『プラネットフォークス』 ASIAN KUNG-FU GENERATION
およそ1年ぶりの投稿。2022年に入ってから音楽について書きたいことは山ほどあったが、色んな事が落ち着いたタイミングで改めて投稿することとした。まずは月1くらいでも投稿していきたいと考えている。
とにかくアジカンの最新アルバムがあまりに良かったので、文章を書きたくなった。真面目に書こうと思っているうちに発売から1ヶ月が経ってしまったが、その代わりに作品を咀嚼する時間は確保できた。
思いのほか長編の作文となった、あくまで一般人の雑多な感想。
結成25周年のフェーズ
アジカンは本アルバムの発売時点で結成25周年を迎えていたバンドである。今年で結成26周年。
脈々と続くミュージシャン活動の中で、ずっと同じテイストの楽曲を出し続けるバンドはなかなかいない。冒険的なアプローチをしてみたり、突然フロントマンのやりたいことに閉じこもったり、自分たちの"王道"に立ち返ったり。そういう意味で、アジカンは様々なフェーズをくぐり抜けてきたバンドだと思う。バンドにはフェーズがある。日本語に直すと、位相。
抽象的な歌詞と衝動的なサウンドを纏ったデビューを経てアニメ主題歌で大人気を博したかと思えば、"遠く向こうでビルに刺さる何か"を歌うような社会への問題提起にも意識的に取り組んでいった。そうしたシリアスな世界観は、殻に閉じこもる内向きのエネルギーと、新しい世界へ踏み出していく外向きのエネルギーの2つの側面を見せて作品へと昇華した。そんな作品群の直後に雰囲気を一転させたパワーポップサウンドは彼らのルーツの一つである。またある時期を堺にフロントマン:ゴッチの詩人としての意識も強くなり、ヒップホップへのアプローチにも意欲的に取り組んでいった。2011年の震災後は「オールライト」と優しく呼びかける歌が目立つようになる一方で、社会への風刺をきかせた皮肉やユーモアに溢れた詞も増えた。ラウドロックをテーマとしてアジカンのクールネスとパッションを詰め込んだような作品の後には、再び原点のパワーポップへと立ち返った。
では、今はどんなフェーズなのか。私は「解放」にあると思う。今までアジカンが取り組んできた数々の挑戦を自ら再確認した上で、世間が認識している「アジカン像」に捉われず、むしろ全てがアジカンなんだと自己肯定していく解放的なスタイルを確立したと感じた。
「アジカン像」からの解放
本作『プラネットフォークス』は、前作『ホームタウン』からおよそ3年半の期間を経て発売された。この期間には多くのシングルや配信曲もあったわけだが、特に取り立てたいのが『Dororo / 解放区』という作品である。
個人的には「解放区」が、歴代の楽曲の中でも群を抜いて素晴らしく、『ホームタウン』のツアーで披露された際も、最後の大合唱パートで胸が熱くなった感触を今でも覚えている。
曲の構成も新しい。コーラス部分は一度しか通らないし後半へ向けた展開の高揚感が物凄い。途中で挟まれるポエトリーリーディングに当初は驚いたが、今やライブではゴッチのMCポイントでもあり、そこで語られる言葉はとてもグッとくるものがある。ライブで大合唱できるようになるにはまだ時間がかかりそうだが、いつかまた会場の声を一つにして叫びたい曲でもある。この曲が、間違いなく当時のアジカンのフェーズを表す曲だと感じていた。
一方で「Dororo」は当初、次のアルバムには入らない曲なんだろうなと考えていた。前半のヒリヒリとしたコード進行からコーラス部分で一縷の希望を歌うような展開は新しいが、言ってしまえばアニメ主題歌にありがちな構成でもある。誤解してほしくないのは、私自身はこの曲はかっこいいと思っている。ただ、次のアルバムが何か一つのテーマを持つのだとしたら、タイアップのために書かれたこの曲は収録曲の候補から外れるかもしれないと考えていたのだ。
常々アジカンは、ファン(特にライトなリスナー)が考える「アジカン像」と、自分たちが挑戦したい様々なスタイルとの間に、大きな溝を抱えてきた。今でこそワンマンライブでも欠かさず披露されるようになっているが、ゴッチは「リライト」が何故売れたのか分からないとよく話している。
2013年に発表された、10周年記念ライブに向けたファン投票結果では「ソラニン」が一位となった。この曲が『マジックディスク』のあくまでextra trackとして収録されているように、曲単体での人気や評価が高くてもアルバムの流れにおいて重要であるかどうかは別問題だ。「Dororo」の知名度はそこまで高くないとは思うが、同じ類のオーラを感じたためextra track扱いもあり得るだろうと考えていた。
ところが蓋を開けると『ホームタウン』以降に発表された楽曲が全てが収録されたアルバムとなった。収録曲を見たときはかなり驚いたのだが、同時にこのアルバム、このバンドが目指すところを理解した瞬間でもあった。
アジカンは、今まで自分たちを形作ってきた全ての要素を「アジカン」と捉え、何の制約や束縛も課さない、解放的なアルバムを作ることを決意したのだと感じた。
多様性へのフォーカス
本作の特徴の一つとして、ゲストを数多く招いていることが挙げられる。
M9「触れたい 確かめたい」では羊文学の塩塚モエカをゲストボーカルとして招いた。女性ボーカルを招くケースは近年から増えており、橋本絵莉子(ex.チャットモンチー)や畳野彩加(Homecomings)ともコラボしている。表立ったクレジットにはならずとも、YeYeや岩崎愛などともコーラスやツアーの帯同で一緒に歌う機会は多かった。
そんな中でも、この曲における塩塚モエカの存在感は目を見張るものがある。コーラスとしてエッセンスを加えるというより、元々男女ツインボーカルのバンドだったのかと思わせるほどボーカルパートも多く、ゴッチに負けない魅力的で芯の通った歌声を披露している。前述のコラボ曲「All right part2」や「UCLA」は、ゲストがいなくともライブで演奏できた機会はあったが、この曲は塩塚モエカ抜きで歌われるイメージが全く湧かない。それだけ、ゲストたちも同じフォークスの一員であることを痛感させられる曲でもある。
ラッパー2人(Rachel, OMSB)をゲストに迎えたM8「星の夜、ひかりの街」は、アジカンファン歓喜の名曲となった。ヒップホップへ意欲的に取り組んできたゴッチを見てきた1ファンとしては、このコラボ自体には何の驚きも感じなかった。「新世紀のラブソング」に端を発する近年の楽曲群でも、ラップを取り入れた楽曲は珍しくなく、Gotch名義のソロ活動ではむしろヒップホップスタイルを主流に据えている。
ただ、この楽曲の中身には想像を絶する魅力が詰まっている。アジカンを聴きながら音楽の道を志したミュージシャンたちが紡ぐアジカンへのリスペクトと、それに優しく呼応するようなゴッチの歌声。過去に"押されても ここ 退かねえぞ"と歌い、常に最前線に張ってロックを貫いてきたアジカンの新たな一面として、「包容力」が垣間見えたような気がした。
アジカンが影響を与えてきた世代のミュージシャンたちもまた、次から次へと素晴らしい作品を作り続けている。
アルバムの冒頭を飾る、三船雅也(ROTH BART BARON)をゲストに迎えたM1「You to You」にも触れずにはいられない。
2022年の3月、ちょうどアルバムのリードトラックとしてこの曲が配信された直後、パシフィコ横浜で三船雅也との共演を観たが、会場に広がるエネルギーが物凄かった。先ほどの「触れたい 確かめたい」とは異なり、この曲では三船雅也がソロで歌う部分はなくコーラスとして参加している形だ。それでも、ゴッチの歌声と重なった瞬間に鳥肌が立つような、彼が放つ圧が強烈だった。特筆すべきは、ブリッジのパートをギターの建ちゃんが歌っていること。ゲストボーカルに歌わせても曲として成り立ちそうなパートを、オリジナルメンバーが歌い、そして最後のコーラスでの大合唱。この1曲の展開に、「みんなで歌うこと」の喜びや多幸感が溢れていて、これからさらに広がっていくであろう多様性に溢れたアジカンの未来を容易に想像できる。
M4「エンパシー」で歌うこの歌詞は、まさにこの多様性を解き放つ歌詞であり、ゴッチにしか書けないセンテンスだと思っている。
生まれた場所に基づく風景を
虹彩や皮膚に紐づけた運命を
打ち消して
ただ認め合うような将来を夢見て
夢見て
シンパシーではなく、エンパシー。誰かの境遇や立場に対して二人称の視点から理解を示すだけではなく、その人の現在地まで降り立って一人称の視点で分かり合うことだと私は考える。分かり合うことへの希望と、同時にその果てしない困難さも歌っている曲である。
一聴して鍵盤が印象的な曲だなと思っていたが、後にTHE FIRST TAKEで世武裕子とのコラボを果たしていて、バンドバージョンに負けない良さがある。この試みにも、アジカンとしてこうあるべきという概念にとらわれずに自由な音楽活動を続けていく想いが滲み出ている。
ゴッチがギターを持たずにただ立って歌う姿は、同じくパシフィコ横浜でのライブで見ることができた。M7「フラワーズ」で下村亮介(the chef cooks me)や井上陽介(Turntable Films)、村田ストリングスを迎えたスタイルは、圧巻の一言に尽きた。
この曲でも "誰かと それぞれを分かち合おう" と歌われている。「繋がりたい」と強く歌ってきたアジカンが、近年は「分かり合う」ことを強く願っている。ただ繋がることよりもずっと高次な、人間である以上は誰しもに求められることの重要性を改めて我々に投げかけている。(下記リンクは、映画挿入歌バージョン。)
同時代性を纏う詞と、"再見"するサウンド
ゴッチは様々なインタビューで、作詞における「同時代性」について語ることがよくある。いつの時代にも満遍なく伝わるような歌詞ではなく、その時代、その一瞬に起きていることを詞として残すことの大切さを強調する。
その意識は必然的に、今我々が生きているタフでシビアな世界の現状を描くことと同義となる。
アジカンはもともと社会や政治について歌うことからも逃げずに向き合ってきたバンドであるが、特にゴッチは『マジックディスク』以降、シニカルかつユーモアを交えて世の中の有様を詞に起こしてきた。個人的に今までで一番度肝を抜かれたのは『ランドマーク』収録の「N2」だったが、本作ではそれらの作品をも凌駕する真骨頂が表れている。
M6「De Arriba」やM11「Gimme Hope」では"降伏"、"銃"、"亡骸"といったあまりにストレート過ぎる表現が連なり、極めつけはM12「C'mon」で、 "Human Being" にさようならを告げて生まれ変わりを願っている。
世の中には、「そんなこと音楽にのせて歌うなよ」と思う人たちも大勢いると思っている。だがアジカンは、全てが行き詰まった時代になっても、言葉にすることの難しさや無力さを理解しながらも、"言葉を使って詩を詠む"ことを選んできたバンドだ。石を投げられてもいいから歌おう、と決意しているのである。
M12「C'mon」までシビアな現実をこれでもかと突き付けられた後には、M13「再見」が待っているが、この"再見"への解釈は無限にあると思っている。
歌詞カードの英訳を見る限り、中国語の"see you"を意味しているとは思うが、私はこれまでアジカンが歩んできた道のりの価値を再確認することの意も込められていると感じた。『マジックディスク』収録の「橙」の位置づけに近い、新しいスタイルへの挑戦も続けながら、アジカンの骨や血肉となっているサウンドへの回帰も見せたような印象を受けた。(例えに『マジックディスク』が多いのは、本質的に作風が近いアルバムだからなのかもしれない。)
このような"サウンドの再見"は、例えばM6「De Arriba」のイントロやアウトロで魅せるギターソロに根付くようなハードロックにも同じことが言える。この曲はスペイン語の曲名も相まってか、アジカンのハード部門の名刺アルバム『Wonder Future』に近い異国情緒を感じるのである。また、M5「ダイアローグ」での力強いドラムとともに行進のように展開が進んでいく構成は、これまたハード部門の名刺曲「センスレス」を彷彿とさせる。
M10「雨音」は、これらの楽曲とは打って変わって、チャレンジに溢れた曲である。ヒットメイカー山ちゃんの作曲センスはもちろん、ビートに表れるシティポップのような雰囲気は、ドラマ―潔の若い感性を感じる。
自分たちのルーツとなるサウンドに立ち返りながらも、まだまだ新しい泉は掘り進められることをこの曲で示している。
アルバムを一聴したときに、2番目に強く印象に残った曲がこの曲だった。そして、もっとも心に響いた曲は、この記事の最後に述べようと思う。
「オールライト」と歌うこと
私は常々、「音楽は現実逃避の手段ではない」と思っている。
辛く苦しい現実が待っていても、それは忘れるのではなく向き合わなければいけない。音楽は、厳しい日常の何処かに常に置いておきながら、一緒に生きていく仲間だと思っている。
アジカンは、そんなことをいつも思い出させてくれる存在である。
M14「Be Alright」は、アジカンが歌ってきた希望を集約した、ひかりのような楽曲である。日常に溢れる憂鬱も蹴飛ばして、悪意たちの脅威で溢れかえる今日という日を生きるために、ただ「オールライト」と歌う。
みんなで一つの場所に集って、大声で歌える日はまだまだ遠いと思う。それでも、『プラネットフォークス』というこの作品が、アジカンというバンドがある限りは、希望をもって日々を生きていけそうだと強く感じた。
また散らばっても
そうさ
We gon be alright
※本記事で語ったような話を、知人とpodcastで話しています。記事を読んでくださった方がいたら、こちらもぜひ聞いていただければと思います。
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