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『Your Favorite Things』 柴田聡子

直訳すると「あなたのお気に入り」。
私もその意図に漏れず、2024年のSpotifyストリーミング履歴をAPIで取得してみると、現状最も再生時間が長いアルバムがこの作品であった。まさに私のお気に入りと化している。

芸術作品はその良し悪しが受け取り手の感性に依存する。またその感性も鑑賞した時の機嫌とか体調によって異なるため、定量的に評価することが難しい。

一方で統計データは、ただの推測や今の気分に依存しない、定量的な値を提供してくれる。私が2024年これまでSpotify上で最も長く再生していたのは紛れもなくこの作品だ。

で、「何が良いのか」という問いに対しては"どの観点で答えるべきか"が難しいが、「何故よく聴いているのか」という問いになると、途端に答えやすくなる。


シンガーソングライター柴田聡子の実に7枚目となるアルバム『Your Favorite Things』。彼女が常に変化し続けるアーティストであることを証明するような名作だ。

今作で大きく作風が変わった点は、ビートの観点が特に大きいと感じる。これまで以上にヒップホップ・R&B色が強く、都会的で近代的なサウンドが増えた。先行配信曲であるM2「Synergy」M5「白い椅子」M7「Side Step」の3曲がとりわけその特徴を存分に発揮している。思えば「Side Step」を初めて聴いたタイミングで、この曲をもってすればいよいよマスからの支持が一気に増えそうだなと感じ、アルバムへの期待が大きく高まった。

蓋を開けたらM7「Side Step」からシームレスにつながるM8「Reebok」もまた、突き抜けたポップソングとしてアルバムを牽引している。お気に入りのこの作品の中でお気に入りの楽曲を選ぶとしたら、この「Reebok」が最も好きな曲だ。

これらの取っつきやすい曲の存在が、ふらっと再生ボタンに手を伸ばす動機となり日常的によく聴いていたのだと思う。

更に特筆すべきは、M2「Synergy」からM5「白い椅子」までの間断無く続くストリーム。この流れがライブでも再現された様は圧巻だった。

かねてより柴田聡子の楽曲は歌における言葉の選び方と音節の区切り方が非常にユニークなので、歌詞を見ないと何を言っているのか分からない時がある。それに加えて本作は前述したサウンドの変化が色濃く出ているため、押韻を意識したビートへの言葉の乗せ方も特徴として見られる。これらがシナジーとなって、空耳で聞こえた単語がその前の節から続く全然違う単語だったり、同じく空耳で聞こえた気がした不思議なセリフが全く空耳ではなかったり。思わず歌詞を二度見しつつ曲を二度聴きしたくなる仕掛けがたくさん散りばめられているのだ。

「Synergy」を筆頭に、アコースティックなM6「Kizaki Lake」も何度か聴いた上で歌詞を見ると、多用されるオノマトペに翻弄されていた気分になる。この辺りの声の使い方は単に"歌唱"しているというより、一つの楽器として自分の声を曲に溶け込ませているような感覚を覚える。

本作の真骨頂は、アルバム10曲を聴く中で最後にM10の表題曲「Your Favorite Things」を聴くと、自然とM1「Movie Light」に戻ってきたくなる所だと思う。それは、「Your Favorite Things」が後奏をじっくりと聴かせた後でパタッと音が止むような余韻に溢れた構成であることや、途中で現れるストリングスの音色が「Movie Light」と共有されて作品としての前奏を思い起こされること、どこかで聴いたような何となく頭に残っている"語感"を確かめたくなることなど、様々な要素が影響していると考えられる。

実は、この"最後まで分かっていたとして初めに戻る"という思考はM9「素直」の世界観に物凄く近いと感じる。この曲は"後悔することが分かっているとして、それを無かったことにする判断をするか"というネガティブな意味を含んでいるが、考え方は似ている。

私が敬愛する映画監督のお気に入りのSF作品(唐突なネタバレを防ぐために作品名は敢えて伏せるが)でも同じテーマを扱っていて、"柴田聡子というアーティストは生活感の人だと思っていたけど、その実色んなことに思いを馳せていて時に宇宙的な発想も生まれる人なんだな"というのを実感した。

見たことのある映画を何度も観返す人もいれば、一度聴いたアルバムを何度も聴き直す人もいる。その後に起こることは大体想像がついているのに。

それは過去と全く同じ体験をしに行くというよりは、少なからず発見を求めているのだと思う。何度も聴いているアルバムだって、この記事を書こうと思って聴き直していたらまだまだ新しい発見があった。細部に込められた機微な感情や想いは、その時々の受け取り手の状態によって伝わる度合いが変わってくる。その変化を楽しむために、繰り返し再生するのだろう。また、記憶というのは曖昧なものなので、細部の手触りをもう一度確かめにいくために繰り返し鑑賞するのだと思う。


この作品を聴いていると、どれだけ洋楽のサウンドが好きになったとしても、どれだけ海外の言語を習得したとしても、日本語のポップソングは一生聴き続けるだろうなと思ってしまう。

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