労働判例を読む#545
※ 元司法試験考査委員(労働法)
今日の労働判例
【中倉陸運事件】(京都地判R5.3.9労判1297.124)
この事案は、障害者等級3級の従業員Xが、障害者手帳を入社後に会社Yに示したところ、退職勧奨され、退職した(Xは、解雇された、とも主張している)事案です。
裁判所は、合意退職が有効であるとしつつ、Yに、Xへの慰謝料80万円の支払いを命じました。
1.退職合意
裁判所は、退職合意に至る経緯(❶雇用継続が困難と告げられ、退職手続きのために出社するように求められる。❷これに応じて出社した。❸貸与品を返還した。❹数日分の賃金を受領した。❺退職事由に「一身上」と記載するなどした退職届を作成し、提出した。)から、退職合意が成立した、と認定しました。
そのうえで、これまでいくつかの会社で合意退職しており、退職届の意味を十分理解していた、として心裡留保や錯誤の成立を否定しました。
退職勧奨が、退職合意にどのような影響を与えたのかについては、退職合意の成立・有効性に関する箇所では言及されていませんが、慰謝料に関する部分で、特に明確にその理由を述べることなく、「原告の自由な意思決定を阻害したものとまで評価できない」と評しています。
ここで注目したい点は、「自由な意思」が適用されたのかどうか、という問題です。
この「自由な意思」は、従業員が自分にとって不利益な合意・同意・承諾をする場合に、従業員が本心で合意していたかどうかを、比較的高いハードルで判断するものです。例えば、自分にとって具体的にどのような不利益が生ずるのか理解したうえで、それでも敢えてその不利益を甘受することが明らかでなければならない、というように、単に外形上、意思表示がされているだけでは足りないのです。
そうすると、言葉としては「自由な意思決定」という、「自由な意思」と似た表現が用いられていますが、その中身は外形上の判断に止まり、詳細にその理解の程度などが検討されていませんので、この裁判例では、合意退職に「自由な意思」を適用していないと評価すべきでしょう。
2.実務上のポイント
他方、慰謝料は認めています。それは、障害者に対する配慮が欠け、Xの人格的利益を損なう、ということが最大の理由です。
たしかに、人格的利益の毀損と、意思決定への悪影響は、場面が違うと言えなくもないですが、障害者だから雇用継続できない、という趣旨の退職勧奨を受けたことが、退職合意のきっかけです。このような退職勧奨が、一面で、これ以上働けない、という退職合意の意思表示のきっかけとなり、他面で、障害者だから不利益を受けた、という精神的な苦痛に繋がるのですから、この事案で見た場合には、人格的利益の毀損と、意思決定への悪影響は、いずれも、退職勧奨によって引き起こされる問題である、と考えられます。
そうすると、裁判所が退職合意を有効としつつ、慰謝料を認めたのは、慰謝料を認める程度には悪質だが、退職合意を無効とするには悪質ではない、という整理をすることも可能です。
このように見ると、退職勧奨の有効性に関し、2つの面から参考になる裁判例である、と整理することができます。
すなわち、退職合意を有効とする程度と、慰謝料を認める程度の、両者の間に位置する退職勧奨行為であるとして、どのような事情が考慮されたのかを参考にするべき事案と見ることができるのです。
※ JILA・社労士の研究会(東京、大阪)で、毎月1回、労働判例を読み込んでいます。
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