労働判例を読む#263

【地公災基金熊本県支部長(市立小学校教諭)事件】福高判R2.9.25労判1235.5
(2019.6.17初掲載)

YouTubeで3分解説!
https://www.youtube.com/playlist?list=PLsAuRitDGNWOhcCh7b7yyWMDxV1_H0iiK

 この事案は、自宅に仕事を持ち帰ったり、休日に部活のサポートをしたりするなど、熱心に仕事をしていた教員Xが脳幹部出血で倒れ障害程度1級の認定を受けたことから、担当基金Yに対して労災(地公災)申請したにもかかわらず公務外と認定されたために、その認定の取り消しを裁判所に求めた事案です。1審はXの請求を否定しましたが、2審はXの請求を肯定しました。

1.判断枠組み
 1審と2審の大きな違いの1つ目は、判断枠組みです。
 1審は、「脳血管疾患は加齢や一般生活等における種々の要因」で引き起こされるもので、発症から直ちに公務が原因とは推認できない、ということを理由にして、①Xと同程度の年齢、経験、健康状態の者を基準にし、②公務の負荷が、疾病の原因を「その自然経過を超えて著しく憎悪させ得ることが客観的に認められる負荷」であること、③公務の負荷(公務による危険性、公務の過重性)が、その他の要因に「比して相対的に有力な要因になっている」こと、を判断枠組みとして設定しました。
 これに対して2審は、①はそのままに、②から「著しく」という言葉を削除し、③を全て削除しました。
 しかし、2審のこのような判断枠組みの設定には、理論的に問題があります。それは、一方で地公災に関する行政の認定基準を尊重する、としておきながら、②の修正や③の削除は、認定基準の示す判断枠組みを修正することになるからです。
 すなわち、地公災の認定基準は、判断枠組みに関連して、次のとおり記載しています。
https://www.jinji.go.jp/kisoku/tsuuchi/16_saigaihoshou/1610000_H13kinho323.html

 「発症前に、(ア)業務に関連してその発生状態を時間的、場所的に明確にし得る異常な出来事・突発的な事態に遭遇したことにより、又は(イ)通常の日常の業務(被災職員が占めていた官職に割り当てられた職務のうち、正規の勤務時間内に行う日常の業務をいう。以下同じ。)に比較して特に質的に若しくは量的に過重な業務に従事したことにより、医学経験則上、対象疾患の発症の基礎となる病態(血管病変等)を加齢、一般生活等によるいわゆる自然的経過を超えて著しく増悪させ、対象疾患の発症原因とするに足る強度の精神的又は肉体的な負荷(以下「過重負荷」という。)を受けていたことが必要である。」

 この、「加齢、一般生活等によるいわゆる自然的経過を超えて著しく増悪させ」という部分が、②③を示しています。すなわち、②はこの後半部分そのままです。他方、③は少し分かりにくいですが、公務の負荷(公務による危険性、公務の過重性)以外の要因となるものは、本人の属性と私生活上の事情が考えられますが、それが「加齢」「一般生活」「等」で示されています。これは、地公災ではなく、一般の労災の認定基準でも用いられている表現です。
 このように、業務上のストレス、私生活上のストレス、個人の属性、という3つの要素に整理する考え方は、例えば精神障害の業務上外の認定基準の中でも示されており、業務起因性(因果関係)認定の際の一般的な判断枠組みです。ここでは、用語としては非常に簡単な用語(加齢・一般生活・等)に要約されていますが、それぞれが一般的な3つの要素に対応することは明白です。
 ところが、この判決は②の修正や③の削除を行っており、地公災の認定基準の示した判断枠組みを大幅に変更してしまいました。ここまで変更しておきながら、「認定基準を尊重する」と評価できるのか、今後議論されるべき重要なポイントです。なぜなら、行政機関による判断基準が裁判所の示す判断基準よりも厳格になってしまいますから、地公災の不支給認定の相当部分が不合理ということになり、行政判断の安定性が大きく毀損されてしまうからです。

2.事実認定とあてはめ
 事実認定に関しては、例えば普段の昼休みの長さ、週末の部活の引率での休憩時間の有無やその時間の長さ、等に関して、1審よりもより慎重に認定し、1審判決を一部修正しています。このこと自体は、内容的にも、また2審の役割を果たすという意味でも、合理的と評価できます。
 実務上のポイントとしてみると、労働時間に関する認定は、その実態に即して行われることから、労務管理するうえで勤務実態がどうなっているのかを把握し、管理する必要のあることが分かります。
 ここで特に注目されるのは、このように認定された事実の評価(あてはめ)の問題です。
 すなわち、Xは、日常的に仕事を自宅に持ち帰り、自宅で作業を行っていましたが、自宅で行う作業は職場での作業よりもストレスがより小さく、同視することに問題があるとした1審判決を否定し、自宅での作業時間を単純に職場での作業時間と通算しています。さらに、このように通算しても、認定基準の定める長時間労働に届かないのですが、複数の業務を並行して処理していた、睡眠時間が削られていた、などの理由から業務起因性を認めています。
 しかし、複数の業務を並行して処理することは、社会人として一般的に良く見かけられるところですし、睡眠時間が削られたということも、残業時間が長いことの裏返しにすぎず、特に新しい事情を示しているわけではありません。たしかに、労働時間規制は本来睡眠時間確保が重要な目的だった、睡眠時間確保という視点が重要である、という指摘もなされており、このこと自体は非常に適切ですが、このことは自宅での作業時間を残業時間に通算することで考慮されています。そこからさらに、残業時間が認定基準に満たなくてもそれと同視すべき新たな事情を示していないのです。
 このように見ると、2審は認定基準へのあてはめ(事実の評価)をかなり緩く行っていることが分かります。これは、認定基準が決定的な条件ではなく、事実認定の参考となるガイドラインのような位置づけにすぎないことから、構造的に起こり得る事態ですが、それだけではなさそうです。上記1のように認定基準よりも判断枠組みを緩和したことが、このような緩やかな認定を可能にしているように思われます。

3.実務上のポイント
 この判決のように、地公災(労災)の認定基準が明白に修正されてしまうと、地公災(労災)の運用やその前提となる認定基準をどうすべきなのか、議論する必要が生じます。
 けれども、裁判所がそこまでしてXの請求を認容したのは、例えば残業時間や業務上のストレス要因として明確に認定することができない事情が他にあったのかもしれません。もしそうであれば、労務管理をしっかりしなかった学校側の責任を、労務管理をしっかりしなかったことによって免れさせることになってしまいます。正直者が馬鹿を見るような結論になりかねないのです。
 この事案では学校が問題となりましたが、労務管理がしっかりしておらず、ときには厳しい勤務状態を隠そうとする職場もあるでしょう(本事案がそうだという意味ではありませんが)。そのような職場が当事者となる場合、裁判所はその持てる権限を最大限活用して適切な結論を導くであろうことが、この判決から垣間見ることができます。
 そして、もしこのように見ることができるのであれば、上記1・2いずれもこの事案の特殊性から導かれたものであり、一般的なルールや運用として評価することは難しい、と言えるでしょう。

※ JILA・社労士の研究会(東京、大阪)で、毎月1回、労働判例を読み込んでいます。

※ この連載が、書籍になりました!しかも、『労働判例』の出版元から!


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