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『冬盤』 ASIAN KUNG-FU GENERATION
立春を越えてもなお大寒波、というニュースは毎年恒例だ。記録的な暖冬とも言われた昨年と比べると真っ当な寒気を感じるここ最近だが、その分春の訪れは昨年よりも早いらしい。
一説ではこの寒冬すら温暖化の影響と言われているが、昨今は異常気象や気候危機についての報道が世に溢れ過ぎている一方で、少なくとも私が肌で感じられるのは日ごとの寒さの変化くらいであって、今この瞬間寒いと感じる気候が地球規模では正常なのか異常なのか見分けも付かない。
最近は家のエアコンから轟音が鳴り響くようになった。厳密に言うと最近どころかワンシーズン以上前からかなりの騒音被害に遭っていたのだが、普通に暮らしていると段々とその音が自然な生活音に思えてきて、異常さに気づかないことも多々ある。
何となく、昨年劇場で観た映画『関心領域』を思い出す。見えているのに見ていないし、聴こえているのに聴いていない。何と悍ましい光景だろうかと初めは思ったが、映画に没入するにつれて自分自身もその異常な環境音に適応してしまっていることに後から気づくのである。
些か大袈裟ではあるが自分の日常も結局そんなものであって、俯瞰で見れば違和感を覚えてもおかしくない光景も、目の前の生活に集中しているとその違和感も忘れてしまう。ゆるい暮らしをだらっと続けることに慣れ過ぎてしまって、いつの間にか正常性バイアスの塊みたいな人間になっている。
さて、某漫才師の書籍を真似たようなストレートな歌詞の引用から、アジカンの非公式季節性ベスト第3弾、『冬盤』を作ってみた話。
ソラニン
真冬のダンス
ウェザーリポート
雨音
粉雪
E
君という花
サーカス
夜のコール
転がる岩、君に朝が降る
ブルートレイン
スローダウン
さようならソルジャー
マーチングバンド
アネモネの咲く春に
1.ソラニン
冒頭から失礼な話だが、この曲、実はそこまで好きな曲ではなかったりする。というのは彼らの歴史における存在感も、製作クレジットも、世間からの支持も、至って特別なポジションを確立し過ぎていて評価が難しいというのが理由である。私が天邪鬼な性格なので、人気曲はわざわざ推すに及ばないかなと思っているだけの節もある。
ライブで聴くとイントロのギターの切なさと会場の沸き具合のコントラストが妙に不均衡で、いつも冷静になって眺めてしまう。
一方で、アジカンと冬を並べて語る上で外せない曲であることは満場一致だろう。冷えた空気感を瞬時に醸し出すこの曲は、散々置き場に迷った挙げ句オープニングへと落ち着いた。
2.真冬のダンス
「ソラニン」と同じく冬と言ったら外せない曲を冒頭から連打。ベテランの域に達した今となっても様々なビートに挑戦し続けているアジカンだが、当時はこの曲の革命感が物凄かった。ハネ系ビートという潔のアイデアは言わずもがな、脱力気味にリズムを下支えするゴッチのギターと、完全にうわものに徹する建さんのギター、メインのコード進行を担いつつ曲全体に不穏をもたらす山ちゃんのベース。4人のバランスの完成形と言ってもいい曲だと今でも思っている。
この曲において冬とは、文字通り眼前に広がる景色のことでもあれば、いつか外界と繋がることを願いながらも周りから隔絶された孤独に埋もれてしまう冷たい感情の比喩でもある。軽快なビートながらも歌われる想いは非常にシビアかつ切実で、冬という季節に感じる高揚と空虚が絶妙な塩梅で表現されている。
3.ウェザーリポート
ローテンション気味に続くこの曲もまた冷ややかな手触りを味わえる曲。人間模様を天気に準えたユーモアから、冷戦気味な二人の間に流れる長い沈黙を"互いの息が凍りつくくらい"と形容したり、乾き切ってしまった関係性を"カラカラになった"と言い表したり、所々冬に纏わる詞が現れる。
季節を抜きにしても曲の煮え切らなさが好きなので昨年のファン投票で何度か投票してみたら、見事に建さんボーカルの楽曲中一位に輝いたとのこと。ファン感謝祭で演奏してくれて感無量だった。ライブではドラムの代わりにリズムマシンを用いていたが、その淡白さが曲の乾燥度と上手くマッチしていた。
4.雨音
潤いを取り戻すように雨の曲へ。こちらもまた、雨と言えど梅雨の蒸し暑い空気ではなく冷え込んだ夜のムードを想起させる。ファンク気味な16ビートは「真冬のダンス」と同様にリズムのアイデアが新しく、そこに乗るシンセのリバーブはまさに夜の街に響く雨音のよう。
5.粉雪
雨が夜更け過ぎに雪へと変わるようにこの曲。
アジカン×冬という観点では直球でメンバー入りするはずが、個人的にそこまで思い入れは無いのと置きどころも悩ましい異質な曲なので最後まで入れるか迷った。しかし、某超有名J-POPソングと同じタイトルを名乗りながら圧倒的な知名度の低さを誇るこの曲を、アジカンファンが救わずして誰が救えるのか。
現代のサウンドとの親和性はあまり高くなく、「雨音」の直後で敢えてそのコントラストを目立たせる形となった。比較的音像が近い1stからの選曲を続けて配置することでギリギリ浮かずに済んでいる、気がする。
6.E
7.君という花
今まであまり意識したことはなかったが、よくよく振り返れば冬の曲だったこの二曲。
歌詞を見ると、「君という花」の"白い息"も「E」の"冬の空"も、目に写ったままの風景だろう。アジカンは初期の頃ほど特に季節性のある歌詞を多く取り入れていたように思う。深化と複雑化を遂げた今の歌詞では考えられないほど、直接的に四季の景色を取り入れている曲が多い。
サウンドも、プレイリスト序盤のモダンなアプローチを上塗りするほど真っ直ぐなロックで、やや物哀しい雰囲気が続いた流れを一変させる。この二曲については1stの曲順も直接輸入するという反則技を使っているが、「E」のアウトロから間髪入れずに始まるディスコビートのワクワクは手放せなかった。
原盤では「君という花」で朗らかに幕を下ろして、冬が終わり春が芽吹く曲へと続くところだが、このプレイリスト上はそう簡単に春へは進めない。前半をこの曲で締め括り、また新たな冬景色へと進む。
8.サーカス
15曲のプレイリストの丁度真ん中で、前半と後半でやや趣が変化するタイミングでの"ハーフタイムショウ"を担う。
個人的に、ファンの中でも自分ほど好きな人はあんまりいないんじゃないだろうかと思っている曲。リクエストファン投票の結果も頗る低かったし。同系統の楽曲がほぼ無いという掴みどころの無さと、若干政治的な皮肉も含まれている辺りが推しにくい要因かもしれない。
ただ忘れもしないのが、2019年の『ホームタウン』ツアーにてこの曲をアコースティック編成で披露した際、ゴッチが「今回のアルバムで"サーカス"が一番好きな人いる?」と自虐気味に客席へ訊ねた時のこと。私はアルバムの中では一番好きだったので迷いなく高らかと手を挙げたのだが、周りの観客は殆ど挙げていなかった。数名いたくらい。それを見たゴッチは「俺はお前らのこと好きだよ」と投げやり気味に言い捨てたのだった。そんなに人気無いのかと思いながら、曲の魅力を独占できたような気分になった。
楽器もボーカルも音数が圧倒的に少なくシンプルな構成ながら美しく響くハーモニーを聴くと、アートの極致みたいな作品だと常々思う。それと、やはりリードギターはうわものスタイルが一番好きというか、ギターソロ以外の箇所でも漂流するようにソロっぽく鳴っているギターと、最後に同じメロディを被せてくるコーラスがとても優雅。
歌詞の通り、寒空の下がよく似合う曲。
9.夜のコール
ここから後半戦。
押韻と促音で小気味良く刻むヴァースがまさにアジカン節で、"夜更けに雨が降って 朝方に雪になって"の歌詞はプレイリスト前半で歌われた冬の光景の移ろいをプレイバックしているかのよう。
テーマとしては冬の歌というよりは詩を詠むこと、想いを言葉にすることへの決意を表明した曲であり、アジカン史の中でも非常に重要な曲。ここで現れる"凍えきった君"という詞はベッドルームに閉じこもった君だろう。「真冬のダンス」では自分自身が外の世界と繋がることに必死だった彼が、この曲では"君"を外へと連れ出すことに奔走する様が描かれており、音楽や言葉を世に発信していく上での使命感を担うようになった変化を感じる。
10.転がる岩、君に朝が降る
もはや説明不要、アジカンの中でもトップ5くらいに有名になったのではないだろうか。数年前までは「アジカンを僅かしか知らない人向けに、次の一手で勧める曲」と個人的には認識していたのだが、今や入口となる"僅か"の一部に吸収されてしまった感がある。
名曲であることには何の疑いも無く、彼らが元来得意とする骨太なバンドアンサンブルと、ライブでは定番の導入となったゴッチの儚い弾き語りスタイルと、その調和が見事に取れている。
冷たいけれど温かいような、無力感や孤独に苛まれながらも、夜を温めるように歌うことを選んだ決意の曲であり、「夜のコール」のテーマとも繋がるところがある。前半では辿り着けなかった芽吹く春の兆しが、漸く見えてきた頃。
11.ブルートレイン
温まった空間をまた少し冷ますようにクールなナンバー。『秋盤』の記事でも書いた通り疾走感と焦燥感の相乗効果というか、冷淡なコードと忙しないビートの組合せがとてもツボで、『冬盤』はこの曲で一気に平均気温を下げられるだろうと絶対の信頼を置いていた曲。
ドラムで始まるライブアレンジも絶妙にかっこいいのだけれど、ギターの拍がズレた音源バージョンの導入も頻繁に聴きたくなる。複雑で高度なバンドアンサンブルから、"生きたい"という思念に終着するのは実に人間らしく、青い。
「転がる岩〜」が看板作品へ旅立ってしまった今、特にタイアップのないこの曲が次世代の「次の一手」ポジションに立つのかもしれない。
12.スローダウン
プレイリストに入れるか非常に迷った。雪の描写はあくまで東北地方を思って書かれているし、ダイレクトに震災や復興のことを歌っている曲であり、やすやすと他の曲と並べて語れないような気がしたためである。しかし、「ブルートレイン」のラストで"生きたい"と願った暁に待つ希望と捉えると、この上なく美しい景色だとも同時に思う。
時代に想いを馳せて感傷に浸る導入ながら、この曲で歌われるのはただ立ち止まって過去を振り返るための"スローダウン"ではない。曲の終盤で逞しく歩みを進めるようなビートが鳴り出すように、タフな未来を生き抜く歩き方を再考するための"スローダウン"である。
大好きな曲ながら、ライブで聴くことができたのは2022年の『プラネットフォークス』ツアーが初めてだった。それもツアー前半のみの選抜であった。『冬盤』に入れた所以の一つである"雪原のモーターモービルよ"という歌詞を、裏声ではなく地声で歌い上げるゴッチの姿に心打たれた記憶がある。
13.さようならソルジャー
「スローダウン」のアウトロから繋がり、プレイリスト終盤へ向けて更に歩調を速めるようなイントロを経て、朗らかに"オールライト"と歌い上げる希望の曲。
「Opera Glasses / オペラグラス」の兄弟みたいな曲だと勝手に思っているのだが、若干のいなたさを抱えたダサかっこいいギターリフの印象が被るからだろうか。
水鳥はどうやら冬の季語らしい。そうでなくてもアルバム『ホームタウン』は12月にリリースされたためか、聴き込んだ時期の記憶に冬の肌寒さが染み付いてる感覚がある。「クロックワーク」とか「UCLA」なんかも、枠があれば入れても良かった。そういえば「クロックワーク」は『秋盤』にも入れようとしていたな。どちらからもお声がかかりつつ選抜落ちするという不憫な曲と化してしまった。
14.マーチングバンド
「ブルートレイン」と並んで冬を代表するシングルとして認識していたのだが、歌詞を読み返すと冬を感じる要素は意外にも無い。ジャケットの真っ当な冬景色の印象も強いが、この曲もまたリリースの時期と当時の環境が深層心理にこびり付いているのだろう。
この曲は歳月を重ねるごとにその存在感とエネルギーが益々増幅しているように感じる。シングルがリリースされた頃は私はまだ高校生で、当時CDを買ってプレーヤーで曲を聴いていた一方、スペースシャワーTVで様々なミュージシャンのMVを観漁っていた時期でもあったので、この曲のMVも例に漏れず繰り返し観た。主人公に女子学生を抜擢しているのも新鮮だったが、最後のコーラスが終わって初めてメンバー4人の姿が映し出される瞬間が堪らなく好きで、その瞬間のために幾度も見返した記憶がある。
今思えば、このMVで表現していることが当時から現在に至るまでのアジカンの姿勢なのかもしれない。常に音楽シーンの最前線で活躍しながらも、その眼差しは若い世代に向けられていて、自分たちが道を切り拓きながら次の時代の活躍の場を広げようとしている。この曲は震災以降に初めてリリースされたシングルでもあり、震災以前と以降でアティテュードに変化があったことも明白だ。当時の私もまた、東北地方の閉塞感に打ちひしがれながら、この曲を聴いて勇気づけられた人間の一人である。
15.アネモネの咲く春に
最後は『冬盤』に最も欠かせなかったこの曲。"春に"と呟かれるタイトルと冒頭の歌詞からは、来る春への想いを馳せながらも現在地は冬の朝であることが読み取れる。皮肉も交えながら手紙の朗読のように淡々と歌われるヴァースと、対比するように熱気のこもったコーラス、放棄でも逃避でもない、何処にも置き場のない想いを何とか絞り出してどうにか愛で包み込んだような曲。
「マーチングバンド」と「ソラニン」とこの曲の3曲は、かなり慎重に配置した。というのも、各曲が抱えるテーマが重厚で鮮烈なものであるためだ。例えば、3曲とも収録アルバムの中でトリを務める曲なので同じくトリにしたいなと思ったり、一方で"さよなら"で終わるアルバムは悲しいなと思ったり、例えば"拝啓 冬の朝"という詞なら1曲目にもハマるなと思ったり。と言いつつ結局『ランドマーク』に似た形で、希望に向けて歩み出した高揚感がクライマックスを迎えた後で、悲しさとやり切れなさを抱えたエモーショナルな心情吐露で幕を閉じる。
「マーチングバンド」で終わればもっとポジティブな幕引きになった気もするが、"君は今日幸せだった?"と問いかけるラストも余韻があって美しい。
せっかくなのでプレイリストには入れなかったライブバージョンのリンクを。レコーディングバージョンとは熱のこもり方が丸っきり違う。
ここまで15曲、冷たい空気という一貫性は保ちながらも、所々で温かみや熱気や春の兆しを感じるメリハリのあるプレイリストになった気がする。
ところで、"冬"に纏わるキーワードは、今回プレイリストに入らなかった曲でも度々見かける。「ブラックアウト」の"冬の雪原"や「UCLA」の"凍える夜"、「12」「絵画教室」では四季を描写する中で冬も勿論現れる。これらで使われる"冬"に纏わる表現は、本来交わらないはずの物同士が並ぶ違和感であったり、巡る季節に準えた時間の経過を表したりするために使われている。つまり見たままの冬の景色を直接的に表現している。
一方で、「ナイトダイビング」には"冬の時代"という単語が表れる。これは後に続く"積もる悲哀"と見比べると冬と雪を上手く絡めた比喩であることがよく分かる。孤独感や失望感を冷たい季節によって表現した例であり、そのため純粋に冬を彩ろうとする『冬盤』の選考からは漏れてしまった。
上記を踏まえて本プレイリストを大きく2つに分けるとすると、前述した通り真ん中のM8「サーカス」以前と以降に分けられる。前半では限りなく写実的に冬の景色が描写されていて、純粋に冬という季節に対して覚える期待や得体の知れない高揚感も、どこかで感じられるような曲が並ぶ。一方で後半の曲群では、冬というテーマの一貫性はありながらも直接的な情景描写というよりは、過去の悲しい体験や記憶、生きていく上で覚える疎外感や孤独を、長い人生における冬として捉えているように思える。
"タフな時代"という表現をゴッチはよく使うが、まさに"冬の時代"と近い意味を持つと思っている。その言葉には、自分たちを取り巻く環境の厳しさへの憂いと同時に、いつか冬を越えた先の春を想って生き抜くことを讃える想いも感じられる。
そんな春への期待を胸に、この寒波が続く冬を乗りこなすプレイリストになっていたら良いなと思う。