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『夏盤』 ASIAN KUNG-FU GENERATION
みたいな作品があっても良いんじゃないかと思う。
アジカン×夏といえば『サーフ ブンガク カマクラ』というアルバムが脳裏に浮かぶ。もちろんこのアルバム自体はあくまで江ノ電がテーマだが、夏の情景を歌った曲は多い。それ以外にも、アジカンの曲には季節を歌った曲が意外と多く存在する。
それらを、彼らの"公式裏ベスト"『BEST HIT AKG Official Bootleg “HONE”』『BEST HIT AKG Official Bootleg “IMO”』(通称、『骨盤』『芋盤』)に準えて、まずは『夏盤』なるものを作ってみた。いわば"非公式季節性ベスト"である。
これまでアジカンの曲を季節カットで聴いたことは無かったし、ある視点ではナンセンスな発想かもしれないが、だからこそ新たな発見があるだろうという期待の下で作っている。
曲数も公式に倣って15曲とした。
1曲目はメジャー1stシングルのカップリング曲「エントランス」。奇しくも『芋盤』と完全に被ってしまったが、『夏盤』の幕開けとしても相応しい曲である。
アジカンといえば野球、それもコンプレックスや後悔のフィルターを通して描かれることも多いが、この曲は後悔から立ち直る姿や未来への希望を直球で歌っている。"光る「君」という名のボール"とか、少し恥ずかしくなる上に今じゃ聴けないような詞だけど、この時代にはまだアジカンを知らなかった私からすると、当時から追いかけていたかったと強く思う。
2曲目から早速『サーフ ブンガク カマクラ(完全版)』のカードを切って「西方コーストストーリー」。今のアジカンには欠かせない夏ソング。
リリースから1年以上経って何を今更という感じだが、この曲は本当に素晴らしいなとつくづく感じる。同じ曲を聴いた見ず知らずの人たちもそれぞれの夏に向けて歩み出す光景を想像できるような、空間的な奥行きを持った高揚感と多幸感に包まれる。
『サーフ~』や『ホームタウン』等の作品でパワーポップの泉を掘り続けてきた彼らが、まだこれだけ新鮮で瑞々しい曲を掘り当てられるのかと度肝を抜かれた。イントロの1音目から鳴るコードが何より心地良く、「エントランス」のぶつ切りに合わせて2曲目に持ってきたかった。
コーラス部分のビートは、後述する『サーフ~』の楽曲たちと並んで彼らの十八番でもある。そこに同じく彼らの武器として近年趣向を凝らしてきたコーラスワークが美しく重なり、アジカンのパワーポップ系譜における完成形の一つとも言える曲となった。まさにMVで描かれるような、潮風が吹く夏の砂浜の情景を感じられる。
続く「追浜フィーリンダウン」も大好きな曲。珍しいツインボーカル構成と、これまた比較的珍しい裏拍跳ね系のビート。そういえば新曲の「MAKUAKE」もこの曲に近いビートだった。
ラップ調のゴッチから伸びやかなボーカルの建さんに繋がる流れで、鬱屈とした部屋のドアが開いていく光景が浮かぶ。茹だるような外の空気にうんざりして浜辺を思い出しながら部屋に閉じこもる様子は、酷暑が続く現代社会の夏を表現しているような気もする。
この曲では結局最後まで外出てないんかいとツッコみたくなるけど。
そんな鬱屈とした想いと似たようなボヤきで始まる「鵠沼サーフ」で2枚目のサーフカードを切る。これまた海へ真っしぐらの夏ソングなので入れずにはいられなかった。柔和でポップなメロディと、それをぶった切るハードなブリッジの対比こそが、当時この曲を制作するに至ったテンションの減り張り具合を表しているような気がする。
5曲目は「シーサイドスリーピング」。2015年リリースのシングル「Easter / 復活祭」のカップリング曲である。同じくカップリングの「パラレルワールド」含め当時の彼らはラウドロックに傾倒していたため、この曲の存在が癒しだった。当時はまだ珍しかった建さんボーカルで、これだけ清涼感と開放感を出せるのかと驚いた記憶がある。もっとこういういぶし銀な曲を多く作ってほしいなと思っていたら、案の定その後は"健さんボーカル×シングルカップリング"が伝家の宝刀と化している。
小気味良いながらどこか重たいリズムのヴァースから、ブリッジを経由して潮風が流れ出すかのようなボーカルが素晴らしい。あれ、"潮風は吹き止んだまま"なのか。
序盤4曲のやや飛ばし気味な勢いから、「シーサイドスリーピング」と、続く「マイワールド」で徐々にテンションが緩やかになっていく。
「マイワールド」はとりあえず夏なので並べてみようくらいの感覚で配置したら、ここまでのパワーポップの流れとの親和性が物凄く高かった。"夏"と"パワーポップ"はかなり近い距離にある概念なのだろうか。Weezer然り、サーフィンや海水浴をテーマにするのなら、勿論Yesだろう。サーフパワーポップと呼ばれるジャンルも存在するくらいなので。しかしこの曲自体にはサーフ感は無いので、ただの偶然の"縁"なのかもしれない。
海や波の情景はそのままに、段々と日も落ちて夜になっていくイメージ。
7曲目はまたも建さんボーカルの「八景」。たった3分の中でコロコロと表情を変える、とても面白い曲だ。「マイワールド」で夜になった後は、「八景」の夜・朝・夜の移り変わりを経て、最後は夜の海をどこまでも渡っていく。
厳密には「シーサイドスリーピング」も「八景」も、必ずしも夏を歌った曲ではないと思う。ただ、これらの楽曲群は「追浜フィーリンダウン」と合わせて"横浜ぶらり旅三部作"と勝手に呼称することができて、どれも好きな曲なので『夏盤』として一つのプレイリストに纏める方が空気感を統一できるかなと考えた。
ここで満を持して3枚目のサーフカード「江ノ島エスカー」の登場である。この曲は2008年版から2023年の完全版に至るまでに存在感がかなり変わった気がする。シングルカットとまではいかないがMVの制作を行ったり、昨年度のツアーでもコア曲となる配置で演奏されたり、ファンの中でも根強い人気を誇っている。
当時先行シングルとしてリリースされた「藤沢ルーザー」での、突然力が抜けて朗らかになったようなインパクトも物凄い感触があったが、時代が違えばこの曲がシングルコレクションに収録される世界線もあったかもしれない。
コーラスから始まる曲というのは、アジカンにしてはかなり珍しいだろうか。何を持ってサビとするかは解釈次第だが、この曲の冒頭は間違いなくサビだろう。ボーカルのメロディの美しさもさることながら、コーラスの後で間髪入れずに入り込んでくるギターリフがとにかくクール。
ここまでで15曲の約半分を終えた形。
9曲目は「ロードムービー」。ここからはノスタルジアを煮詰めるゾーンになっていく。
この曲はコードも展開も物凄くシンプルで、ビートとギターの絡み方がややポリリズム気味な、当時の『ファンクラブ』時代のバンドアンサンブルを想起させる、色んな意味でノスタルジーが詰まった曲だ。
ここでもまた"三塁ベンチ"や"白いユニホーム"など野球に纏わるワードが頻発する。私自身は野球は全くやっていなかったのだが、例えば高校野球は知らず知らずのうちに見入ってしまうし、時には感動する。そういう意味で、物凄く失礼な話だが野球というものはあくまで他人事の、誰かが作り上げた芸術作品のような存在として見ているのかもしれない。それも夏限定の。
10曲目は「未だ見ぬ明日に」。この曲はリリース当時から本当に大好きな曲。同名タイトルのミニアルバムも素晴らしく、これだけ傑作揃いの作品群がフルアルバムから漏れ出たってどういうこと?と当時は不思議で仕方なかった。
この曲はここまでの『夏盤』の流れからはやや逸脱したシリアスな楽曲でもあるが、実はイントロのアルペジオ辺りはWeezerの「Surf Wax America」の遠い親戚なのではないかと思ったりもする。
「未だ見ぬ明日に」は特に和音の構成がユニークかつ印象的で、一曲を通してその存在感を発揮し続けている。ドラムとベースが入り込んでカオスになってきたところでふっと顔を出す「風薫る真夏の藍染め」の一節が、至高。
曲が進むにつれて歌詞も展開も壮大にスケールアップしていき、ここまで野球や海など生活圏内の視点で語られてきた物語が突然銀河へ飛び出していく温度差も、『夏盤』の一つの醍醐味。
アウトロまで続いたアルペジオがパッと形を変えるように「夏の日、残像」へ流れていく。この曲は今年のリクエストファン投票結果でも見事第一位となったように、相当ファン人気が高い。amazarashiがアジカンのトリビュートアルバムでカバーしていたが、それもとても素晴らしかった。
曲名に夏という単語が入っているが、夏真っ盛りを謳歌するというよりは、あの頃の夏に想いを馳せるという、これもまたノスタルジーを感じさせる曲である。穏やかな冒頭からバッキングに入り、初めのブリッジで表れる"敢えて見ない"の衝動的なリフレインは、この先二度と生まれないだろうと思うほど創造性に富んでいる。
12曲目は「バイシクルレース」。「夏の日、残像」の後に勢いのある曲で押し切って最後にこの曲でプレイリストを閉じる案もあったが、ノスタルジーゾーンを一度落ち着かせてから改めて終盤に入っていく選択肢を取った。
この曲もまたシリアスな側面が強く、シンプルなメロディラインと朗らかな歌声ながらも、歌詞はかなりシビアである。「夏の日、残像」の頃には繰り返し"消さないで 消えないで"と願っていたはずが、自分たちの暮らしや社会の生活様式が変わっていく中で、いずれは"失う怖さを紛らわす"ように変わってきてしまっている。それは昔覚えていたはずの感情なのか、それともあの頃は変わらずにあったはずの景色なのか、人と人との繋がりなのか。
私は夏になると実家に帰省している。歳を取って東京で暮らすようになって実家に帰る機会はますます減っていて、頻度としては夏と冬の年2回程度である。住む土地や日々の生活が変わって目まぐるしく回る毎日に忙殺されていると、昔自分が大切にしていたものも忘れていってしまうものだ。それは、失っていく感覚も分かっていながら、今近くにある別の大切な物を持ってきて誤魔化しているのだろう。
しかし、夏が来ると大体思い出すのだ。その感覚こそが、空洞を埋める何かなのかもしれない。
続く13曲目は「夏蝉」。2008年というアジカンのパーフェクトイヤーにひっそりと世に出たこの曲だが、「夏の日、残像」や「未だ見ぬ明日に」等と並んで今年のリクエストファン投票結果の順位はかなり高い。そう考えると、ファンが抱くアジカン像と"夏"という季節は意外にも密接に結びついているのかもしれない。(それか、単純にファン感謝祭の開催時期が夏だと分かっていた影響か。)
ブリッジで全パートがカオスに交わり、直後に呟くように歌い始める構成は「未だ見ぬ明日に」の冒頭とよく似ている。この緊張と緩和の応酬から、過ぎ去る夏への諦観と、まだ諦められないと強く願うような焦燥感の対比が感じられ、夏から秋への移ろいとその切なさを表しているよう。
アジカンは今も昔もやり過ぎない押韻が唯一無二の魅力だが、この曲は特に押韻のセンスが素晴らしく、"夏蝉"に重ねる"Nothing"のリフレインには遊び心を感じる。
より一層歌詞とリズムに遊び心を魅せる「稲村ヶ崎ジェーン」でラストへと繋ぐ。初めから終わりまでハイテンションをキープし続ける曲というのはわりと珍しいが、ギターフレーズでボーカルをなぞるパートで一抹の寂しさが垣間見える。
まるで夏休み終盤にギリギリで遊びに出かけて夏の思い出を取り戻すかのように、ここまでの曲の流れでうっかり忘れかけたプレイリスト前半の自由な空気感を再び思い出す。
同じくコミカルな詞が特徴的な「お祭りのあと」で、このプレイリストの裏テーマの一つであった健さんボーカルのフィーチャーを回収して『夏盤』を締めくくる。エモーショナルな楽曲が連なった末にこの曲で呆気なく幕を閉じることで、また1曲目に戻りたくなる仕掛け。
"芍薬"や"白百合"など初夏を思わせる言葉と、夏祭りで見かける風物詩とも言える情景の数々から、今度は来たる夏を待ち望むようにまた1年間のお別れを告げる。
ここまで15曲に纏めてみたが、泣く泣くプレイリストから漏れ出たものの枠があれば入れたかった『サーフ〜』の曲群もまだいくつかある。冒頭で触れた通りアジカンと夏との関係は、彼らの代名詞とも言えるパワーポップのエネルギーを爆発させた『サーフ~』の楽曲群に根付く部分が大きかった。
しかしそれと同時に夏は、いつか過ぎ去ってしまうものの換喩として喪失を意味したり、ある時代に起きた出来事と紐づけて記憶を呼び起こす景色の一つとして回想的に用いられたり、必ずしも楽しさや朗らかさを伴う季節とは限らないのだろう。本プレイリストの後半「江ノ島エスカー」~「お祭りのあと」に至るまでの曲群では、形や対象はどうあれ前者のような喪失に伴う切なさや寂しさを内包していた。また「夏の日、残像」や、今回あまりに曲の世界観が全体の温度感からかけ離れていたため惜しくも落選した「Gimme Hope」等では、後者の文脈で過去の夏を回想している。
日本には四季があるが、その中でも夏はとりわけ"過ぎ去ってしまうもの"、"過去に想いを馳せるもの"としてのイメージが強いのだろう。夏が終われば、熱気溢れる祭りが終わったり、青春をかけた舞台が終わったり、疎ましく感じていた暑さが和らいだり、確かにどこか寂しくなる要素を数多く感じる。こうしてプレイリストを作っているうちに今年の夏も過ぎ去ってしまいそうだ。
"非公式季節性ベスト"『夏盤』、完。次は『秋盤』かな。