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社会のなかの芸術、芸術のなかの社会②ーレーガンがみせた「光り輝く丘の上の町」いう幻想ー(トランプ氏の大統領就任まであと1日)
窓ガラスが粉々に砕け散っているが、
「それまで見ていた風景は何だったのだろう」
と、この部屋の住人は思うのではないだろうか。
なぜなら、破片を見ると、透明なガラスから窓外の風景を見ていたつもりが、実は窓外の風景と同じように描かれた風景だったとわかるからである。
ルネ・マグリットが1936年に描いた『野の鍵』という作品は、今、私たちが見ている風景さえもあるいは虚構なのかもしれない、という不安をかきたてる。
ちなみに、「野の鍵(la clef des champs)」は、「自由」を意味するフランス語の慣用句であり、アンドレ・ブルトンの1924年の『溶ける魚』に登場し、1948年の評論の題名に『狂人の芸術、野の鍵』と使われており、シュルレアリスム的な語彙のひとつのようである。
眼の前に見せられた風景や描かれた理想が現実や現実になるものとは限らないことを、さまざまな経験や過去から学ぶことによって、私たちは知っているだろう。
今、アメリカ国民の支持を得て、トランプは大統領に再び就任しようとしているのだが、そのドナルド・トランプの中のヒーローであろうし、彼がアメリカの大統領というものを演出する際に、意識しているロナルド・レーガンについて、考えてみたいと思う。
約45年前、アメリカはレーガンの虜になっていた。
レーガンは、質素な生活をする家庭に生まれ、家族がトラブルを抱えることもある中、レーガンはあらゆる困難を乗り越えて、アメリカで最も華やかなふたつの職に就いた。
ひとつは、ハリウッドの映画スター、もうひとつは、ワシントンの政治家である。
彼の大統領としての評価はさまざまであるが、アメリカ国民の間に広がったレーガンの楽観主義と「心配ない、幸せになろう」というメッセージは、皆を激励し、国全体の士気を高める奇跡的な役割を果たしたようである。
レーガンが引き継いだ国は、暗い真実を真面目に全て口にするジミー・カーターの悲観主義がもたらした不安にとらわれていた。
レーガンは、すぐに国民を元気づけ、アメリカは全世界の羨望と尊敬を集める「光り輝く丘の上の町」のまたとない化身だ、と、ジョン・ウィンスロップの願いを日々かなえるかのようなアメリカ像と「丘の上の町」神話をアメリカ国民に語り続け、夢見させることに成功したと言えるだろう。
レーガンは、幻想を作り上げる達人であったが、それをアピールすることはもっと巧かった。
たぶん、それは、レーガンが、自分が作った神話をかなりの確信を持って信じることが出来ていたからであろう。
レーガンは、映画スターとしてのキャリアに行き詰まると、テレビの西部劇シリーズのホスト役を務め、番組提供会社の石けんを売り込むセールスパーソンとしてのスキルを極めた。
また、ゼネラル・エレクトリック(以下GE)社提供のテレビドラマシリーズでも、長年に渡ってホスト役を務め、
「幸せな生活は考えられ得る限りの家電製品で成り立つ」ことを視聴者に巧く納得させた。
このようにして、レーガンは、現代アメリカの大量消費主義の象徴となり、最も説得力を持ってエネルギーの浪費を推進した人物となったのであり、ここにもレーガンの現実離れした楽観主義が垣間見えるように私は、思う。
1954年から1962年の間、レーガンは、全米の小都市を回り、GE社の139施設で延べ数十万人の従業員に向けて、GE社の福音を広める感動的なスピーチを行った。
このことは、彼個人の政治的傾向を劇的に変え、間もなくアメリカ全体の政治を大きく変えることになるのである。
レーガンは、当初、GE社の広報部門が作り上げた世界モデルを宣伝していた。
しかし、新たな生活観を長く懸命に売り込んでいると、自分を売り込むようにもなってくるものであるようだ。
特に、レーガンのような優秀なセールスパーソンならばなおさらであろう。
彼は、相当リベラルな民主党員だったのであるが、最終的にはGE社の信条の中でも極端な右派にまで転じたため、会社では彼を使えなくなっしまった。
レーガンは、明らかにごく普通の映画俳優およびテレビタレントとして熱弁を振るい始めたのであろうが、最終的には、ルーズベルト以来の堪能な政治演説家といっても過言ではない人物になっていたのである。
長年にわたるGE社での実地訓練を通じて「偉大なるコミュニケーター」に変貌したのだ。
レーガンは、アメリカ国民が聴きたいことを把握し、くだけたわかりやすい言い回しを練り上げ、自らの政治的能力を売り込んだ。
レーガンはGE社のセールスパーソンから共和党の新星へと急速に姿を変えた。
これまで身につけてきたものが集約され、集大成としてのかたちを現してきたのである。
そして、1964年、共和党全国大会で有名になった
「A Time For Choosing(選択のとき)」
と題したゴールドウォーターを応援する演説で、ゴールドウォーターより目立ち、大きな政府への反対や、共産主義に対抗する必要性を人々の心に残るかたちで訴え、
1967年から1975年まではカリフォルニア州知事、
1981年から1989年までアメリカ合衆国大統領を務めたのである。
「心配ないさ、幸せになろう」というメッセージとともに、レーガンは国民の間に「レーガンの楽観主義」を広め、それは、アメリカ国民を激励し、国全体の士気を高める奇跡的な役割を果たした、それは、事実であろう。
しかし、その後、アメリカ例外主義の現実離れした楽観的戦略は、それが続いている間は心地よいものであったであろうが、決して長く続くものではなく、アメリカ国民は、レーガンが語った、ウィンスロップの願いを日々かなえるアメリカ像や「光り輝く丘の上の町」のまたとない化身としてのアメリカという夢物語から、予想外に早く、現実に引き戻されたようである。
つまり、アメリカ例外主義の現実離れした楽観的戦略は、続かなくなったとたん、これまで蓄積された負債すべてを返済しなければならない現実が国民を蝕み始め、その後もその影響は国民を蝕み、夢を見ていた国民も、蓄積された負債すべてを返済すべき時が来ていることを悟ることとなったのだ。
レーガンが示した「光輝く丘の上の町」という幻想は、国民の眼前で粉々に割れて、そこからのぞいた現実に国民は直面することになったのだが、それは、非常に厳しいものであった。
まず、サプライサイド(供給力)重視の「まじない」のような経済学によって財政赤字は3倍に膨れ上がった。
レーガンは国民に対して、豊かな暮らしが出来るだけの余裕があると「断言」し、コストや廃棄物、環境への影響を気にせずに、エネルギーを大量に消費する大型車や大きな家を大事にすべきだとしてしまったのである。
また、レーガンの明るい笑顔や、快活な表情は、彼がまさに誤った方向に大量の富を配分している事実を覆い隠し、魔法のようなトリクルダウンの考えと、銀行の規制緩和は、欺瞞に満ちた財政操作を招き、金融機関につながった。
さらに、産業界への規制緩和は、環境汚染、独占価値の形成、労働災害を招いた。
また、さらに、レーガンの単純な楽観主義のもとに行われた対外政策は、かえって大きな犠牲を生む結果となるのだが、それはアフガニスタンでロシアに対抗するイスラム教徒「自由の戦士」を支援したことが裏目に出、「自由の戦士」はイスラム教徒の「テロリスト」となり、アメリカが与えた武器を、アメリカに向け始め、
パキスタンと協力したことによって、アフガニスタンにおける覇権をめぐって繰り広げた政治的抗争である「グレートゲーム」がさらに進んだが、これがパキスタンの核兵器開発計画を後押し、さらに、レーガンはラテン・アメリカの反政府右派に(ときに非合法的に)資金援助を行い当地の根強い反米感情の高まりを招いたことなどにもよくあらわれているだろう。
そして、イランとの不正な裏取引によって、国家の公正性が深刻に問われている。
アメリカ例外主義の現実離れした楽観的戦略は、それが続いている間は心地の良いものだったが、決して長く続くものではなく、アメリカ国民はレーガンの大統領としての、特に経済と外交の失策による重い後遺症に苦しむことになり、いまだに、レーガンの大統領としての失策と彼が抱き推し進めた幻想のツケを払い続けていると言える。
トランプはどうだろうか。
「アメリカを再び偉大にする」というスローガンと彼が描き出す風景は「アメリカを再びよくすること」なのだろうか。
「歴史は繰り返す。
1度目は悲劇として、2度目は喜劇として」
とマルクスは言ったが、トランプ大統領は、私たちにどのような世界を見せるのだろうか。
仮に、今トランプが見せている世界が崩れても、そこから覗く世界は、今と同じ、もしくはそれより良い世界だと願っている。
ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。
今日も、頑張り過ぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。