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労働判例を読む#488

※ 司法試験考査委員(労働法)

今日の労働判例
【大陸交通事件】(東京地判R3.4.8労判1282.62)

 この事案は、タクシー運転手Xらが、給与から、①乗客がクレジットカードを利用したときのクレカ利用料金、②GPS搭載車や高級車の利用料金、③自分が起こした交通事故の賠償金の一部、を会社Yが給与から控除したことを無効、などとして争った事案です。
 裁判所は、①③と②の一部(GPS搭載車利用料金)についてXらの請求を否定し、②の一部(高級車の利用料金)について肯定しました。

1.①クレカ利用料金の控除
 乗客がクレジットカードを利用した場合、Yがクレジットカード会社に、料金の8%(当初。その後、徐々に減額)を支払うこととなっていますが、そのクレカ利用料金を控除した金額から、歩合給が計算され、Xらに支払われていました。
 会社の業務に関する経費なので、会社が負担すべきではないか、とも見えます。
 けれどもここでXらの給与から控除できるとした最大の理由は、基本給からその金額を丸ごと控除したのではなく、歩合給を計算する過程で控除した点にあるでしょう。
 すなわち、歩合給は一種の成果主義であって、会社が得た収益に応じて計算されるものであり、クレカ利用料は、会社が得た収益の金額を計算する過程で控除されます。実際に売り上げた金額から税金や経費を控除した収益を、YとXらで分配する、という計算方法が、歩合給の考え方に一致している点が重視されている(したがって、「賃金全額払いの原則」(労基法24条1項本文)にも違反しない)のです。
 もちろん、他にも問題点はあります。
 すなわち、クレカ利用料が控除される旨が明確でなかったため、後の就業規則を改定してその旨を明記したのですが、裁判所は、外見上「就業規則の不利益変更」だが、実態は従前の考え方を明確にしたにすぎず、労契法10条(就業規則変更前に入社した従業員との関係)又は労契法7条(変更後の従業員との関係)によって適法、とされました。
 特に就業規則の変更(労契法10条)に関して言えば、②とも関わりますが、実質的に過去の取扱を明確にしただけであり、実質的には不利益変更ではない、という点は、同条の適用を否定する、というものではありません。この点は、同条適用の際に考慮される事情の一つにすぎず、これだけで同条適用が否定されたわけではないのです。

2.②特殊車両の利用料金
 特殊車両の利用料金は、いずれも一日利用するたびに、300円が給与から控除されます。
 さらにこれは、①のように歩合給の計算過程で控除されるのではなく、給与から控除されますので、賃金全額払いの原則の例外、という位置づけになりますから、その合理性の判断のハードルは、①よりも(Yにとって)高くなります。
 この観点から見ると、②のうちでも高級車の利用料金の控除が違法とされたのは、納得できるでしょう。というのも、高級車の利用料金の控除に関し、一部の従業員は契約書を交わしていたのですが、Xらはこれを交わしていなかったからです。さらに、高級車の利用料金が控除されていたことをXらは長い間知っていましたから、不明確な合意を明確にした、という理屈(①の理屈と同じような理屈)や、「黙示の同意」(追認)があったという理屈によって、高級車の利用料金の控除が認められても良さそうに見えますが、裁判所は、高級車の利用料金の控除の際、「書面で明示の合意を取り付ける慣行」があった、等の理由でこのような理屈を否定しました。
 ①よりも、②の方が、賃金全額払いの原則の例外問題になるため、ハードルが高くなっているのです。
 けれども、同じ②でも、GPS搭載車については控除を合理的としました。
 これは、Xら自身が、GPS搭載車の利用料の控除の契約書にサインしていたことが大きなポイントでしょう。さらに、GPS非登載車を選ぶことができた、等の事情も、これを肯定する事情として指摘されていますが、ここで特に注目されるのは、単にサインしたかどうかだけでなく、GPS搭載車の利用料の控除について、十分説明されていて、運転手経験者でなくても十分その意味を理解できたはずである、という認定もされている点です。サインしたかどうか、という形式上の違いだけではない、ということを留意しましょう。

3.③賠償金の一部
 賠償金の一部を控除する部分は、②で示した整理によれば、Xらの同意書面がないのでハードルが高くなりそうですが、結果的に控除を有効としました。
 このことから、給与からの控除の有効性は、従業員がサインしたかどうかだけで決まらないことがわかりますが、それでは何が②(特に高級車の利用料金の控除)との違いを生んだのか、という点を検討します。
 裁判所は、❶(直接のサインはないものの)就業規則(給与規定)や協定書(賃金控除協定書、損害賠償協定書)が有効に成立していること、❷プロセスとしても社内の安全衛生委員会と事故防止委員会の議を得ていること、❸控除すべき金額も、損害額(5万円程度)と控除額(その10%)である(≒客観的に明確で合理的である)こと、などを指摘しました。
 さらに、裁判所は指摘していませんが、交通事故など起こして会社外の第三者に損害を負わせ、会社が損害を賠償したとき、会社は事故を起こした従業員に賠償金の求償ができます(民法715条3項)から、この点も合理性を認める背景にあるでしょう。事故を起こした従業員に、全額の責任を負わせることについては、これを否定的に評価し、金額を制限する裁判例が多く見かけられますが、そのような観点から見ても、10%の求償に止めている点は、やはり合理性を認める背景になるように思われます。
 このように、②GPS搭載車の利用料の控除の場合には、Xらがどの程度納得していたのか、という点がポイントであるのに対し、③賠償金の一部の場合は、控除する金額の合理性がポイントである、と整理することができるように思われるのです。

4.実務上のポイント
 労働判例誌の同じ号に掲載されている「住友生命保険(費用負担)事件」(京都地判R5.1.26労判1282.19)でも、給与からの費用などの控除の有効性が問題となりました。住生事件でも、控除の一部が適法であり、一部が違法、とされました。
 この住生事件と共通すべきポイントとして、合意が必要とされる形式的な条件として、会社と従業員の間の合意や就業規則が存在するだけでなく、労使協定も必要とされる点です。ここでの事案ではあまり問題になりませんでしたが、労使協定が有効に成立していることも認定されています。
 さらに本事案と比較して重要なポイントが、有効性を認めるハードルの高さです。
 というのも、住生事件では「二段の推定」「事後承諾」「黙示の承諾」によって、合意が認められており、ハードルが低いと評価できますが、本事案では、特に②で指摘したとおり、明確な書面での合意が必要、とされており、ハードルが高いと評価できるでしょう。
 ハードルの高さの違いが、ルールとして見た場合、両判決の間で矛盾していることになるのか、それとも両者の適用されるべき範囲や対象に違いがある(したがって矛盾していない)のか、両判決だけでは判断が難しい状況です。というのも、両判決とも、歩合給などから控除するものではない点で共通しますが、保険の営業職員の場合には給与全体に歩合給的な要素が含れているように思われ、歩合給部分が明確に切り離された本事案と給与制度が異なるからです。さらに、歩合給の要素の影響の大きさや給与体系の違いだけでなく、他の要素も判断に影響を与えているかもしれません。
 労働判例誌の同じ号の冒頭にも、諸費用の負担に関する裁判例の分析と検討がされていますが、今後、より議論が深まっていくポイントです。

※ JILA・社労士の研究会(東京、大阪)で、毎月1回、労働判例を読み込んでいます。

※ この連載が、書籍になりました!しかも、『労働判例』の出版元から!


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