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労働判例を読む#516

※ 司法試験考査委員(労働法)

【新潟市(市水道局)事件】(新潟地判R4.11.24労判1290.18)

 この事案は、市役所Yの職員K(水道局主査、勤続18年)が、パワハラなどを苦に(遺言書)、ゴールデンウィーク明けに飛び降り自殺した事案です。業務起因性があるとして公務災害認定された後、遺族Xらが、Yに対して民事上の損害賠償を求めたところ、裁判所は、Xらの請求の一部を認めました。

1.Yの義務違反
 裁判所は、一面でパワハラとしてXらが主張するKの上司の言動について、証明不十分としました。これは、同じ上司の部下(Kの同僚)が、Kの公務災害認定手続きの際に提出した陳述書では、上司による不当な言動(例えば、不当に叱責したり、長時間説教したりするなど)が証言されていたのに対し、その後この証言を翻し、裁判にも証人として出頭しなかったことから、その信用性が否定されたことによります。
 このことから、公務災害の認定の際には、ハラスメントが業務起因性の主要な原因だったのですが、本事案ではハラスメントが認定されませんでした。公務災害認定の際は、労災の場合も同様ですが、会社側に不利な証言などがあっても、会社側が反対尋問を行うなど、反証や反論をする機会が与えられる保証がありませんので、そのような手続上の違いが、事実認定と結論に、大きな違いをもたらしたのです。
 ハラスメントと認定できないにも関わらず、結局、Yの民事責任が認められたのは、ハラスメント以外の理由になります。すなわち、上司以外の者によるKのサポートや、上司自身の言動の改善を行う義務があったのに、Yはこれを怠った、というKの健康への配慮義務の違反という法律構成になったのです。
 このことは、ハラスメントとメンタルの問題を分けてて考える近時の裁判例の傾向にも合致します。
 かつては、ハラスメントの責任が無ければ、メンタルについても責任が無い、というような考え方もありましたが、近時は多くの裁判例で、この両者を分けて検討しています。例えば、ハラスメントが否定される場合であっても、従業員が心理的に追い詰められたような状況にあれば、それをサポートしなければならない、しかしそのようなサポートが不十分だったので、会社には責任がある、というような内容の裁判例を、いくつか見かけるようになってきたのです。
 従業員への加害行為とも言うべきハラスメントと、従業員をケアするメンタルの問題と、異なる視点から検討を行う必要のあることが、理解できます。

2.過失相殺
 さらに、ハラスメントとメンタルの問題の違いは、(理論的に必然の関係にはないでしょうが)過失相殺についても影響を与えているように思われます。
 どういうことかというと、ハラスメントの場合には、被害者に対する侵害行為が直接的ですので、被害者がこれを回避したり、損害を小さくしたりする対策を講じることを、簡単に要求することができません。その分、過失相殺が認められる可能性やその程度が、いずれも小さくなります(一般論)。
 他方、サポートする義務の違反であれば、従業員自身がメンタルの発症や悪化について、当事者ですから一番よくわかるはずであり(実際は、それが難しい場合もありますが)、それを回避したり、損害を小さくしたりする対策を、より広く要求することができるでしょう。その分、過失相殺が認められる可能性やその程度が、いずれも大きくなります(一般論)。
 さらに、同じメンタルの問題であっても、過失相殺を認めない判例もある中で、50%もの過失相殺を認めた点も注目されます。
 本判決では、Kが18年も市役所に勤務しており、同僚、上司、さらに上司の上司に対して相談するなどの対策を講じることができた、等という理由で、50%の過失相殺を認めています。同じ自殺でも、有名な「電通事件」最判H12.3.24労判779.13は、労働者の個性を理由とする過失相殺を否定しました。人に相談できずに抱え込んでしまい、それが負担となって自殺した、という点では同じなのですが、本事案のように勤続18年にも及ぶ中堅の場合には、自分自身でストレスに対処できる期待が大きくなるということでしょうか。
 例えば交通事故に関する過失相殺について、事故態様に応じた類型化が進んでいますが、民事労災(行政労災の場合には、過失相殺は問題になりません)でどのような場合に過失相殺が認められるのか、その程度はどの程度なのか、という問題については、今後、議論が深化し、整理されていくべき問題です。

3.実務上のポイント
 サポートすべき義務とその義務違反を認めた理由は、Kにとって初めての業務が与えられたのに、指導やサポートが十分でなく、Kが自分で問題を抱え込む傾向が強いうえに、上司は日頃から厳しい言動を取っているのに、Kへのサポートが十分でない点にあります(概要)。
 メンタルの問題として会社の責任が認められた事案の多くでは、従業員にそのような兆候が表れていたのにサポートしなかった、という点が重視されています。けれども本事案では、兆候すら表れていない場合であっても責任が認められるような判断をしています。すなわち、業務の内容や置かれた環境、仕事の内容等が、責任を認める根拠であり、極端に言えばKをこの部署に配属し、当該上司の下に置いた段階で、義務違反を認めることすらできてしまいそうです。
 従業員のメンタル問題の兆候を見逃さないにしよう、という現場での管理職者だけの問題ではなく、従業員の適正や個性、業務内容や各部署の雰囲気、上司との相性、等を考慮して適切な配置を行わなければならない、という管理本部(人事部)の問題でもある、したがって、労務管理を現場任せにせず、経営・本部側も適切に配慮する必要がある、という教訓も示されたのです。

※ JILA・社労士の研究会(東京、大阪)で、毎月1回、労働判例を読み込んでいます。

※ この連載が、書籍になりました!しかも、『労働判例』の出版元から!


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