切にしたいという気持ちが年々強くなる。今が過去になるのがあっという間。時間の流れが早い。親も歳を取る。自分も歳を取る。シミとか疲れとか、取れない。不安が増える。けれど楽しいこともたくさんになった。今を間違いなく生きている。
中高の友人と会った時に「可愛いものを可愛いと素直に思えるようになったよね」と話した。思春期を客観的に見ていた、もういい大人だね。それでも細く長く続く友人がいるのが、とてもありがたい。

2025 とりあえず久しぶりに一人旅に行こう。温泉でも行きたいな。あと、妹と海外旅行に。

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