労働判例を読む#511
※ 司法試験考査委員(労働法)
【エヌアイケイほか事件】(大阪高判R5.1.19労判1289.10)
この事案は、銀行口座が差し押さえられるなどのトラブルによって、別法人Y2に経営を移した会社Y1やその経営者ら(Y3~Y5)に対して、従業員Xが給与等が未払になっているとして、その支払いを求めた事案です。1審は、会社に対する請求は一部認容しましたが、Yらに対する請求は否定しました。Xだけが控訴したため、2審では、Y3~5に対する請求だけが問題とされましたが、2審は、Yらに対する請求も一部認容しました。
1.論点の概要
Y1に対する請求が基礎となり、その責任負担者をY2、Y3~5に拡張している、という構造になっています。
すなわち、まずY1に対する請求ですが、これは、❶減給にXが合意していた、❷実際に働いていた日数が少なかった、❸固定残業代として技術手当が支払われていた、❹技術手当の支払いは160時間/1ヶ月を超えた場合にだけ支払う約束だった(しかし、超えていない)、❺Xは指示に違反して働いた、❻Xが立て替えた費用は仕事に関係がなかった(だから、補償する必要がない)、というものです。
これに対して1審(2審は1審の判断がそのまま維持されている)は、いずれも比較的簡単に会社やYらの反論を否定し、Xの請求を肯定しています。証拠も根拠も薄く、軽くあしらっているような印象です。
すなわち、❶証拠がない、Yら自身が減給した認識がないと証言している等、❷日割で計算する契約となっていない、仕事が減ったのがXのせいだという証拠もない等、❸固定残業代とする明確な規定がない等、❹証拠がない、160時間未満でも支払われた実績がある等、❺休憩をとるような指示はされていない、基本給の対象となる労働時間を減らせば既に発生した残業代をはらわなくて良いという解釈は認められない等、❻業務に関する費用である等、の理由で、会社やYらの反論を否定しました。
次に、ここで認められたXの責任を、会社だけでなくY2が負うかどうか、が問題となりました。
すなわち、➐前の会社と後の会社は実質的に同一で、法人格否認の法理が適用される、❽後の会社が前の会社の責任を併存的に引き受けている、という点です。
これに対して1審(2審ではY2が当事者から外れているので、問題になっていない)は、➐法人格否認の法理の適用を認めています。会社法に関する論点であり、非常に興味のある点ですが、労働法の議論から外れるので、ここでは検討を省略します。実務上は、複数の会社に跨る労働問題が生じると、法人格否認の法理の問題も議論の対象となり、その適用が肯定される場合があるのだ、ということが参考になります。
他方❽は、証拠がない、という理由だけで簡単にXの請求を否定しました。
しかし❽が否定されても、➐が肯定されたので、Y2の責任が肯定されたのです。
最後に、Y3~5に対する請求では、❾会社法429条による役員の個人責任が問題になりました。この点は、1審と2審で判断が分かれたところですので、章を分けて検討しましょう。
2.会社法429条
❾も会社法の問題ですが、役員の個人責任が追及されることが最近の労働判例で多く見かけるようになってきており、労働法上の論点といえる状況ですので、合わせて検討します。
本来、会社と役員は、法律上「別人格」ですので、会社の責任を役員も追うことは、原則としてありません。役員が個人責任を負うのは、例外的な場合に限られます。もし役員個人が常に責任を負うことになれば、役員のなり手がなくなってしまうでしょうし、経営者が思い切った経営判断をすることを躊躇ってしまって、会社が事業機会を逃してしまい、事業が縮小していってしまうでしょう。
けれども、例外的に役員も個人責任を負う場合があり、その一つとして会社法429条があります。
この点、1審は、①Xは❶~❻によって請求が認められているから損害がない、②Y3~5には、Xを害する意図でY2に業務移管したのではない(Xの債権行使を妨害する意図がない≒故意・重過失がない?)、という理由で、会社法429条の適用を否定しました。
これに対して2審は、①‘実際に支払われていないから損害がある、②’Y1在籍中については、小さな会社(従業員10人弱)であるなど、給与等の未払いを知っていた、あるいは容易に知り得た(≒故意・重過失がある?)が、Y2在籍中については、減額した状況を継続しただけであって、Y3~Y5に悪意・重過失による任務懈怠はない、と判断し、Xの請求のうち、XがY1に在籍していた時期の分についてだけ、認容しました。
法人格否認の法理が認められているのに、Y1在籍時の責任とY2在籍時の責任で判断が異なる理由は、あまりスッキリと納得できないのですが、経営者の責任を個別具体的に検討していく、という基本姿勢は合理的であり、今後の参考になります。
3.実務上のポイント
なお、XがY2に在籍していた分の責任について、Xは2審で主張を追加していますが、2審は主張の追加を否定しました(時期に遅れた攻撃防御方法だから)。1審の法律構成と異なる(したがって、改めて審理しなければならず、遅延する)というのが主な理由です。
全体について経営の観点から見た場合、給与等に関し、よほど切羽詰まっていたのか、かなり強引に減額や支払拒否を行っている様子が浮かんできますが、従業員への給与の支払いなどは、労働法が様々なルールを設けて確保し、強制しようとするほど重要なものであるだけでなく、経営の苦しい時に従業員のやる気を削ぐことは、人員の減少やモチベーション・生産性の低下など、結局会社自身の首を絞めることでもあります。
そして、新しい会社を作っても、従業員に対する責任を全て免れることはできず、経営者個人の責任まで認められかねない、という厳しい判断が示されました。
特に、経営状況が厳しい時に会社が従業員をどのように処遇すべきなのか、非常に参考になる事案です。
※ JILA・社労士の研究会(東京、大阪)で、毎月1回、労働判例を読み込んでいます。
※ この連載が、書籍になりました!しかも、『労働判例』の出版元から!