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労働判例を読む#408

今日の労働判例
【グローバルマーケティングほか事件】(東京地判R3.10.14労判1264.42)

※ 週刊東洋経済「依頼したい弁護士25人」(労働法)
※ 司法試験考査委員(労働法)
※ YouTubeで3分解説!
https://www.youtube.com/playlist?list=PLsAuRitDGNWOhcCh7b7yyWMDxV1_H0iiK

 この事案は、美容師Xが、①減給の合意が「自由な意思」に基づかないものとして不成立である、②退職の合意が「自由な意思」に基づかないものとして不成立である、などと主張し、未払給与の支払いや従業員の地位にあることの確認などを求めた事案です。なお、判決では不成立と無効を明確に区別していませんが、ここでは両者を区別して説明します。
 裁判所は、Xの請求を概ね認めました。

1.減給合意の不成立
 減給合意の不成立については、①収入の計算項目を詳細に検討するなどしたうえで、平均して約30万/月の収入が約26万/月となるなどの事情から、「不利益の程度が相当大きい賃金減額である」、②従業員を集めた場で口頭で変更内容をそれなりに説明したものの、資料などは配布されておらず、個別に実際にどのような金額になるのかなどの確認もないこと、③実際に、事後的に減額のルールの一部についてXが異議を述べている(個別の指導と個別の理解が不十分、という趣旨か?)こと、から、自由な意思がなかった、したがって減給合意は不成立である、と判断しました。
 「自由な意思」に関する有名な山梨県民信組事件では、退職金の計算方法の変更により退職金が減額されてしまった事案でしたが、最高裁は、仕組みを理解するだけでなく、各従業員に実際にどのようなインパクトがあるのかを理解していない点を特に重視し、退職金減額の合意を不成立としています。そこでの判断と、ここでの指摘(特に②③)は、同じ問題意識に基づくように思われます。

2.退職合意の不成立
 退職合意の不成立については、より詳細に検討がされています。
 順番を変えて検討しますが、それなりにXの「自由な意思」を基礎づけるような事情もありました。
 すなわち、①Yには弁護士が立ち会っていたにもかかわらず、Xは委縮したりするのではなく、自らの要求の一部をYに認めさせ、合意書に弁護士自筆の追加条項を加えさせるなどしていたこと、②実際にXの勤務態度は悪かったこと、③Yとの2時間に及ぶ退職の話し合いの際、上司の手を振り払う等、身体の接触を伴う抵抗をしたこと、などから、懲戒解雇や解雇とされるよりも有利な条件で合意退職すべき事情もあったのです。
 けれども、①~③に対応して、裁判所は、❶❸Yは、弁護士と共に、Xの③の抵抗の様子がビデオに残されていて、それが法的に解雇や懲戒解雇を裏付けるに相当であるかのような説明を繰り返していたが、実際には抵抗の場面が記録されておらず、しかもその態様はYが主張するほど悪質なものではなく、上司の怪我も大したことがなかったことから、Xは、懲戒解雇や解雇に該当するという誤解を前提に合意したこと、❷勤務態度が悪いと言っても、それが改善されずに継続していたとは言えないこと、が認定されています。
 自分は、懲戒解雇や解雇されてしまう、という誤解が前提にあれば、たとえ退職条件に付いて交渉をしていたとしても、前提が大幅に制約された状況下での合意ですから、自由な意思はなかった、したがって合意は成立していない(不成立)、という裁判所の評価は、この前提の下では合理的でしょう。

3.実務上のポイント
 同様の事案について、これまでであれば、減給合意・退職合意が、錯誤によって無効になる、など、民法の意思表示に関するルールが適用されてきたところです。それは、まず合意が成立し、次にその合意が無効・取消になる、という2段構えの法律構成になります。
 けれどもここでは、「自由な意思」が無いから不成立、という1段構えの法律構成となっています。構造がシンプルな分、有効とすべき事情と無効とすべき事情を、よりストレートに比較し、利益衡量(バランシング)していることがわかります。このような判断方法には、どのようなメリットやデメリットがあるのか、今後、議論が深まっていくことと思われますが、従業員側の事情と会社側の事情が直接対比されるので、裁判所の評価がよりはっきりと見えるようになったと評価できるでしょう。

※ JILA・社労士の研究会(東京、大阪)で、毎月1回、労働判例を読み込んでいます。

※ この連載が、書籍になりました!しかも、『労働判例』の出版元から!


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