労働判例を読む#447
【ビジネスパートナー従業員事件】(東京地判R4.3.9労判1272.66)
※ 司法試験考査委員(労働法)
※ YouTubeで3分解説!
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本事案は、会社Xが原告、従業員Yが被告なので、多くの裁判例と逆になっていますが、Yが転勤できない場合に、地域限定総合職としての給与しか得られなかったはずであるとして、総合職としての給与との差額の返還を求めた事案です。
裁判所は、Xの請求を認めました。
1.就業規則
一度払ったものを返還しろ、という請求は、どのような法的根拠に基づくのかというと、ここでは就業規則の規定です。それは、総合職者が転勤を拒んだ場合には、半年分遡って差額を返還することと、地域限定総合職などへの変更がされる、という規定です。
Yは、①給与の「全額払いの原則」に違反するので無効である(労基法24条1項)、②就業規則の規定として「合理性」が無く無効である(労契法7条本文)、と主張しました。
裁判所はこのいずれも否定しました。そのポイントは以下のとおりです。
①「全額払いの原則」に反しないという理由は、❶(明確に指摘していないが)転勤を否定する従業員の実態は地域限定総合職であり、実態に合致しない給与を受領していた場合にそれを精算する、という趣旨、すなわち形式と実態がズレている場合に実態に合わせようとする趣旨であること、❷金額も月額2万円にすぎないこと、❸Y自身が転勤できないことを申告しておけば、求償される事態を避けられたこと、の3点です。
ここで特に注目されるのは❶です。
明言していないものの、形式と実態がズレている場合に、実態に合致させることの合理性を認めている点です。労働法では、形式と実態が合致しない場合に、実態に合致するルールが適用されることが多くありますが、多くの場合、それは労働者の置かれた不利な状況を是正する場面で見受けられます。他方、この判決は、形式と実態がズレている状態(転勤可能なはずの総合職が転勤できない、という状態)について、実態(転勤できないという状態)にあったルール(地域限定総合職としての地位と処遇)が適用された点が、注目されます。実態に合致させる、という価値判断が、労働者にとって不利な場面でも適用される場合のあることがしめされた、と評価できるからです。
②「合理性」の理由は、❶~❸に加え、❹人事制度として、不正防止・ジェネラリスト育成の観点からジョブローテーションを重視する人事制度を採用していること(それ自身、不合理でない、という評価が前提になっているようです)、❺従業員自身の選択可能性を確保しつつ、ジョブローテンションも確保するために、地域限定総合職者との間に2万円/月の差額を設けていること(これも、不合理でない、という評価が前提になっているようです)、❻この❺のために、さらに従業員間の公平を図るために、上記規定が設けられていること(これも、不合理でない、という評価が前提になっているようです)、➐従業員側の事情であって、会社側が知り得ない事情のために、返還範囲を一律に半年に限定していること(これも、不合理でない、という評価が前提になっているようです)、❽賠償ではなく精算であること、等です。
ここで特に注目されるのは、❹~➐が、❶~❸とも合わせて、それぞれの要素をバラバラに見るのではなく、相互の関連性も考慮され、人事制度全体の設計として問題にされている点です。これをすれば大丈夫、などと言うような、必殺技があるわけでなく、また、いくつかの要素を単純に積み重ねればよいわけでもなく、人事制度として有機的に関連付けられ、設計されている点がポイントであるように思われます。
2.実務上のポイント
本判決では、さらに配置転換命令の有効性も議論されています(有効と評価されました)。
しかし、その前提となる制度設計の有効性が丁寧に検討されている点が、実務上、参考にすべきポイントと思われます。運用さえしっかりしていればよい、大げさなルールを構築するには、うちの会社はまだ規模が小さいし、従業員もその点は分かってくれるはずだ、等という発想から、人事制度の整備に積極的でない会社も多く見かけられます。
たしかに、転勤可能な総合職と転勤不可能な総合職を設定するような会社は、それなりに規模が大きい会社であり、同じような制度を導入する会社がそれほど多くあるわけではないでしょう。
しかし、もっと基本的な部分についての制度設計について、この判決のように、制度設計の合理性を慎重に検討する裁判例が多いことから、個別の運用だけで合理性を確保するのではなく、制度設計によっても合理性を補うことも、検討してください。
※ JILA・社労士の研究会(東京、大阪)で、毎月1回、労働判例を読み込んでいます。
※ この連載が、書籍になりました!しかも、『労働判例』の出版元から!