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厳しい自然、厳しい音楽-伊福部昭の「執拗に反復するリズム」-音楽から眺めてみる世界から③-

作曲家の伊福部昭は、

「音楽に必要なのは、力と量と生活である」

と喝破した。

今回は、その意味を考えていきたい。

伊福部といえば、『ゴジラ』である。


今年は、ゴジラが日本に上陸してから、70年になる。


敗戦の余燼も、まだ、漂うなか、水爆実験という科学の暴走に対して日本人が抱いたのは、自然からの、驕り高ぶった人類に対する復讐の恐怖であった。

それは、ゴジラという姿となって現れたのだが、その威容は勿論、付された音楽は、強烈な、原始的なリズムで、見る者を威圧したのである。

あまりにも『ゴジラ』が有名すぎて、『ゴジラ』に比べてしまうと、他の作品が語られることは少ないのだが、伊福部は、『ビルマの竪琴』、『座頭市』、『大魔神』などの音楽も担当している。

伊福部昭は、1914年、釧路に生まれ、北海道帝国大学農学部に進学後、北海道庁地方林課に勤めるかたわら、学生時代から独学で行っていた作曲活動も、継続する。

在野の作曲家であった伊福部が、アカデミックな場に登場するのは、敗戦の混乱期である。

既に、いくつかの曲を発表して名が知られていた伊福部は、戦後、東京音楽学校(→現在の東京藝術大学)に作曲科講師として招聘された。

伊福部を招聘したのは、学長の小宮豊隆であるが、小宮は夏目漱石の一番弟子の文人であり、音楽の専門家ではない。

小宮が独学作曲家である伊福部を招聘するに至った経緯は詳らかではないが、小宮が、異例の、しかし勇気ある人事を行ったことは間違いないであろう。

実際、小宮の期待には十二分に応えることが出来たようで、伊福部門下からは、芥川也寸志、松村禎三、黛敏郎など、作曲家たちが輩出されている。

伊福部音楽の最大の特徴、土俗的な匂いの立ちこめる旋律、執拗かつ強烈なリズム、そして、変拍子である。

私淑したラヴェルの影響を受けつつ、伊福部は、日本の土俗的な音楽世界を切り拓く。

ただし、伊福部は、「幽玄」や「粋」をあざとく狙うような音楽は一切作らなかった。

彼の音楽に根ざしているのは、彼が生まれ育った北海道の大地、アイヌの精神世界である(→cf.『シンフォニカ・タプカーラ』(1954年) )。

伊福部の激しい音楽は、激しい自然、そして、その圧倒的な力と対峙する人間の逞しい生命力そのものなのである。

『ゴジラ』の音楽に、伊福部がこれ以上ないくらい、適合したのは、ゴジラという恐るべき自然の力を表象する怪獣と、伊福部自身の音楽が持つベクトルが一致していたからであろう。

力強く、単純かつ執拗なリズムは、有無を言わさず迫り来る自然の力を見事に表現している。

ちなみに、かつて東宝が、

「ゴジラに壊して欲しいところはどこか」

というアンケートを取ったところ、

「国会議事堂」が1位であったそうである。

今も、「国会議事堂」は1位かもしれない、と思うのは、私だけであろうか。

......。

また、『ゴジラのテーマ』より少し後の1961年に作曲された 『リトミカ・オスティナータ』がある。

『リトミカ・オスティナータ』は、実質的には、ピアノ協奏曲の形式を持っているが、独奏ピアノが妙技と、見事な旋律を聴かせるような、言ってみれば普通の意味での協奏曲ではない。

ここでは、ピアノはひとつの打楽器と化しており、オーケストラと一体となってひたすら変拍子のリズムを打鍵しなければならないない。

もはや、音楽は、洗練や優美とは、遥かにかけ離れて、野蛮ですらあるかもしれない。

そもそも、『リトミカ・オスティナータ』は「執拗に反復するリズム」という意味なのだが、リズムとは、音楽の原初の要素であり、強烈なリズム反復は、聴衆を、否応なく、祝祭的熱狂へと巻き込み、その心臓の鼓動さえ、高めてゆくのかもしれない。

冒頭の

「音楽に必要なのは、力と量と生活である」

という伊福部のことばが、いま、また、重みをもって、迫ってくるように、思う。

敗戦復興も一段落し、日本人が、物質文明への傾斜を強めようという時代に伊福部昭が示したのは、人間の根源的な生命の力強さと、生命の躍動する力であった。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

音楽から眺めてみる世界からシリーズでした😊

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